04
まだ太陽が地平線から顔を出したばかりの薄暗い時間。そうでなくとも、今日は分厚い雲に覆われて、太陽の光は差し込むことすらなく暗かった。そんな中、物音一つしない教会でぼんやりとステンドグラスを見上げる人がいた。
「こんな時間にくるなんて珍しいね。あんたはいつも寝坊の方が多いのに」
「病院でずっと寝てたから。さすがにね」
育て親でもあるシスターの声に、コンナは恥ずかしそうに笑いながらそういった。
「ココアでも飲むかい?」
「飲む」
即答すればシスターは分かっていたように、ホットココアを入れる。
「何かあったのかい? って、何かあるから来てるんだったね」
確かにここに来る時は何かしら悩みがあったりするが、そうはっきり言われると困ってしまうものだ。コンナは温かいココアに口をつけながら、苦笑をこぼした。
「色々ありすぎて、もう……」
きっとシスターは既にいろいろ知っているのだろう。昔の友人たちから情報を集めては、有益な情報を渡したり、渡す条件として時々お願いを聞いてもらっていたりしているらしい。
「作戦に関しては今日決めるらしいじゃないか」
「うん。あの死神とかいう人が持ってきた武器使える人のピックアップもされたみたいだし」
すでに連絡は来ている。今日中に連絡し確認する必要があるが、その候補に挙げられた人物が断ることはないので、特にそこで困ってはいなかった。一人を除いては。
「フィーネちゃんだっけ……あの子にも酷よね。まだ若いのに」
「シスター。ホントにどこからその情報聞いてきてるの……?」
笑うだけでそれ以上何も答えてはくれないが、昔からシスターの知り合いのほとんど重役たちであり、裏でいろいろやっているのは知っていた。たまにその情報網は恐ろしいとも思うが、シスターが優しい人だとは知っているし、横暴な力の使い方はしない。少なくともコンナの知ってる中では。
「受けるの? この話」
つまり、キャメリアが主力艦隊にはいるであろうことも知っているのだ。
「受けるよ」
当たり前のように答えるコンナに迷いはなかったが、不安の色は確かにあった。
「怖いなら、怖いって言ってもいいんだよ。コンナ」
優しい母のような声色に、コンナは笑うと、
「怖くないよ。私、運いいから」
なんの疑いもなくそう言い切った。その笑顔に、シスターは少し寂しげな表情で微笑んだ。
「あぁ。そうだね。その運の良さを、コンナの大切な人に少し分けておやり」
そうしたら、今度はきっとひとりぼっちにならないよ。そう続けられた言葉に、コンナの笑顔は消えていた。
王宮にはすでに作戦についての連絡は入っていた。そして、ミスズについても。
「ミスズが……そう……それで見覚えが」
顔立ちがそれとなく母に見せてもらった昔の写真に写っていた母の妹に似ていたのだ。そして、次に挙げられたのは、五本の触手を抑える役目である共鳴者としての能力が高い人。最も危険であろうと予測されているため、それなりの実力も求められているその場所に、フィーネの文字があった。
あくまで候補に上がっているだけだ。断ることもできるだろう。
「……フレイ」
「はい。なんですか?」
聞き辛そうにするシルヴィアに、フレイヤはいつもと変わらない笑顔で聞き返した。
「フィーネが……」
「……そればっかりは、口は出せませんから」
どんな答えを出しても、否定しないことだけがフレイヤに出来ることだ。
ドックに入ると、機材に隠れているフードをかぶった少女がいた。その子は目が合うと慌てたように辺りを見渡すが、どこにも身を隠す場所はない。その様子はどう見ても不審者で、本来なら通報もしくは捕まえるべきなのだが、フードから見えたその姿によく似た人物を見たことがあった。
少し考えたあと、コンナは見なかったフリをして船へと向かう。少女は驚きながらも、人目を気にしながら外に走っていったのだった。
「まぁ、故郷だし……」
見逃したのは自分だが、今更ながらにダメだったかもしれないと思いもしたが、終わったことだと気を取り直してキャメリアに向かった。すでに、ジルやクロスが整備などの報告書を確認しているところだった。
「おはよう。コンナ。具合はどうだい?」
「そんなにひどいケガじゃない」
「倒れた人がなにいってんだい」
「まだ会議までは時間があるぞ。何しにきた」
真面目に書類整理を行なっているクロスに、コンナとジルは目をやると、ジルは少しだけ眉を下げる。
「色々こき使われてるんだよ。伝書鳩みたいに」
「共鳴者のリストか」
「そうそう。スレイとナギが選ばれてるから、一応伝えに来たんだけど……まだみたいだな。まぁ、断らないだろうから別にいいけど」
「そうか。なら、後で来てから伝えておく」
「……それから、共鳴者が二人ってこともあって、この船は主力として殴り込みの部隊に入ることになることが言われてる。だから、部隊の再編成の必要があるんだが」
「あぁ、そうだ――」
「とりあえず、クロス。お前は今回の作戦ではこの船から降りろ」
はっきりとしたその言葉に、ようやくクロスは顔を上げ、コンナを見た。その目は驚きで見開かれている。
「総指揮を誰が取るかはまだ決まってないが、それぞれが独自に動くことはないだろうから、参謀が一人欠けたところで問題ない」
「そういうことじゃない。いきなり何を言ってるんだ。お前は」
驚いて聞き返すクロスに、コンナはため息混じりに言った。
「無理して来る必要はないって言ったんだよ」
「無理なんて……」
「気づいてない訳がないだろ? アレ以降、アンタ妙にしょぼくれちゃって、みんな心配してたんだよ」
ひとつの言葉に対して、倍以上の皮肉を返してくるクロスが、キャメリアが落ちてからというもの皮肉のひの字すら無くなってしまったものだから、クロスを知っている人ならば本調子でないことなど簡単にわかる。
年を考えればそれも仕方ないことかと、誰もそれについてあえて触れることはしなかった。コンナを除いては。
「そんなわけで、話はこっちで通しておくから」
あのコンナですらクロスのことを心配していた。ただコンナの場合は、おそらく自分が原因であろうということを自覚し、引け目を感じているところもあった。
それにコンナだけではない。はっきりと言葉にしたのがコンナだったというだけで、言葉にしないだけでみんな同じような空気を出していた。
「……ハッ」
そんなあからさまな態度に気付かなかった自分への嘲笑か、それとも本当におかしなことがあったのか、クロスは笑った。
「戦闘しか頭にないようなお前らに気を遣われたなどと考えただけで、全身に鳥肌が立ちそうだ」
嫌そうに、しかし確かに笑うクロスに、コンナもジルも苦笑いしかできなかった。それなりの付き合いだ。これが嘘か本当かなどとはわかる。
「この程度で降りるなら、お前の参謀なんてやってない。まぁ、やめた参謀の人数の記録を更新をできないのは、非常に残念だが」
「新記録を作るのに協力してくれるなら歓迎するよ?」
「今は、継続記録の更新に務めてやろうじゃないか。脳筋ロリコン艦長殿」
「また参謀探しで手間取らなくて助かるよ。クソガキ殿」
普段通りの会話にジルは安心しながらも、もう少しまともな会話ができないものかと、一人ため息を漏らしていた。
作戦はランスロットの持ってきた五本の杭を触手に穿つことで、黒竜の核である黒玉を露わにし、その黒玉をミスズが破壊するという、言葉に表してしまえば簡単な作戦だった。
現在、その杭を穿つ役目として決まっているのは、キャメリアからはスレイ、ナギの二人、アネモネからガイナス、グラジオラスからライルと四人だった。あと一人必要なのだが、これがまた難しい問題になっていた。
能力が高い共鳴者は、王立騎士団に多く存在する。しかし王立騎士団はこの作戦が失敗した時のために、誰一人手を貸してくれる人はいなかった。だが、それは建前で、ランスロットが妹君の殺害という大犯罪を犯しているため、協力をしたくないというのが本音だった。
そのため、次に挙げられたのはまだ実践経験の浅いフィーネだったのだが、同じ病院にいたということでコンナが聞いてきたが断られた。
「正直、このフィーネさんがふたつの謡でも、体に支障なく共鳴できる限界だとは思うんですけどねぇ……」
これが断られたのなら、まさしく捨て駒扱いになる人物が選ばれることとなる。アネリアも難しい表情をしていた。
「ふたつの謡?」
クロスが驚いたように聞けば、ギリクもジーニアスも同じ言葉に疑問を抱いていたらしく、同じようにランスロットを見つめる。
「知りませんか? 王族に伝わる“護リ謡”」
王族のしかも直系にしか伝えられていないその謡は、本来リンネの神子に伝わる廻リ謡と共に謡われていたと言われていた。その聖なる音の力はまだ地を這う者がいなかった時代に発揮されていたと考えられており、その力が弱まった為に地を這う者が地表から現れたものとも伝えられている。
本当にそうだったのかどうかは別として、そのふたつの謡が重なり合った時、聖なる音の力が上がることは事実であり、現在、最も高い力を出すことができる方法だった。
「つまり、王族の誰かを乗せるということですか?」
それこそあと一人の共鳴者を探すよりも難題ではないかと思ったのだが、そのギリクの疑問に意外にもコンナが思い出したように声を上げた。
「そっか。お前、知らないのか」
「何をだよ」
「妹君、混乱を避けるためにこの人に殺害されたってことになってるけど、本当は誘拐……というか、合意の上での誘拐になんだよ」
「……は?」
それはギリクだけではない。クロスも同じような反応をしていた。ジーニアスも苦い表情をしていた。ただ別の意味でランスロット以外も驚いていた。
「一応、箝口令が敷かれているんだが、コンナ。どうしてそれを知っているだ?」
「元筆頭騎士いるんですよ?」
何かめんどうになってはいけないと、あらかじめ配属されてきた時に全て話は聞いていた。そして昨日、もう一度、その話をもっと詳しくされた。それは一種の命令違反ではあるため、上官も難しい表情でコンナを見ていたが、
「久々に教会に顔出してきたんですけど」
「今、関係ない話をするべきではないだろ。まぁいい。艦長であるなら、部下の詳しい事情を聞くこともあるか」
信用がおけるからこそ、詳細な情報をシスターに流していた。というよりも、同期であの教会にまでやってくる程の仲であり、かつ今だにシスターが情報の仲介役として仕事をしているというのが大きい。それ以上の個人的な昔話もシスターから聞いていたが、こんな場所で出すほど野暮ではない。
ランスロットは思い出したように、コンナを見るとひとつ質問をした。
「スレイと仲良くやれていますか?」
「それなりには」
「そうですか! それはよかった。いやはや……彼には大きな迷惑をかけると分かっていたのもですから、私もギリギリまで誘ったのですが、結局最後まで首を縦には振ってくれませんでしたから。これでも少し心配してたんですよ? 仲良くやれてるようならよかった」
心底安心したように笑うランスロットは、少しだけ寂しそうに眉を下げた。
「もう私の顔すら見たくないでしょうからね」
「そこまでは聞いていませんが。でも、あなたとは護りたいものが決定的に変わったから、一緒には行けなかったって言ってました」
スレイらしいと過去の彼のことを思い出しながら、自嘲気味に笑い、それを言ってしまってよかったのか聞いてみれば、コンナは笑った。
「口止めはされてないし、なんなら昔の恨みを代わりに晴らしてこようかとも聞いたけど、大犯罪者とはいえ、今殴ったら軍法会議ものだから、あとで自分でぶん殴るって言ってた。だから、覚悟しておいたほうがいいですよ」
それは本当に楽しそうな笑顔で、ランスロットも引きつった顔と乾いた笑いしか出てこなかった。
「つまり、シリカ第二王女は生きてるってことか?」
ギリクが確認すれば、頷き返された。
「なので、王族の協力の心配はありません。共鳴者の方が問題です。それとも、私の昔話が気になって仕方がありませんか?」
正直にいえば、気になる。しかし、今はそんな自分の好奇心ではなく、軍人として役目を果たす方が重要だ。共鳴者がいなければ、黒竜を倒すことは一段と難しくなる。しかし、捨て駒を作るのは避けたい。
「もう一度、王立騎士団も含め協力を仰ぐしかありませんかね」
「訓練生からも探してみよう。そのほうがまだいいだろう」
誰かが確実に聖なる音に殺されるよりも、まだ戦いなれないだけの方がいい。
「考えるのは結構ですが、時間は少ないと思ってください」
黒竜の巣はウィンリアのすぐ傍。時間に余裕はなかった。
ズルダはソフィアが目を覚ましたのを聞くと、すぐに病院に向かった。先にフィーネやミスズがいると思っていたが、そこにいたのはソフィア一人。
「あいつらは」
「フィーネは私が起きた時からいたけど、コンナ艦長に呼ばれてからすぐに帰ったわよ。ずっといたみたいだし……ミスズはさっき来て、今の状況を教えてくれてもう帰った。アンタがビリ」
困ったように頭をかくズルダに、ソフィアはわざとらしく大きくため息をついた。
「あーぁ! リーダーが一番大怪我ってかっこわるーい! ギリクさんに呆れられたらどうしよう……」
「結局そこなんすか……」
「当たり前でしょ」
ソフィアは小さく息をこぼすと、窓の外を見た。
「なんか、すごい大変なことになってるみたいね。フィーネもミスズもあんまり顔色よくなかったわよ。アンタ、何か知ってる?」
さすがにチームが同じこともあり、ミスズが今回の作戦で重要な役割であることは聞いていたが、それ以上のことは何も聞かされていない。
「コンナ艦長の話、少しだけ聞こえてたんだけど……フィーネ、今回の作戦に参加しないって」
「なっ!?」
「たぶんそんな話だったと思う。壁越しだし、はっきりと聞こえたわけじゃないけど」
勢いよくドアの方に向いたズルダを呼び止めれば、怒鳴るように反論してくるズルダの言葉をそれ以上の声でソフィアははっきり言った。
「でも、元々俺たちが頼んで――」
「だから無理強いはするなって言ってるの!」
その気迫にズルダは声も出せなくなっていた。
「時間がないことはわかってる。でも、少しくらい考えさせなさいよ。あの子はちょっとアホでも、純粋で優しくて、すごく怖がりなのは、アンタの方が知ってるでしょ」
ズルダはソフィアから視線をそらすと、ベッドの傍らに置いてあった椅子に座った。
フィーネは人気のない路地の階段で一人座っていた。コンナに作戦について聞いていたが、すぐに頷くことはできなかった。目を閉じればもういない仲間のことや、ソフィア、そしてあの時目があった黒竜の黒々とした目が全てを塗りつぶしていく。怖かった。恐怖から身を守るように、自然と膝を強く抱え、浮かぶ光景を消し去るよう目を強くつぶる。
「あの……」
そんな暗闇の中に声が響いた。ゆっくりと顔を上げればフードをかぶった少女が心配そうにフィーネのことを見ていた。
「お腹、痛いの?」
「へ? あ、いや! 大丈夫! うん! お腹は丈夫だから!」
心配させてしまったかと、慌てながらもお腹を叩いて見せれば、少女は笑ってフィーネの横に腰掛けた。
「ここもいい眺めだね」
「あ、うん。そうだね。いいスポットだよね。ここ」
「よくくるの?」
「うん」
付近の高い建物のおかげで少し窮屈なように感じるが、その先には広大な砂海が広がっていた。
「なにかあった?」
「え?」
「元気がないみたいだから……あ、別に勘違いとか、言えないことならいいんだけど……」
困ったようにフードの下の表情が変わり、頬をかくが、フィーネは目を伏せる。
「……怖いんだ」
少女が驚いてフィーネを見たが、フィーネは足元を見たまま、ぽつりぽつりとこぼし始めた。
「やらなきゃいけないってわかってるのに、体が……心もついてきてくれなくて、こんなだからいつまで経っても強くなれないんだよね」
呟くフィーネの耳に入った「アタシも」とという言葉に、少しだけ顔を上げて少女に視線を向けた。すると、少女はフィーネに微笑みかけていた。
「アタシは見てみたいものがあって、でもそれはできないって言われたんだ。自分じゃ、結局何もできなかったけど、あの人が全て捨てる覚悟があるならそれを叶えましょうって……それで、願いを叶えてもらった。自分のわがままばっかりで、結局みんなに迷惑かけてばっかりで……お姉ちゃんにだって……」
後悔とか懺悔だけじゃなく、フィーネのように悲しんで怖がっている人をこれ以上戦わなくて済むように、終わらせようとその気持ちはなによりも大きかった。
「だけど、今のアタシにしかできないこともある。だから――――」
しかし、フィーネにはそんな少女の言葉より、目の前のフードをかぶっている少女の顔に驚きを隠せなかった。同年齢であるからこそ、よりその人のことを覚えていた。
「あ、え、うそ……」
「?」
その少女のことをフィーネはよく知っていた。まさかと、その名を呼びかけようとした時、後ろから自分の名が呼ばれ、二人で振り返れば、不思議そうにこちらを見るミスズは、フードをかぶった少女を見て少し驚いていた。
「シリカまで……?」
ミスズの口から出てきた名前は、先程自分が呼びかけようとしていた名前そのもので、フィーネは勢いよく隣を見れば、シリカと呼ばれた少女は笑顔をミスズに向けていた。
「ミスズ!! 久しぶり!」
「久しぶり……いるとは思ってたけど、フィーネと一緒にいたんだね」
「フィーネっていうの? 二人共、友達だったんだね! よろしくね。フィーネ」
笑顔で呼びかけるシリカにフィーネは驚いたまま固まっていて、ミスズも不思議そうに首をかしげていればようやく小さな声で、
「い、妹君……?」
ようやく呼べた名前に、ミスズとシリカは別に意味で驚いた。