白蓮華 方便
アジタの言ってることで 大体あってるよ。
例のあれかな 的な感じ
だよ。
まあ、補足するなら 他の異世界生活ファンタジーへの入り口かな。今まで、観察出来なかった 数えることの出来ない 遍く異世界生活ファンタジーの世界が、あの遍く世界の光と 遍く世界の振動で 観察出来きているんだよ。
でも、この教えは 理解できる相手を育ててから 教えないと駄目だぞ。教化して授持してね。
例えば
リンゴ100円とミカン50円と 合わせて150円と
例えば
リンゴ99個とリンゴ1個と 合わせて100個
くらいの理解が必要だからな。
遍く世界は リンゴの素粒子とミカン素粒子を合わせても リンゴの素粒子とミカンの素粒子の合計は、生ずる事はなく 滅する事はない。あるがままに観察をしている。
遍く世界は 数えることの出来ない素粒子の計算から成り立つ 素粒子の計算によっで出来ている。数えることの出来ない計算をできる計算機の結果である。
遍く世界の計算は、数えることの出来ない数により 無量進法であり あるがままに観察をしている。
人の言語制約による、ガンジス川の砂の粒99個と ガンジス川の砂の粒1個を 合計しても 一の位を計算して 十の位を計算する事はなく 桁上がりの概念はない。遍く世界の計算は、ひとつの桁の計算で計算を行い、桁上がりの概念はない。遍く世界の計算は、数えることの出来ない無量の状態を あるがままに観察している。ガンジス川の砂の粒を合わせた刹那に計算は行われ 瞬間に計算は終わり 一瞬で計算は完成する。
遍く世界の計算は、数えることの出来ない無量の状態と 数えることの出来ない無量の状態を計算する 生ずる事はなく 滅する事はない、あるがままに観察しいる。
遍く世界の計算は、人の言語制約による計算が 全て集まって計算するよりも大きく 全ての人の言語制約による計算では行う事は出来ない。ましてや 計算機による二進法の言語制約による計算では行う事は出来ない。
なぜならば、遍く世界の計算は、遍く世界の計算によって行われ、全ての人の言語制約による計算は、遍く世界の計算によって観察している、遍く世界の計算の スコープの オブジェクトだからである。スコープの中のオブジェクトは スコープの中で輪廻を繰り返し、スコープの中で新しいオブジェクトとして数えることの出来ない無量の時を繰り返す。
このスコープの外の新しいオブジェクトを起こし 無量の世界を計算することで 無量の異世界生活ファンタジーを計算し このスコープの中を自由に化生する三昧を覚った。