【第3話】
『目的地に到着するぞ』
通信装置から流れてきたレジーナの声で、エルドの意識は現実に引き戻される。
しばらく平坦な荒野が広がっていたと思っていたが、窓の向こうから僅かに賑やかな喧騒が聞こえてきた。傭兵団『黎明の咆哮』と同じくゲートル共和国を目指している傭兵団や戦争関係者は多いのだろう。
助手席に座るユーバ・アインスも「【報告】前方10キロ先、目的地周辺だ」と報告してくる。意外と早く到着しそうだ。
「姉御、すんなり入れそうか?」
『道はそれほど混んでいない様子だから、すぐに入れるだろうよ』
「俺もう腹減ったわ」
『到着まで我慢してろ』
欠伸をしながら「ふぁい」と適当に応じたエルドは、空いた左手でサイドボードから余った携帯食料を取り出した。包装紙を口に咥えて片手だけで器用に破ると、齧るだけで口の中の水分が持っていかれるブロック型の携帯食料に噛み付く。
その上品とは言えない食事作法に、助手席のユーバ・アインスが非難の視線を寄越してきた。視線を寄越してくるだけで何も言わなかったが。
行儀が悪いことなど重々承知しているが、戦場でお上品に飯など食える訳がないのだ。四輪車を運転しながら携帯食料を頬張ることなどザラにある。
ボロボロと口の端から零れ落ちる携帯食料のカスを左手で拭うエルドは、
「ンだよ、文句あっか」
「【否定】ない」
「じゃあいいだろ。敵から逃げる時はいつもこんな食い方してたんだよ」
「【決意】あとで車内の掃除をしなければ……」
小声で「【要求】清掃用兵装の状態確認及び清掃用品の確認を」と何かに要求していた。おそらく自分の頭に搭載された人工知能だろう。まだそんなに汚いとは思えないのだが、そんなに重要なのだろうか。
食べ終わった携帯食料の包装紙を足元に置かれたゴミ箱に放り入れ、エルドは何とはなしに窓を開けた。
車内に生温い風が入り込み、エルドのくすんだ金髪を盛大に掻き乱す。遠くの方から人の声が聞こえてくると同時に、分厚い石の壁が目の前に聳え立っているのが確認できた。石の壁には等間隔で『組み合わせた歯車の上を歩く猫』の紋章が掲げられている。
ハンドルを握るエルドは、
「お、見えてきたな」
あの石の壁こそが、ゲートル共和国である。
☆
ゲートル共和国付近に到着すると、石の壁に取り付けられたスピーカーから門番らしい声が同じ言葉を繰り返していた。
『入国希望の方々は入国審査を受けてください。駐車場をご利用の方は、入国審査が終了次第、地下駐車場をご利用ください』
機械的な平坦な印象のある声ではないので、録音した音声を流しているのだろう。何度も何度も繰り返し聞いていればうんざりするような音声である。
ゲートル共和国の入国審査を待っているのか、大小様々な四輪車が長蛇の列を作っていた。確かに列は長いのだがそこまで並んでいる訳ではなく、しかも入国審査を担当するゲートル共和国の兵士たちが並んでいる車を巡って入国審査を執り行っている様子だった。
入国審査は比較的早く終わりそうだが、問題は地下駐車場を利用できるか否かである。ゲートル共和国は何度か訪れたことのある場所で、地下駐車場もかなり広い作りになっていたはずだが、果たして外からのお客様はどれほど訪れたのだろうか。
エルドは後部座席から襤褸布を引っ張り出しながら、
「おら、被っとけ」
「【了解】その命令を受諾する」
「その喋り方は止めろよ。普通に喋れるか?」
「【肯定】当然だ」
頭から襤褸布を被ったユーバ・アインスは、銀灰色の眼差しに無機質な光を宿して頷く。
「【疑問】喋っていいのか?」
「口調さえどうにか出来りゃいいさ」
そんな会話を交わしていると、入国審査の順番が回ってきたのかエルドの乗る四輪車の窓が軽く叩かれる。
窓の向こう側に立っていたのは、穏やかな笑顔を浮かべた若い女性の兵士だった。バインダーに挟まれた書類には『入国審査書類』と題名が掲げられており、使い古された万年筆を片手に「こんにちは」などと挨拶をしてくる。
まだ若いながらも立派に兵士を務めている様子だ。やや大きさの合っていない新緑色の軍服には新兵らしく真新しい徽章が胸元で輝いており、階級が1番下であることを示している。赤毛の髪は無難にお下げに結ばれており、鼻の頭にはそばかすが散らされていた。
ふにゃりと笑う女性兵士は、
「ようこそ、ゲートル共和国へ。前のお車と同じく傭兵団『黎明の咆哮』所属の傭兵様でお間違いないですか?」
「おう、エルド・マルティーニだ」
「エルド、エルド……あ、いましたいました。はい、名簿でも確認しました。こちらに署名をお願いいたします」
あらかじめ団長のレジーナが提出したらしい名簿と照らし合わせて名前を確認し、女性兵士がバインダーを手渡してくる。手早く名前を書いて提出すれば「はい、確かに」と入国審査が無事に終了した。
「助手席の方のお名前は?」
「あー、えっと」
エルドは助手席に座ったユーバ・アインスを一瞥する。
ここで馬鹿正直にユーバ・アインスで名前を登録すれば、アルヴェル王国陣営の国を訪れた際に全てが露見してしまう。レノア要塞の件で相当怪しまれているのだ。下手に動いて火に油を注ぐような真似はしたくない。
何と問うべきか少しだけ迷ってから、名簿を捲る女性兵士にあえて聞いてみた。もう恥なんてなかった。
「アインスって名前なんだけど、どんな名前で登録されてる? 随分遠くの場所で見つけたハグレモノなんだわ」
「ああ、はい。アインス・マルティーニさんですね、ご登録ありますよ」
「げ」
エルドはあからさまに呻いた。
まさか団長がエルドの苗字を使って名簿を作成しているなど想定外である。どうしてそんなことになってしまったのだろうか、やはり『ぞっこんラヴ』などという嘘を使わない方がよかったか。
不思議そうに首を傾げる女性兵士は、
「どうかしました?」
「あー、いや何でもないっす。はい」
「?」
パチクリと瞳を瞬かせた女性兵士は、助手席に座るユーバ・アインスに意識を向ける。
「アインスさん、日傘など日除けになるものはお持ちですか?」
「?」
ユーバ・アインスはすっぽりと被った襤褸布の下で銀灰色の瞳をしばたたかせ、
「この布があるから問題ない」
「ええ!? だ、ダメですよぅ。いくら資源が少ないと言っても、アルビノさんは紫外線が天敵ですから!!」
女性兵士は「これどうぞ!!」とエルドに布の塊を手渡してくる。
それはどうやら日傘のようだった。真っ黒な色をしているが随所にレース細工が施されており、女性が好むようなデザインとなっている。
女性兵士は申し訳なさそうな表情で、
「使い古しで申し訳ないですが、よろしければ新しい日傘を買うまではそれをお使いください。新しい日傘を買ったら捨ててしまって構わないので!!」
「…………いや、感謝する」
日傘を受け取ったユーバ・アインスは、
「貴殿の好意、確かに受け取った」
「え? 貴殿?」
「いやー、コイツ前からこんな口癖なんですわ。ほらお姉さん、後ろの入国審査が詰まってるんで」
「あ、あー!! そうでした!! ごめんなさい、ご協力ありがとうございました!!」
女性兵士は慌てた様子で頭を下げ、エルドとユーバ・アインスの乗る四輪車から離れていった。
次の四輪車が入国審査を始めた頃合いを見計らって、エルドは四輪車の窓を閉める。それから助手席のユーバ・アインスを恨めしげに見やった。
肝心のレガリアは、女性兵士から好意で貰った日傘を矯めつ眇めつ眺めている。袋から取り出し、傘の留め具を外して「【疑問】何故日傘を……?」と首を傾げていた。
全身が真っ白という状況を利用して「アルビノで紫外線に身体が拒否反応を起こしてしまう」ということをレジーナが伝えたのだろう。全く、周到な女だ。
「テメェ、それちゃんと使えよ。使わなかったら怪しまれる」
「【肯定】もちろんだ。きちんと使わせてもらおう」
キラキラと銀灰色の双眸を輝かせるユーバ・アインスは、傘を開いたり閉じたりしながら使い方の確認をしていた。その姿はまるで初めて傘をもらった子供のようだ。
その姿が、何故か可愛いと思えてしまうエルドだった。
悔しいけれど、そんじょそこらの女よりもいいと思ってしまったのだ。




