悪魔の囁き
ミントグリーン色の外壁。収納の多いキッチンに、色素の薄いフローリング。観音開きの窓……。
彼はどうして、こんなにも私の好みに合う物件を探して来られたのかと、とっても不思議だった。よくよく考えてみると、私が前に住んでた部屋の様子や、あの夜、ぽつりぽつりと話した中に散りばめられていた私の好みを、1つ1つ拾い集めて考えてくれたんだと思う。
私がその部屋を、一目で気に入ってしまったことは言うまでもない……。
そして、最初は完全に個室化していたそれぞれの部屋の、境界線が薄れていくのにそれほど時間はかからなかった。一室にはタンスやクローゼットを固めて置いて、もう一室は二人の寝室になった。
それからおよそ2年間、私達は一緒に暮らしてきた。
最初の頃は一緒に買い物に出かけたりしていたけど、翔がどんどん有名になっていくほど…一緒に出掛ける回数は減っていった。私のせいで翔の仕事に迷惑がかかるなんて、考えるだけで嫌だったから。
出かけるときは別々だけど、家では一緒にいられる。……今の私には、それでじゅうぶんだ。
そして、そんな日々がずっと続くと信じていた――。
*
「ご注文はお決まりですか?」
なんだか、オーラのある女性だと思った。お店に入ってきたとたん、歩き方からして違うお客さんに、周囲は少しざわめいた。
その女性は帽子を深く被っていて、顔は見えない。けれど、真紅の口紅を塗った唇がとても印象的だった。つい唇を見つめながらオーダーを待っていると、ふいにその口の端がくいっと持ち上がった。
「…橋元亜紀、さん?」
「え……」
どうして、私の名前を…?名札で名字はわかるけど、下の名前まで…。
不審に思っていたら、女性は1枚の写真をすっとテーブルの上に出した。これは、私と…翔。
この女性は、一体…?
「ちょっと、来て」
女性に強く腕を引かれ、店の裏口から外へ出た。路地裏の壁に背中を押しつけられ、女性がずいっと詰め寄ってくる。
そして、女性はゆっくりと帽子を脱いだ――。
「……坂上、唯…?」
芸能界に疎い私でも、彼女のことは知ってる。ファッションショーにも毎回のように出ていて、世界的にも有名なモデルだ。最近は女優業もしてるんだっけ。
「私が前に翔とつきあってたことはもちろん聞いてるでしょ?でも私、別れたつもりなかったのよね。翔が出て行っちゃって、ずっと探してたんだけど……まさか、あの翔が別の女のところにいるなんてね。…あ、そうだ。私達、今度同じドラマに出るのよ。私の役は、翔演じる佑人が叶わぬ恋をする相手…アキ」
「………」
この人と翔が、つきあってた…?と、いうことは、前に一緒に暮らしてた女性って、この人なの…?
少し前に、「ヒロインがアキっていうドラマに出るから、練習つきあってね」って、翔が言ってたのを思い出す。その「アキ」が、元カノ…。
「あれ?もしかして、何も聞いてなかったの?一緒に暮らしてるのに、何も知らないのね」
「………」
それまでニヤニヤと笑っていた顔が、急に真顔に変わる。
「黙ってないで、何とか言いなさいよ。小さなカフェの店員のあなたと、芸能人の私。どっちが翔につりあうかなんて、言うまでもない…。この意味、分かるでしょ?」
そして、彼女は私の耳元に口を近づけ、ぼそりと低い声で囁く…。
「翔と、別れろ」




