chapter2
笑顔で、亜門先生が口を開く。
「じゃあ、持ち物検査をします......全員、そのまま動くな」
......え?
数週間前の、放課後の教室でのこと。
「先生、なんで持ち物検査とかあるんですか?」
僕は亜門先生と話をしていた。授業中は真剣な雰囲気をまとっているので、軽口を叩いたりはとてもできない。だが、授業以外の時には、割と気さくな先生なのだ。
「校則も無駄に厳しいし......もうちょっとゆるくても、いいじゃないですか」
「確かに、うちの学校の生活は窮屈だろうね」
「はなから校則を破る気がない人からすれば、抜き打ちの持ち物検査なんて、自分達が信用されてないみたいで面白くないですよ。それに、持ち物検査がなくたって、誰も学校生活に支障をきたす物は、持ってこないと思います」
「なるほど。校則を厳しくしなくても、学校の秩序は保たれる、と」
「はい」
「規則で縛らなくても、秩序が保たれる集団というのは、確かに素晴らしいものだ。できれば、私の学校の生徒にもそうあってほしいと私は思っている......でも、君は勘違いをしているよ」
亜門先生は何か書類を書きながら話している。平行作業ができる人なのだ。
「君の言う通り、校則を緩めたとしても学校の秩序は保たれると、私も思う」
「だったら─」
「でも、それは今現在、この学校に在籍している生徒に限った話だ。来年、入学してくる生徒は、その限りではない」
「......?」
「今、この学校にいるのは、厳しい校則で有名な、七七六中学校に入学したい、もしくは入学させたいという親の下、育った生徒であるということだ。
つまり、この厳しい校則のおかげで、そもそも入学してくる生徒の水準を高くすることができている」
「......」
「それで、さっき君の言った意見だ。校則を緩めても、学校の秩序は保たれる......確かにその通り。でもそれは、厳しい校則という我が校のブランドで、入学してくる生徒をふるいにかけた結果だ。もしも校則を緩くすれば来年、入学してくる生徒によって、この学校は崩壊するだろうね。
校則はね、君たちを縛る為にあるのではなく、将来、入学してくる生徒を縛る為にあるんだ」
「入学してくる、生徒を、縛る......」
「さらに言うなら、この学校は私立だ。もちろん国からの補助金はあるが、それだけではとても賄えない。生徒の親が払う諸々のお金のおかげで、正常な学校運営ができているというのが現状だ。
だから安定して毎年一定以上の生徒数を確保しないと、この学校は倒産するということになる。生徒数の確保の為にも、厳しい校則という、わかりやすいブランド名は必要なんだ」
「凄まじいほどの正論ですね......」
「正論。現代では、行き過ぎた正義のように言われることも多いけれど、私は結構好きだよ......感情論よりも、はるかにね」
と、いうやり取りを亜門先生とした。
中学生の生徒に、学校運営の在り方について真剣に説いてしまう所が、亜門先生の性格をよく表していると思う。
亜門先生の話を聞いてからは、この学校の窮屈さも、多少は受け入れることが出来るようになったけれど、それでも嫌なものは嫌だ。......これは感情論だろうか。
「全員、そのまま動くな。......学生鞄を、机に乗せて。机の中も、一応調べる。不審な動きをしたら、そういうことだと見做す......いいね」
静まり返る教室。
まあ、僕は学校に持ってきてはいけない物は、何も持ってきてないし、別にいいんだ─け─ど?
「盾、ほんまごめん......」
後ろの席で、ら門が小さく呟くのが聞こえた。
回想。
<あ、そうや、盾、レポートのお礼、お前の机に入れといたで>
<お礼?>
<今朝のエロ本>
今朝のエロ本。
今朝のエロ本。
今朝のエロ本!?
終わった......。
僕の学校生活終わった......。
卒業するまで、僕は百合好きの変態の汚名を背負って、(表紙を見るかぎり、3次元の百合物だった)過ごすことになるのか......。
亜門先生は、先生から見て左側の列から順に、持ち物検査をしている。
僕の列まで、あと間に2列しかない。
......死刑を待つ気分だ。
そのとき。
前の席に座っている間宮が、メモ用紙を渡してきた。
先生に気づかれないよう、目線は前に向けたままで。
なんだ?僕と間宮は、授業中に手紙のやり取りをするほど、仲は良くない。
メモ用紙には、
【エロ本を私に渡して。一生のお願い。お願いします。】
と、書かれていた。
......え?ん?え?は?
思考がフリーズする。
早く!というように間宮が、手を俺の方に伸ばす。
先生は......こちらを見ていない。
机からエロ本を出して、間宮に渡す。
ってダメだ!あまりの衝撃に思考がフリーズして、つい、渡してしまった。
このままじゃ間宮が......変態の汚名を被るなら、女子よりも男子の方が遥かにダメージは少ないはずだ。
今からでも僕に返して─
すると、「ありがとう」と、間宮が小さく呟くのが聞こえた。
......ありがとう?
どういうことだ。
どうして間宮が僕にお礼を言う?
メモ用紙にも、「一生のお願い」と、書いてあった。いや、お願いしたいのはこっちじゃないか?
間宮......何を考えているんだ?
駄目だ。先生はもう、僕の列に差し掛かっている。どうすることも出来ない。
さっきは死刑を待つ気分だったが、今は......。
間宮の番になった。
「間宮。それはなんだ?」
亜門先生が尋ねる。声のトーンは普通だ。いつもと変わらないように聞こえる。
「私の私物です」
「......どうして机の上に出してある」
「どうせ、見つかると思ったので」
淡々と答える間宮。
先生が、間宮の顔を見つめる。
静まり返った教室の静寂が、耳に痛い。
「......そうか。これは預かる。授業の後、理事長室に来なさい」
「はい」
微妙にざわつく教室。真面目なイメージのある間宮間愛が、持ち物検査でひっかかるのが意外なのだろう。
それから、亜門先生は間宮の学生鞄と、机の中を調べることなく僕の番になった。
当然、僕は何も咎められることはなく─その後、全員の持ち物検査が無事に終わった。ら門も、エロ本以外に危ない物は持ってきていなかったようだ。
まだ少しざわめきが残る教室で、亜門先生が手を叩く。
「はい。じゃあ、授業を始める。......宿題の答え合わせからやろうか」
ざわめきが消え、いつもの授業風景へと戻る。
「じゃあ、我我さん。問1を、途中式も含めて答えてくれるかな」
「はい。ルート63+ルート28=3ルート7+......」
いや、宿題の答えとかどうでもいい。というか、全然内容が頭に入ってこない。
どうしてだ。どうして間宮は、エロ本を渡して欲しかったんだ?
僕を庇う為?それはありえないだろう。
エロ本を持っていたのが、ら門なら、間宮が庇った可能性も、ないことはないかもしれない。
でも、僕は今まで間宮とは、ろくに話したこともない。
わからない......。
残りの授業時間は、この謎を考える為だけに、費やすことになった。
前の席に座っている間宮は、平然として授業を受けている......ように見える。
亜門先生の低めの心地いい声をBGMに、思考を巡らせる。
そう、例えばこう考えればどうだろう......。
授業終了のチャイムが響く。
脳を酷使したせいか、少し頭がぼんやりする。
......うん。
一応説明がつく仮説は、立てることができた。
確かめる方法も、あるにはある。ただ......
「間宮。一緒に来なさい」
亜門先生が間宮を呼ぶ。
間宮が先生に連れられて、教室を出る。
その瞬間、張り詰めていた教室の空気が一気に弛緩する。
皆口々にしゃべり出す。
おそらく、間宮の話題だろう。
「おい、盾!」
ら門が僕の肩を掴む。
「お前......なんでエロ本を間宮に渡してたんや」
「やっぱり見えてたか」
「当たり前やろ......それに間宮は自分の私物って......」
「落ち着け。それで、これを見てくれ」
間宮に渡されたメモを見せる。
「......」
黙り込むら門。
「どう思う」
「どう思うって......理解不能としか言われへん......取り合えず、間宮が濡れ衣を被ってしまったんや、俺が親父に謝りに行けば......」
「それは駄目だ」
立ち上がろうとするら門の肩を押さえる。
「授業中、ずっと間宮がエロ本所持の罪を被った理由を考えていたんだ。
......いくつか、考えついたことがある。もしもそれが当たっているなら、お前が本当のことを言いにいった場合、状況が悪化する可能性がある。だから、まず俺の仮説を聞いてくれ」
ら門の目を見て言う。
「......わかった」
「教室では話しにくい内容なんだ......屋上に行こう。寒いけど、その分人が少ないはずだ」
「ああ、今、昼休みか......弁当食う気にならんわ」
「一応持っていっとけよ......体育もあったんだし、本当はお腹空いてるはずだ」
「わかった......」
自分の昼食用にと、今朝コンビニで買った菓子パンの入った袋を手に、ら門と屋上へと向かう。
僕たちの学校の屋上スペースは、基本的に出入り自由だ。天気のいい日の昼休みなら、大勢の生徒で賑わう。
けれど案の定、この寒い日に屋上で昼食としゃれこもうなんて輩は、僕たちだけだった。
ら門と一緒にベンチに座る。
ら門にあんなことを言ったけれど、僕も食欲が湧かない。
何から話せばいいだろう。
もう一度思考を整理する。
「ら門。取り合えず1つ目、できれば、当たっていて欲しくない方の仮説から話す」
「......わかった」
「どうして間宮が僕にエロ本を渡す様に頼み、そして罪を被ったか。
言い換えるなら、エロ本所持の汚名を被ることで、間宮が得る利点は何か」
「利点?そんなん、一つもないやろ」
「ら門。思い出してみろ。間宮はエロ本を、堂々と机の上に出した。そして、こう言ったんだ......<どうせ、見つかると思ったので>」
「それで?」
「その言葉を聞いた亜門先生は、間宮間愛の机と、学生鞄を調べなかった。
この状況で、さらに何か持っているかもしれないから調べようなんて先生は、そうそういない......もちろん、調べられた可能性もあった。
多分、間宮は、調べられないことにかけて、エロ本を机の上に出したんだ......そして実際、それはうまくいった」
「......」
間宮間愛......見た目と違って本当に肝が据わっている。
人は見た目じゃない、か。この場合では意味が違うのかな。
「つまり、エロ本所持の汚名を被った代わりに、間宮は自分の学生鞄と机の中を調べられることを回避したんだ。となると、学生鞄か机の中に、エロ本よりも見つかったらヤバい物が入っていたことになる。可能性としては......」
この予想は外れて欲しい。
「犯罪関連の物になる」
「犯罪?それは、いくらなんでも......」
声が尻すぼみになる。
ら門も、ありえないことじゃないと思っているのだろう。
「簡単に思いつくものとしては......万引きした商品とかかな。さすがにこれは現実味がないけれど、麻薬って可能性も考えた」
「......」
意識的に明るい声を出す。
「まあ、これは一つの可能性だ。仮説はもう一個ある」
「なんや」
「ら門。ところで、間宮間愛のこと、どう思う」
「はあ?なんやそれ」
「いいから。どう思ってるんだ?」
「......クラスメイト」
「......それだけ?」
「他に何があるんや。仮説に関係ない話なら......」
「間宮はお前のことが好きだ」
「......は?」
「間宮は、お前のことが好きだ」
「......」
「間宮は、凱旋ら門のことが」
「わかった。仮にそうだとして、仮説とどう繋がるんや」
「例えばだ......間宮間愛の学生鞄に、お前へのラブレターが入ってるとすればどうだ。通学の時の電車で、今まで一緒になったことがないのに、たまたま今日一緒になったのも、お前にラブレターを渡す機会を探っていのだと仮定する」
「ほお?」
「ラブレターは、学生鞄を開けたらすぐに見えるところに......しかも、内容が見えるような状態でしまってあるとしよう」
「......」
「先生が入ってきて、持ち物検査を始めると告げる。このままではラブレターが先生に見つかってしまう。調べる先生が、凱旋亜門先生でさえなければ、間宮は何もしなかったかもしれない。でも、」
「亜門先生は、お前の父親だ」
「そういうことか......」
僕の声と、ら門の声が重なる。
「このままではラブレターが、渡す相手の父親に見つかってしまう。それくらいどうでもいいか、なんて思える人は少ないはずだ。僕は経験がないけれど、好きだという気持ちを本人に伝えるのに、想像を絶する勇気が必要なことくらいはわかる。告白する前に、気持ちが相手の父親にばれる......エロ本所持の汚名を被ってでも回避しようとしてもおかしくない」
一息ついて呼吸を整える。
間宮間愛......彼女はいつも無表情だ。感情をあらわにすることに、抵抗があるのかもしれない。そんな人間が、好きだという気持ちを綴った手紙を、渡す相手の父親に見られる。ら門がエロ本を持って来ていなかったら、鞄を持って教室から逃げ出したんじゃないかと思えるほだ。
「もういっそのこと、学生鞄から取り出して、服の中にでもしまおうか......いや、それはできない。僕らの学校の学生鞄はマジックテープで開け閉めするように作られている。あの静まり返った教室で鞄をあければ、音ですぐにばれてしまう。万事休すだ」
雪が降ってきた。
今年の初雪だ。
「その時、思い出す......そういえばエロ本を持ってきている人が後ろの席にいる。それを使えば、自分の学生鞄は調べられずに済むかもしれない」
「お前の仮説に、穴があるとすればそこやな」
ら門が異を唱える。
「なんでエロ本をお前が持ってると、間宮は知っていたんや?仮に、電車での俺らの会話を聞いていたとしても、持っているのは俺やと勘違いするんとちゃうか?」
「......お前が大声で叫んだんだろうが」
「え?」
喉を鳴らして、声の調子を整える。
<お前の机にレポートのお礼、入れといたでー>
<お礼?>
<今朝のエロ本!>
ら門の声真似は難しい。大阪弁もそうだが、僕よりだいぶ声が低いのだ。
「あの時、間宮に聞かれてたんだろ」
「あー......なるほど......声真似は全然似てないけど、納得したわ」
お互いに黙り込む。
雪が降りはじめてから、急に冷えてきた。そろそろ戻った方がいいかもしれない。
百合、全然いいと思います。
次で完結です。




