【第2話】
「エルドさんは戦争が終われば1人旅ですか?」
アリスの色鮮やかな青色の瞳が、真っ直ぐにエルドを射抜く。
正直な話、エルドは今すぐこの場から逃げ出したかった。
アリス・トワレッテという女は腹の底が見えない。どうしてこんな与太話に参加するのか理由が皆目見当もつかない。腹の底が見えない以上、自分自身の本心や傭兵団『黎明の咆哮』が抱えている事情を打ち明ける訳にはいかない。
彼女はアルヴェル王国の軍人なのだ。金で何でも解決できるような傭兵と違って、自国の利益の為に他人を使い潰すような連中である。何の話題が出るのか警戒しなければならない。
「まあ、そうですね」
「いいですね」
アリスの瞳には情景が宿っていた。
「戦争が終わった暁には、自由に世界中を見て回るなんて羨ましい限りです」
「……テメェも出来るんじゃねえのか?」
「出来ると思いますか?」
アリスは「出来ませんよ」とエルドの言葉を否定する。
「戦争が終わっても、私はアルヴェル王国に囚われたままです。きっと、どこかの誰かと幸せな結婚をすることになるでしょうね」
「結婚できるだけマシじゃねえか」
「私にとっては1人旅の方が羨ましいですよ」
幸せな結婚の何が悪いのだろう。
エルドからすれば全然マシな人生だと思う。戦場だけしか知らないエルドにとって、愛する異性と結婚して家族を得られるのは幸せな人生に映る。たとえそれが政略結婚で愛情がなかったとしても、家族の存在しないエルドから見たら実に羨ましい。
叶うならエルドだって結婚したいぐらいだ。綺麗な女性と永遠の愛を誓って、子供や孫に囲まれて穏やかに死んでいきたいものである。そんな幸せが望めないから、終戦後の世界で純白のレガリアを引き連れて旅をしようという訳である。
多分、自分にとっての幸せの基準と他人にとっての幸せの基準が違うのだ。エルドが幸せと捉える部分と、アリスが幸せと捉える部分は決定的に異なっている。
「…………貴方は、戦争が終わった世界で何をするつもりですか?」
「自分ですか」
アリスが話を振った相手は、襤褸布で身体を覆った純白のレガリア――ユーバ・アインスである。
「自分はエルドについていく予定ですが」
「そうですか。仲がよろしいのですね」
アリスは小さく笑う。
エルドも内心で安堵の息を漏らした。
自立型魔導兵器『レガリア』であるユーバ・アインスは、アルヴェル王国にいてはいけない存在だ。秘匿任務があるから自分の所属していたリーヴェ帝国を捨て、傭兵団『黎明の咆哮』に属することになった。本国にユーバ・アインスの存在が明るみになれば、彼の望む秘匿任務の遂行が出来なくなってしまう。
レガリアらしい平坦な声ではなく、感情の乗せられた男性の声だ。よくそんな喋り方が出来るものだと驚く。
「ねえ、エルドさん」
アリスが不意に名前を呼ぶ。
「貴方は、我々がレノア要塞に運ぼうとしている品物の存在に見当がついていますか?」
「それ、アイツがいるけど言っていいのか?」
「構いませんよ。遅かれ早かれ明るみに出ることですから」
表情が曇るアリス。
彼女も、自分自身がレノア要塞に向けて運んでいる物体について少なからず何かを知っているようだ。
あれはアルヴェル王国が最初から開発した自立型魔導兵器『レガリア』ではない。リーヴェ帝国が作ったレガリアを改造して、屈服させただけに過ぎないのだ。自分たちがやらかしてきた事実は、色々と想像がついているのだろう。
エルドは「じゃあ遠慮なく」と口を開き、
「あれ、一体どこから拾ってきたんです?」
「分かりません」
「じゃあ質問の意味がないじゃねえですか」
「そうですね、大変申し訳ございませんが」
アリスは「ただ」と言葉を続け、
「アルヴェル王国の近辺に転がっていたとは聞いています。何の為に転がっていたのか不明ですが、軍が転がって機能停止に追い込まれたレガリアを拾って改造を施したことは予想ができます」
やはり、誰もが予想していたことだった。
リーヴェ帝国が組んだレガリアを拾って改造を施し、自分たちが開発したのだと触れ回って戦場に投入する。
アルヴェル王国は何が何でも戦争に勝ちたいのだ。互いに戦力をぶつけ合って争っている以上、もう意地になって引くに引けない状況である。
アリスは「話し過ぎましたね」と苦笑し、
「私はそろそろ休みます。お邪魔してしまってごめんなさい」
「いえ、大丈夫っすよ」
「問題ない」
ユーバ・アインスの「問題ない」の言い方が非常に平坦な声だったので、自立型魔導兵器『レガリア』とバレてしまわないか心配だった。エルドがユーバ・アインスを密かに睨みつければ、彼は襤褸布の下にある銀灰色の双眸を瞬かせて「何のことかよく分からない」と言わんばかりに首を傾げる。
ところが、アリスは平然としていた。気づく素振りを全く見せなかったのだ。
エルドとユーバ・アインスの方へ振り返ると「おやすみなさい」と朗らかな笑顔を浮かべて、焚き火の明かりが及ばない夜の闇に包まれた世界に足を踏み入れていく。徐々に暗闇へ消えていくアリスの背中を最後まで見送ってから、張り詰めていた息をそっと吐き出した。
「いつバレるかヒヤヒヤしたぜ……」
「【疑問】あの応対で問題はなかったか?」
「いなくなった瞬間に声の調子を元に戻すなよ。戻ってきたらどうするつもりだ?」
「【回答】アリス・トワレッテは輸送車に戻った模様。距離があるから当機とエルドの会話は聞こえない」
「盗聴器とかの可能性もあるだろ」
「【回答】盗聴器の存在は確認できない。【提案】当機の兵装で盗聴器を探るか?」
「無駄な兵装を使うのは止めろ」
「【了解】その命令を受諾する」
エルドの言葉を受け、ユーバ・アインスは頷き命令を受諾した。
最優にして最強と名高い自立型魔導兵器『レガリア』のユーバ・アインスが言うのだから、この周辺に盗聴器の存在はないはずだ。エルドも自分の身体を確かめて盗聴器を探るが、そもそもアリスが触った形跡がないので問題ないはずだ。
無駄に兵装を使用して、アルヴェル王国の軍人たちにバレるのは困る。傭兵団『黎明の咆哮』の面々にもアルヴェル王国の魔の手が及ぶかもしれない。
密かにため息を吐いたエルドは、
「本国の連中がそんなことを言ったら、レノア要塞で戦ってる連中の士気に関わるだろうがよ……」
「【回答】やはりリーヴェ帝国が開発したレガリアを、多少改造を施して乗っ取った形になるのか」
「そうだな」
「【疑問】エルドは形状を見たのか? 量産型のような姿をしていたか?」
「え?」
そういえば、アリスに輸送車のレガリアを見せてもらったのはエルドと団長のレジーナだけだった。団長のレジーナならまだしも、稼ぎ頭だからという理由でエルドにも輸送車に閉じ込められているレガリアを見せてもらったのは僥倖だった。
確か、あれはどんな形状をしていただろうか。
年頃の少女のような見た目をしていたか。桃色の髪と頼りないワンピース姿のそれは、戦場には似つかわしくない可憐な少女だ。これからお出かけに行くと言ってもいいだろう。
「桃色の髪をした可愛い女の子だったな」
「【疑問】桃色の髪を?」
「誰か心当たりがあるのか?」
「【否定】いいや」
間髪入れずに否定してきたユーバ・アインスに、エルドはズッコケそうになった。一体何なんだ、このレガリア。
「【予測】もしかすれば、当機がリーヴェ帝国を離れてから開発された機体かもしれない。【提案】起動した際に立ち会うことが出来れば、どんな性能を有するレガリアか判断できるが必要か?」
「レノア要塞の戦場に投入されるまで関わらないってのが姉御の判断だからな。そこまで必要にはならねえだろうさ」
「【応答】そうか」
それから、交代の時間がやってくるまで再び「戦争が終わった後の1人旅」の話題で盛り上がった。こんな時ぐらいはくだらない話で盛り上がりたい頃合いなのだ。




