まだご飯が炊けていない
まだご飯が炊けていない
1952年9月2日、日米政府の合意により停戦が発効した。
1951年11月3日に始まった日米の戦争は、専ら太平洋を舞台としたことから太平洋戦争と呼称されている。
戦争状態の正式な終結は1953年1月8日のホノルル講和条約によってなされた。
ホノルル条約により、日本は戦時賠償としてアラスカを含む、太平洋のアメリカ領土の全てを獲得した。
また、戦争原因となった戦時債務も放棄することが決められた。
アメリカ政府は戦時債務の放棄は認めたが、ハワイやアラスカはアメリカ固有の領土として割譲を拒んだ。
しかし、日本人は言葉に銃を添えてアメリカを説得した。
1952年11月1日、日本軍はマーシャル諸島のビキニ環礁で再び核実験を行った。実験に投入されたのは核分裂反応爆弾ではなく、水素熱核融合爆弾(水爆)であった。
実験は成功し、熱核出力10メガトンを達成した。
太平洋戦争でアメリカ軍が使用したガンバレル式核分裂反応兵器が21キロトンであった。
1メガトンが1,000キロトンである。
10メガトンは、10,000キロトンであり、日本が保有した融合弾はアメリカ軍が保有する反応弾の476倍の火力があった。
領土割譲を拒否するなら戦争再開も辞さないとして、日本軍は融合弾使用をほのめかした。
実験に使用した水爆は重量過大で実用性がないものだったが、アメリカを脅し上げるには十分な破壊力があった。
世界を滅ぼしかけた悪の帝国として完全に孤立していたアメリカに助け舟を出すものはなく、アメリカは領土割譲を受け入れるしかなかった。
太平洋戦争以後、アメリカは世界から孤立し、自らも世界との関わりを立つ孤立主義政策を展開して、北米大陸に引きこもった。
弾劾裁判により免職されたジョン・P・ケネディの後任となった共和党大統領のダグラス・マッカーサーはアメリカを守るために大陸要塞論を展開し、メキシコ国境やカナダ国境に長大な防壁を建設した。
所謂、マッカーサーの壁である。
宇宙空間からでも観測可能な長大な国境の壁は、アメリカ孤立主義の象徴といえる。
もっとも、その壁がアメリカを守るために役立ったかといえば、全くそのようなことはなかった。
太平洋戦争以後、アメリカに愛想を尽かした南米諸国はソ連への接近を強めていった。
それに反発したアメリカは介入戦争を繰り返したが、アメリカの介入を牽制するためにソ連はキューバに核ミサイル基地を建設した。
第三次世界大戦は、キューバを海上封鎖するアメリカ大西洋艦隊と封鎖突破を図るソ連地中海艦隊の衝突から始まり、ソ連艦隊に敗北したアメリカ軍は核ミサイル搬入前にキューバを空爆した。
キューバのソ連派遣軍は空爆で全滅する前に、既に搬入済であった中距離弾道ミサイル12発を発射した。
さらにソ連本土からの先制ICBM攻撃により、アメリカは合計250メガトンの核の炎で焼かれることになった。
大変、皮肉な話だったがマッカーサーの壁はアメリカからの無秩序な難民流出からメキシコとカナダを守るのに役立ったのである。
ちなみに、ソ連の核攻撃はアメリカに対してのみ行われた。ソ連軍が西欧へ侵攻することもなければ、日本本土へ弾道弾攻撃を行うこともなかった。
日欧とソ連は裏で話をつけていた。
でなければ、ソ連地中海艦隊がジブラルタルを素通りできるわけもなかった。
アメリカはその時点で、自分たちが他の資本主義諸国から完全に見放されていることに気がつくべきだったのである。
「保科ぁ、もう米は炊けたのかい?」
保科祥弘はペーパーブックから顔あげ、声がしたを振り返った。
相棒のイリチィ・坂本が電子レンジで温めたカレーのレトルトパックを投げてよこした。
「まだ、だよ」
東京電力軌道第3発電所第11機動分室の無重力炊飯器は全力運転中だったが、米が炊けるにはあと25分かかる。
無重力空間で米は炊けるのだろうか?
炊けるのである。
しかし、無重力炊飯器の開発は苦難と刻苦の連続であった。
何しろ炊いた後でフリーズドライパックにして地上から打ち上げれば良いものを、わざわざ炊きたての御飯を食べるために一から技術開発したのだ。
IHの技術者は無重力炊飯器を開発するにあたって精神科医に論文を書かせて、炊飯の精神安定効果を訴えることで開発資金を確保したらしい。
出来上がった無重力炊飯器は、初期のそれは(まずくて食えたものではなかった)ひどいものだったらしい。
しかし、今では地上で食べるご飯と遜色ない炊飯が可能になっている。
無重力炊飯器の開発において最も苦労したのは、水蒸気の密閉だったそうである。
たしかに地上では待機中に放出するだけで済む水蒸気も閉鎖された無重力空間では結露の原因となり電気回路に対する重大な脅威となる。
しかし、余分な水分を逃がすことができないと米が上手く炊けないという炊飯の原則からすると水蒸気の密閉は深刻な二律背反だった。
水蒸気の循環式冷却システムの開発には120億円も費やしたと聞く。
おかげで22世紀の宇宙では一度水を補充すれば15回連続で炊飯が可能になった。
「宇宙に来てまで、そんなに米が食いたいかねぇ」
日本人の考えることはわからんと半分日本人の坂本が言った。
彼はロシア人とのハーフだった。
「なら、ソ連人は宇宙でボルシチが食べたいとは思わないのか」
「ボルシチを食べるなら、家で食べるね。あとソ連人とかいうな」
「ソ連から来たんだろう?」
「難しいんだが・・・ソ連はあっても、ソ連人はいないんだ」
そういうものらしかった。
船窓から地球を見下ろすとちょうどユーラシア大陸が見えた。
もちろん衛星軌道からソビエト社会主義共和国連邦という国が見えるわけではない。
しかし、2182年にもソ連という国は存在しつづけている。
かつて、世界が2つの陣営に分かれて威嚇を繰り返していた冷戦という時代があった。
20世紀の話である。
1980年に冷戦は終わった。ソ連が第三次世界大戦後の後遺症で、大量の軍備を抱えていられなくなってしまったからだ。
ソ連は改革開放路線に転換し、共産主義国のくせに経済だけは資本主義という妙な国家になっていた。
最近では日本と手を組んで、発電衛星のモジュールをロケットで打ち上げたりしている。
全世界に電力を供給する宇宙太陽光発電システム(SSPS : Space Solar Power System)のモジュールは3割がソ連が打ち上げたものだった。
モジュール打ち上げ数に応じて電力供給が受けられる仕組みなのである。
さすがに人類初の月面着陸を成し遂げた国だけあって、ソ連の宇宙技術は大したものである。
ちなみ2番はドイツで、ソ連の月面着陸から1週間後に月にドイツ人を送り込んだ。
フォンブラウンはタッチの差でコロリョフに負けたこと悔しがり、火星にドイツ人を送り込む計画を立てたが、ドイツ政府は月面で燃え尽きてしまって火星に向かうことはなかった。
ちなみに日本の宇宙開発はドイツから買ったV2ミサイルから始まり、中島エアロスペースの糸川博士が作り上げた隼シリーズに発展した。
隼のロケットエンジンを改良にしたのが疾風シリーズとなる。
疾風のロケットエンジンを束ねてマルチクラスターエンジンに仕立て直したのがヘヴィ・リフター「富士」である。
富士の完成で宇宙発電所をつくる目処がたったのは21世紀半ばのことだった。
「まぁ、ここから見たら国なんてあってないようなもんだ」
「何か言ったか?」
「いや、なんでも無い」
そんなことより重要なのはカレーライスを食べることだ。
米がまだ炊けていない。
地上なら、ちょっと米が柔らかくても途中で炊飯器を開けて食べてしまうことができる。だが、無重力炊飯器は水蒸気を遮蔽するために途中で開けることはことはできないのだ。
もどかしいが、必要なことだ。
そんなときに機動分室の警告灯が赤く光った・・・トラブルだ。
「2バンチ73番」
「ダー」
コンソールパネルに張り付いて、カメラで破損箇所を探す。
広大な宇宙太陽光発電所は地上のような番地表示がある。
AIの自己診断プログラムが走って、破損箇所をキューイングしてきた。
「あー、デブリがあたったな」
カメラをズームに切り替えると無重力空間に火花が散っていた。
細かい破片が太陽光を受けてきらめている。
デブリがあたって何かが壊れたようだ。
「魔女の婆さんの呪いか」
イリチィが唸った。
それでも手が止まらないのが彼のいいところだ。
機動分室を既に破損箇所に向けて走らせた。
SSPSのソーラーパネルは細かいモジュール構造になっている。デブリが当たっても全部まるごと機能停止したりはしない。
実際、壊れて止まっているパネルは結構あるのだ。
発電力がとてつもなく大きいから、少々パネルが壊れても放って置かれる。
たまにまとめて破損箇所を交換すれば元通りだった。
警告灯がでるのは、クリティカルな場所が壊れた場合だけだ。
「継電器かな?」
「たぶん」
機動分室がレールシステムの上をスライドしていく。
SSPSはテラス構造になっていて、構造体にレールが仕込まれている。
機動分室は地上ではモノレールと呼ばれているものに近い。
宇宙だからといって、別に宇宙船で移動する必要はないのだ。近くまで機動分室で移動して、そこからは船外活動になる。
神の視点にたてば、ソーラーパネルでできた木の葉の葉脈の上をアリマキか何かが動いているように見えるに違いない。
イリチィが甲式宇宙服をロッカーから引き出して、
「次の上陸はいつだっけな」
と聞いてきた。
この場合の陸とは地球のことだ。
「えーっと、256時間後。どうしたのか?」
「いや、お前さ。有給もとらずにずっと宇宙にいるじゃないか。大丈夫なのか?」
イリチィは稀によくある事案を恐れているのだった。
深淵を覗く時は、深淵に覗かれるという精神医学の故事は22世紀でも未だに有効だった。
「・・・いいさ。俺は宇宙が好きだから。あと、本もまだあるしな」
読みかけのペーパーブックを見せてやった。
「日本語か、なんて書いてあるんだ?」
「歴史かな。俺のご先祖様の話だよ」
イリチィが甲式宇宙服を着るのを手伝ってやる。
「ああ、確か・・・お前の実家ってすごい金持ちなんだっけ?」
「実家じゃなくて、親戚だよ。まぁ、コネでもらったのは確かだけどさ」
10年ほど前の話だ。
大学生の最後の年に俺は宇宙に行きたくてしょうがなくなった。
宇宙に行くために、遠い親戚に手紙を書いたのだ。
福島県の山奥に住んでいる保科一族は、それはそれはすごい金持ちで、宇宙発電の大手である東京電力の大株主だった。
宇宙のなのに東京というのも妙な話だが、東京電力は東京電力だった。
大株主というよりは、保科一族は遥か大昔に東京電力の元になった会社を造った創業者一族の末裔とも言える。
手紙を書いて送り、しばらくしてから呼び出しがきた。
呼ばれて行った先にあったのはとてつもなく巨大な屋敷で、どんな強面が出てくるのかビビってきたら、普通のおっさんが出てきて驚いたことを覚えている。
婆菓子とジュースでもてなしてくれたおっさんは、俺の話を聞くとこう言ったのだ。
「生きたいように生きればいい」
と、そうして俺は東京電力からの内定通知を受け取った。
配属先は俺の希望通り、宇宙発電所の船外作業員だった。
あれから10年経つ。
特に連絡はとっていないが、年賀状とお歳暮だけは送っている。
あのおっさんは一体何者だったんだろうか?
今更だが、調べてみようと思ったのだ。
そのために前に地球へ下りたときに、保科一族に関する本を買ってきたのだった。
それが今、手元にある。
「面白いのか?」
「どうかな・・・歴史が好きな人間なら楽しめるかも」
保科祥雲の人生はじつにミステリアスだ。
彼は多くを語らなかった。
書籍も保科祥雲に関わった人間があとから振り返って、外から彼らを見つめ直して、あとからこうだった、ああだった、という形でしか語っていない。
彼は100年先に必要になると信じたものを、100年後のために今日から用意しようとする。
その子孫も、同じことを繰り返している。
100年後に必要になるものを今日から用意する。
その100年後が来たら、次の100年のために100年後の今日から用意する。
そういうことをずっとずっと繰り返していた。
もちろん、全てが上手くいったわけではない。
荒唐無稽のままに終わったことも多かった。
しかし、中にはとてつもない成功を収めることもあった。
例えば21世紀の初頭に日本列島を襲った巨大地震に備えるために、100年前から保科一族は延々と準備を進めてきた。
結果、彼らは地震の被害を最小限に留めることに成功している。
自分達が大株主になった電力会社がつくる反応炉発電所を、来るかどうかも分からない巨大地震に耐えられる構造にしておくなんて、一体どういう発想なのだろうか。
まるで未来を予知していたように思えることもある。
ちなみに件の反応炉発電所は後始末が厄介な放射性物質が大量に発生するので、宇宙発電が始まると日本から全て撤去された。
昔は世界中に反応炉発電所が存在していたが、今では誰も使っていない。
いや、例外的にアメリカ人だけは反応炉発電所を使い続けている。
宇宙発電に一切、協力しようとしない彼らは必要な電気を得るために酷く危険な反応炉発電に頼らざるを得なかった。
有り余る宇宙発電の電力を使って海水を分解して水素を作り、それで車を動かすのが22世紀のスタンダードだが、アメリカでは未だにガソリンなんてものを使っている。
まぁ、アメリカ人がやることなんて、どうでもいいのだが。
保科もまた一般的な日本人の例に漏れず、感情的なアメリカ嫌いだった。
「そんじゃ、行きますか。忘れ物は?」
「カレーライス」
甲式宇宙服に身を包み、エアロックに向かう。
振り返って食べそこなったカレーライスを見た。
無重力炊飯器は炊飯完了まであと5分と言っていた。
まだご飯は炊けていない。




