ホワイトノイズ

第２楽章 奏者の庭

03

　艦長とはいえ、ウィンリアにいる時の執務室はそれほど大きくはない。もちろん、船の中に比べればずっと広いが。

　グラジオラスの花の立て札がかけられた執務室で一人、黙々とギリクが報告書の整理を行なっていると、机に暖かいコーヒーが置かれた。

「お疲れ様です。ギリクさん」

「あぁ……サンキュ」

　微笑む女は、グラジオラスの船員であるティファだ。今日は休暇であり、それを肯定するように私服を着ている。

「休みなのに来たのか？」

「先程、ジーニアスさんからギリクさんが仕事をしていると聞いたもので、何かお手伝い出来ることがあればと」

　言葉だけ聞けばとても上司思いの部下の言葉にも聞こえる。だが、

「あぁ……！　そんなに見つめられると、私なんだか体が火照って……！　そもそも、部屋にギリクさんと私だけなんて……！」

　少々、変態な節があった。ギリクはいつも通りのティファを無視して、コーヒーに口を付けると、ドアの方へと目を向けた。

「……ジニーか」

「なんていうタイミングで帰ってきてんですか!!!」

　恐ろしい形相で振り返ったティファだったが、そこには誰もいない。騙したのだ。

「……そんなお茶目なところも大好きですので、問題ありません!!　愛してます！」

「やめてくれ」

　何度も告白され、そのたびに今は恋愛に興味がないと断っているのだが、だったらいつか興味が出るまで愛し続けると言い切られてしまい、すっかり会話を逸らす、無視するのにも慣れてきた。

　仕事はグラジオラスの防御を主とする隊の隊長なだけあり、実力はあり、部下からの信頼も厚いのだが、時々こうしてハメが外れるのは困りものだった。

「恐ろしいことするなぁ……」

　ドアの外で、ため息を漏らすジーニアスは静かに入るタイミングを図るために中の様子に耳を傾けた。

***

　ミスズとフィーネは訓練場に来ていた。いつもなら、まばらに散っている人だが、今日は一ヶ所に集まっていた。

「なんだろ？」

　不思議に思い、人の隙間からその中心をのぞき込もうとすれば、横から腕を引かれる。

「リーダー！」

　腕を引いたのは、ユーリだった。ユーリは何も言わずに、フィーネとミスズが見えるように体をずらせば、ようやく中心の光景が見える。二人の打ち合いのようだ。使っているのは二人とも槍であり、片方は見知ったライル、もう片方は前の戦いでフィーネたちを救った男だった。

　実戦顔負けの一歩も譲らない攻防が続いている。

「すごい……」

「さすがに騎士の家系は違うな」

　騎士の家系というのは、貴族であり、共鳴者としての血筋を色濃く残している家系のことだ。幼い時から教育を受け、ほぼ全員が王族の警護である王立騎士団に入る。ライルも騎士の家系の一人だった。

　だが、長男でなければ、ライルのように討伐部隊の筆頭騎士として王立騎士団に入らないことも多い。

「あっちの人も騎士なの？」

「あぁ。スレイっていえば有名だが……って、二人とも知らなかったのか？」

　たびたび見かけてはいたが、顔以外全く知らなかった。ユーリが言うには、あの男はスレイといって色々と有名な実力者らしい。

　結局、その試合はライルが負けた。徐々にまばらになる人に混じり、ミスズたちも二人から離れていく。

「でもよォ……騎士だ。騎士だって、少し騒ぎすぎじゃねェ？」

「あ、ズルダいたんだ」

「んだとォ!?」

　試合を見ずに離れた場所で座っていたズルダに、フィーネが正直にそういうと、すぐにズルダは怒り出しフィーネがからかい始めると、ユーリは呆れたように大きなため息をついた。

「全く……実力者同士の戦いを見るだけでも得るものはあるっていうのに」

　ユーリは誘ったらしいのだが、何が嫌なのか見る気がないと押し切られてしまったらしい。

「だいたい、俺、槍じゃねェし」

　ズルダの武器は、より近接武器に近い腕に装着するタイプの短い剣だ。間合いの取り方から違うのだと、そういう主張をしているが、ただのわがままにしか聞こえなかった。

「じゃあ、実際にやってみるか？」

「！」

　ニヤリと槍を肩に担ぎ、ニヤリと口端を吊り上げて笑うスレイは、騎士という感じではない。むしろ、獲物を見つけた獣のようだ。そのスレイの後ろで、ライルも驚いた様子でこちらを見ていた。

「見るのが嫌ってんなら、実際にやってみんのが早いだろ？」

　すでに断れる雰囲気ではなく、ズルダが腰を上げようとした時、

「スレイ殿！」

　慌てたライルの声に、スレイは振り返ったが、ほぼ同時に吹っ飛んだ。

「うわっ!?」

　転がってきたスレイを慌てて避けたミスズが、なにかと顔を上げれば、先程までスレイが立っていた場所に、飛び蹴りを見事に成功させ、嬉しそうに着地したコンナがいた。

「なかなかうまくいったんじゃね？」

「何がだ!!　あぶねェだろ！」

　さすがというべきか、完全に死角だったというのに、ほぼ完璧に受け流していた。しかし、文句を言われているにもかかわらず、見事なまでの無視して、コンナはライルに文句を言っていた。

「それにしても……ライルも黙ってていったのに、バラシやがって……」

「すまん。しかし、あの位置はさすがに危険だ」

「大丈夫だよ。あいつ頑丈だから」

　苦笑いのライルは、コンナの元に近づくと笑みをこぼした。

（やっぱり、この人だ）

　元々、常に誰に対しても優しげな笑みを作るライルだが、今はいつも以上に柔らかい笑みをしている。

「……嬢ちゃんにぶつかりそうになったんだぞー」

　足元で吹き飛ばされたまま座っていたスレイが、小声でそっと呟けば、

「悪いな。ミスズ。怪我してなくても、骨折だって言い張ってそいつから慰謝料ぶんどっていいから」

「謝る相手違ェだろ!?」

　すぐさまミスズには謝ったコンナに、ミスズも苦笑で大丈夫だと言ってスレイを見れば、やはり聞く気がないコンナに大きくため息をついて、目だけで「ひどいだろ？」と訴えかけられた。

「で？　艦長ともあろう御方が何しにきたんだよ。訓練なんてする役柄じゃねぇだろ、艦長様はよ」

　先程までの文句も含めてなのか、皮肉混じりの言葉にコンナはスレイに笑いかけると、

「ねーなんでもいいから、武器貸して？　出来れば、こいつの頭、一発で叩き割れる斧とか」

「お、やるか？　上等だ。書類仕事に必要ない筋肉、全部剥ぎ取ってやるよ」

　キャメリア艦長とスレイの殺気に、全員が動揺して遠巻きに不安そうな眼差しを向けられる。ミスズたちもまた一触即発の二人の雰囲気に、頬をひきつらせていた。

「二人共、冗談と取りにくい冗談はやめてください!!」

　ただ一人、慣れていたライルが慌てて冗談だと言えば、遠巻きで見ていた人も含め、全員が安心したように息をついた。しかし、冗談という割には、先程までの二人の目は本気だった。

「へいへい……んで？　お前、こんなほかの奴らが多い時間にくるなんて珍しいじゃねぇか」

　先程までの空気はどこへ行ったのか、スレイとコンナの間に漂っていた殺気は既にない。

「たまには気分が変わった。っていったらどうする？　付き合うか？」

「別に、付き合うのは構わねぇけど」

　驚きながらも槍を担ぎ直すスレイだが、コンナは武器も持っていない。訓練をする気ではないのことはすぐにわかる。

「で？」

　訓練でないなら、何か用があるのだろう。コンナから何かしらの連絡が必要な人物といえば、この場ではスレイくらいだ。

　そろそろ冗談も終えて本題に入ろうとすれば、コンナは指でちょいちょいと耳を貸せと仕草をした。スレイも素直にその長身を屈め、耳を寄せると、近くにいても聞こえないような小さな声でそれを伝えると、スレイは眉をひそめた。

「そりゃできるが……今度は何する気だよ」

「ちょっとした調べものだよ。できるなら頼むよ」

「期限は？」

「早め」

「了解」

　なんとも大雑把な話だが、慣れたようにスレイはすぐに頷いていた。

「んじゃ、試合は今度だな」

　スレイはズルダに後ろ手に手を振り、ライルの肩を軽く叩くと行ってしまった。

「いったい、何を……？」

　過去のことがあるからか、少し不安気な表情でコンナに問いかけるが、呆れたようにため息混じりに返す。

「それじゃあ、内緒話の意味ないだろ」

「そ、そうだな……」

　じっと見つめていたフィーネに、さすがに気がついたのかコンナが何かと聞けば、

「艦長って、訓練とかするんですか？」

　確かに艦長が訓練している所を見たことがなかった。それ以前に、戦う状況というのが思いつかない。もちろん、学校では訓練はしているため、戦うことは出来るだろうが、どうしても実戦になれば、船にいるため、直接戦うことはほとんどない。

　フィーネが不思議に思うのも無理がない。

「そりゃ、少しはするさ。ただ深夜とか、人が少ない時間だったりするけど」

「ギリクさんも？」

「朝、ランニングしてるじゃん。あいつ」

「えぇ!?」

「日の出前ぐらいだけど……訓練もライルとやってるんだろ？」

「あぁ。よく知ってるな。会ったことないよな……？」

　見かけたことがないというのに、見事に言い当てるコンナに驚きながらもライルが頷く。

「消去法だ」

　どうせやるなら、実力者とがいいし、事情を分かってくれる相手で、時間に多少の融通が効くとなれば、ただの船員よりも友人などといった、それなりの知り合いでなければいくら艦長とはいえ頼みにくい。

　そんな相手が、ギリクの周りにはライルくらいしかいない。

「さて……私も仕事あるし、戻るよ。訓練、がんばれ」

　コンナも、早々に出ていってしまった。

***

　その後、フィーネとミスズが街の見回りをしていると、突然腕を掴まれ、

「ちょっと付き合って！」

「へ？」

　それだけ言われ、フィーネは路地に連れさらわれた。一瞬の出来事に、ミスズもしばらく唖然としていたが、すぐに慌てて追いかけた。

　連れ込まれたのはファミレスだった。店の隅の席で二人の先輩であるソフィアは、小声で二人に問いかける。

「アンタたち、グラジオラスに乗ったのよね？」

　真剣すぎる表情にフィーネも驚きつつも、頷く。

「その……どうなの？」

「何がですか？」

「艦長って、やっぱり、頼りになるというか……船の雰囲気がいいというか……」

　もじもじと言いづらそうにいうソフィアに、ようやく二人は悟った。

「転属するつもりなんですか？」

　共鳴者も転属を願い出れば、所属したい船に乗ることもできる。ほとんどの場合は、奏者との相性を確認しつつ、艦長と合うかといったところで決めることが多い。

　転属自体はまったく不自然なことではない。強い軍艦に乗るためには、それなりの実績が必要であり、そのために一時的に、と考えている人もいるのだ。

　そのため、フィーネの言ったことはごく普通ではあるが、ミスズは隣で思わぬ発言に驚いていた。

「え、転属？　あ、そ、そうね……絶対ってわけじゃないけど、それもありなんじゃないかなって考えたりも……しなくは……あ、でも、やっぱり……」

　それはどうやらソフィアも同じだったようで、フィーネに合わせるように言葉を続けるが、最後の方は尻すぼみになっていた。

「先輩？　どうしたんですか？」

「……あの、先輩、間違ってたすみませんが、ギリクさんのこと好きなんですか？」

　これ以上フィーネに任せていたら話が進まないと、ミスズが正直に聞けば、二人は見事に固まり、そしてフィーネが驚いた。

「えぇぇええ!?」

「ちがっ!　違くて……!!」

　だが、顔を真っ赤にさせて腰を浮かせたソフィアは、周りの席の客が驚いたようにこちらを見ているのに気がつくと、ゆっくりと座り壁の方へ顔をそらした。さすがのフィーネもそれに、本当のことなのだと気がつくと、ミスズに寄りかかり小声で言った。

「よくわかったね……」

「まぁ……」

　結構わかりやすかったと思うのだが、フィーネはその辺、鈍感なところがある。しかも、その上で物凄く素直で正直だ。

「告白するんですか？」

　こうして簡単に聞いてしまえるくらいに。

「へっ!?　告白!?　そんなの！　そもそも、私のこと知ってるかどうか……」

　確かに船すら違うのだから、知っているほうが珍しい。知らない人から告白されたところで、返事など目に見えている。

　ただ仲のいい先輩だからということもあって、このまま放っておくというわけにもいかず、何か方法を考えようと、根本的な所に向かった。

「じゃあ、今からギリクさんに会いに行くとか」

「他の艦長に用もないのに、会えるわけないでしょ」

　呆れたようにいうソフィアに、フィーネも確かに、と今更ながらに自分の作戦を諦め、別の作戦を考えようとした時だ。隣から、出来るかもと言う声が聞こえた。

　昼過ぎのこと、ペンを動かしていると、ノックの音が響く。

「どうぞ」

「失礼します」

　入ってきたのはミスズだった。その隣には、覗くような仕草をするフィーネ。

「お前らか。どうかしたか？」

　船員ではないが知り合いであり、少し前まで自分の船に乗っていたこともあり、二人のことは知っている。そして、ミスズがわざわざここに来るような理由は、おそらく参謀のジーニアスに関わることだということも、予想が付いた。

「ジー君にお昼、買ってきたんですけど」

「あいつなら、まだ会議が長引いて帰ってきてないな。その机に置いといてやれ」

「はい」

　ミスズがジーニアスの机に袋を置いていれば、ティファが珍しそうに目を細めた。

「それにしても、よくわかったわね。ジーニアスさんが、お昼食べてないって」

　普通なら、この時間に昼食はすでに終わっている。連絡がなかったところを見ると、突然買ってきたように思えた。

「昨日、会議で昼が食べられなかったって言ってたんですよ。それで、今日もそれだったらかわいそうだと思って。それで、さっき聞いたら会議が長引いてるって聞いたので」

「ふーん……あなた、いいお嫁さんになりそうね」

　微笑むティファの前には、珍しそうにティファの服を見るフィーネがいた。

「……なに？」

「ティファさんもおやすみなのに、出勤ですか？」

「どうせなら、艦長とお昼をご一緒しようと思って。誘いに来たのよ」

「それなら、適当に済ませるから大丈夫だ」

「……そういわずに」

　何故か静かな戦いが始まり、ミスズとフィーネが不思議そうに首をかしげた。しかし、その戦いも突然終わると、ギリクがドアの外にいるソフィアに目をやると声をかけた。

「お前、アネモネのところのだろ？　何かようか？」

「え!?　あ、いえ!!」

　突然声をかけられ、用はないと身振りだけでなんとか伝えるが、それではなおさらここにいる理由が謎になってしまい、ギリクが眉をひそめると、フィーネがソフィアを中に連れてきた。

　その間も、慌てるだけで何も言わないソフィアに、フィーネもミスズも心無しか困ったような表情をしていた。ただギリクの横で、じっと何も言わずに、ソフィアを見定めるような目をするティファがいた。

「ソフィア先輩、先輩なんですよ！　私とミスズの！」

「へぇ……」

「たまたまそこであったんで、連れてきちゃいました！」

　かつて部下であった姉と似たようなことを笑顔でいうフィーネに、本当によく似てると思いながらも注意だけはしておく。

「ここは遊び場じゃねぇぞ」

　しかし、本気で怒っているわけではないのは全員が分かっていた。

「こいつが後輩じゃ、何かと大変だろうが、がんばれよ」

「!!　はい！　がんばります！」

　ようやく発した言葉に、ギリクも少し驚きながらも小さく笑みを作ると、なお一層ソフィアの笑顔が深まった。

　その後ろで、嬉しそうだなぁと小さく笑うミスズと、なんだかおもしろいことになってると、部屋の中の様子を微笑みながら見るジーニアスがいた。