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Snow Drop

作者: 椿 綾羅

 それは、とても冷たい夜の雨の日のことだった。

 男は黒い傘を差しながら憂鬱そうに歩いていた。仕事帰りではなさそうなその男はどこか陰湿な雰囲気をまとっていた。

 ふと、男の視界に女性の白いパンプスが目に入った。顔を上げると女性が傘もささず空を仰ぎながら雨に打たれ泣いていた。

 男は不覚にもその女を美しいと思った。真っ白なワンピースは濡れて女の身体に張り付き心配になるくらい細く、女性らしい体の曲線をあらわにしていた。肌は雪のように白く、唇は冷えているのか若干かさつき、青白くなっているように見えた。漆黒を宿した髪は顔などに張り付き、まさに濡れ羽という言葉がよく似合っていた。

男が女に見とれていると、その視線に気が付いたのか女が不思議そうに男の方を見た。男はその表情にハッとし女を傘に入れた。するとまた、不思議そうに男を見つめた。

「何故?」

「え?」

 女は聞き取れるかどうかわからないくらい小さくか細い声でそう言った。

「何故、私を傘に入れたの?」

「何故って……なんかほっとけなかったし」

「私のこと知っているの?」

「え、いや……」

 と、しどろもどろに男が答えると女は変な人とどこ悲し気に、でも、どこかすがるようにかすかに笑った。男は、このまま家に連れ込もうかとも思ったが出会ってすぐにそれはダメだと思い、行きつけの近くのバーに女を連れていくことにした。

 路地裏にある雑居ビルの地下に続く階段を降りていくと重厚そうな木製の扉が目の前に現れる。扉を押して入ると中は薄暗く、カウンターの机は鏡のように輝いていた。カウンターの奥の棚にはいろんな種類の酒が並んでおりバーテンダーであろう白髪の男がグラスをふきながら立っていた。

 雨だからか夜が深まってしまっているせいか客はおらず店員も白髪のバーテンダーだけだった。

「いらっしゃい。おや? 珍しいね」

「マスター、とりあえずタオル貸してくれない?」

 マスターと呼ばれた白髪のバーテンダーはニヤニヤしながら男にタオルを二枚投げ渡した。そのうちの一枚を女にかぶせふいてやった。

 すみません、とか細い声で謝ると女はまた泣き出した。マスターは女何となく状況を察したのか店をクローズにした。男はマスターの優しさに感謝しながら女をカウンター席に座らせ自分もその横に座った。

「なんか飲むか? 今夜ならただで飲ましてやるけど」

「お、マスター太っ腹だね」

「戯け、お前のためじゃなくて横の女のためだ」

「マスター、昔から女好きで片端から声掛けてたよね」「うるせえ、で、何にする」

「彼女にはコロネーションを、俺はマスターのおすすめで」

 そう告げると、男は女にどうしてあそこにいたのか尋ねた。女は首を振りながら覚えていないと小さく笑った。自分のことを含め何も覚えておらず、ただ気が付いたらあそこにいたのだと。

 男が何か言おうと口を開いたとき、二人の前に二つのカクテルが置かれた。女の方にはカクテルグラスの中に入った透明な明るいオレンジ色をした酒が、男の方には同じグラスに入った透明でブランデーに近い色をした酒が入っていた。

「マスター、これなんてカクテル?」

「スティンガーだよ。ブランデーをベースにしたカクテルでバーテンダーの腕が問われるカクテルだ」

「へえ、と言うことは腕に自信あり?」

 と、ニヤニヤしながら男が言った。

「当たり前だろ、何年やってると思ってるんだ」

 マスターは自信満々に答え、早く飲めと二人に促した。

 二人のやり取りに女は少し困惑していたが、自分の前に置かれた酒を一口飲み美味しそうにほおを緩めた。

 その様子を見て男は優しく微笑むと自分も目の前に運ばれた酒を飲んで少し笑った。

 酒を飲み干すまで三人は談笑していたが、男は以外にもあっさり潰れ、寝てしまい、女はお金を払うと男に向けて微笑みかけ店を出た。

 それから、二人はよくバーに来ては酒を飲みながら談笑し、いつしか身体を重ねる関係になっていた。

 マスターはそんな二人を微笑ましくもどこか険しい表情で見ていた。

 ところがある日、女はバーに来なくなってしまった。

 男は最初の頃は忙しいのかなと思ったが段々心配になり思い切ってマスターにあの女について何か知らないかと尋ねた。マスターは無言で一通の花の絵が描いてある手紙を差し出した。

「何これ?」

「あの子がお前に渡してほしいって俺に預けてきたんだ」

 その言葉に慌てて男は手紙の封を開けた。

 その手紙には急に居なくなってしまって申し訳ないということ、実は記憶がないのは嘘だったということ。何故、立ち去らねばならなかったかについてや、女があの日、あの場所にいたことに関することが書かれていた。

『こんな形で色々伝えるのは申し訳ないなと思っているし、だましてしまってごめんなさい。それでも私はあなたを愛しています』

 という言葉で手紙は締められていた。その文字の横にはスノードロップの絵が描かれていた。

 男はそっと涙をこぼし、その雫が手紙の上に落ちた。

男は涙が枯れるまで泣き続けた。ごめん、と謝りながら。マスターはそんな彼に真っ白で雪のようなフローズン・マルガリータを目の前に置いた。

 男はそれを飲み干すとお金をカウンターに置き、マスターに礼を言って店を去っていった。


 翌日、男は遺体として発見された。男の手にはスノードロップの花が握られ、あおむけで倒れていた。

 ざわつく現場にふと、マスコミに交じってあの女がスノードロップの花束を持って立っていた。

女がスノードロップの花束を投げ入れると風が吹き、女の姿は消えていた。

 そして、女は二度と姿を現さなかった。

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