番外編*ナイショの夜
俺と亜紀が、「同居人」から「恋人同士」になったのは、一緒に暮らし始めてから半年ぐらい経ってからのことだった。たしか、それまでにもなんとなくその気配があって、もう少し押せばそういう関係になれたのかもしれない。けれど、俺はそれをしなかったし、亜紀も必要以上に俺に近づこうとはしなかった。そうすることによって、関係が壊れてしまうのを恐れていたんだと思う。1番近くて、1番遠い。じれったくはあったものの、そんな関係も俺は嫌いじゃなかった。
―――2人の関係性に転機が訪れたのは……まだ少し肌寒い、春の初めのころだった。
亜紀の22回目の誕生日。彼女は出勤日で、友達とも予定が合わなかったらしく、誰かと会う約束はないようだった。だから俺は、その日の仕事が終わった後、いつものようにカフェへ行って亜紀を食事に誘ったんだ。「たまには、ちょっとだけ贅沢しよう」ってね。亜紀は「翔が奢ってくれるなら」って条件を付けてきたけれど…。
「誕生日おめでとう!」
グラスを持ち上げるだけの乾杯をして、赤ワインを少し口に含んだ。
亜紀と外で食事することはあまりないけれど、行くときはちゃんとした店を選ぶようにしている。誰かのおすすめとか、口コミが満点に近い店とかを予約して。今日のこの店も、実は前々から顔馴染みのスタイリストに聞いておいた店だったりする。
「ん、おいしい!」
女性にしてはよく食べる亜紀。小柄な体型のくせに、いつも胸のすくような食べっぷりだ。テーブルマナーも身についていて、食べ方も綺麗。こんなお皿見たら、シェフはさぞ嬉しいだろうな…なんて思いながら、俺も白身魚のソテーにナイフを入れる。
「そういえばお昼頃、亜紀にバースデーカード届いてたよ。“橋元美紀”って人からだったかな。ひょっとして、ご家族?」
何気なく発した俺の一言に、亜紀はぴくりと反応した。なにか、まずいことでも言ってしまったんだろうか…。
心配になって顔を覗くと、彼女は少し悲しそうに微笑んでいた。そして、カチャリ、とフォークを置く。
「…毎年、送られてくるの。“美紀”は、私の双子の姉だよ」
「えっ…」
姉がいるというのはちらっとこぼしていたけど、亜紀のご家族の話は今までほとんど聞いたことがなかった。亜紀が話したがらなかったから、俺も無理に聞こうとはしなかったんだ。
「美紀は美人でスタイルも良くて、頭も良かった。幼稚園からずっと私立に通って、大学は4年制の国公立大。その反面、私は何もかも普通で、これといった才能もない。“双子なのに、どうしてこんなに違うのかしら”っていうのが、母の口癖だったの。きっと生まれたときから、両親は美紀のほうがかわいかったんだよ」
「生まれたときから…?」
亜紀はバッグからメモ用紙を取り出し、『亜紀』と大きく書いてテーブルに置いた。
「この“亜”っていう字、2番手っていう意味があるの。最初は、妹だからそうしたんだと思ってたんだけど……、両親の態度を見てたら、何もかも姉の美紀が最優先。双子って平等なものじゃなくて、妹は姉のおまけなんじゃないかって、そう思うようになった。だから早くこんな家出て、できるだけ早く自立してやるんだって、高校の頃からバイトばっかりしてたの。帰りの遅い私を両親はさらに疎んじて、高3にもなると必要最低限しか口も利かなかった。わざと、家から通えないぐらい遠い短大に進学して、家を出てからは…ほとんど家にも帰ってない」
初めて聞くその話を、俺は一言一句漏らさずに受け止めていた。子どもの頃から感じていた大きな大きな寂しさは…こんな小さな体で、たった一人で、抱えきれるものだったのだろうか。
思わず言葉を失った俺に、亜紀はにこっと微笑んで
「こんな重い話してごめんね。せっかくの料理がまずくなっちゃうね」
何事もなかったかのように、再びフォークを持つ。
思えば、彼女が弱みを見せるのは本当に珍しいことだった。俺が亜紀に相談したり弱音を吐くことはあっても(毎回キツい言葉で激励されて終わるけど…)、亜紀は俺に愚痴ひとつこぼしたこともない。特別な雰囲気に背中を押されたのか、それとも俺を少し信頼しつつあるということなのかはわからないけど、俺にとってすごく嬉しい出来事だった。
「…ううん。亜紀のこと、もっと知りたい」
「え……」
「何でも、俺に話してよ。どんな小さいことでも、どんなくっだらないことでも、亜紀の話ならちゃんと聞くよ」
そして、気づけばこんなことを口走っていた…
「亜紀が、好きだから」
「え…っ」
自分でも驚いたけど、すんなりと声に出た。
彼女のそばに、もっと近づきたいと思った。俺じゃ頼りないかもしれないけど、彼女の支えになりたかった。
しかし、大きな瞳に涙を浮かべた亜紀は…その頭を素早く横に振った。
「だめだよ…。私なんかに関わっても、何もいいことなんてない。私はもう、守ってもらわなくても大丈夫だから。翔は早くいい人を見つけて、部屋を出ていくべきだよ……」
俯いてしまった彼女の手を優しく握って、その温かさを感じた。いくら毒舌でも、いくらクールを装っても…彼女は温かい人だ。そんな彼女を、今さら1人になんてできるはずがない。
「俺は、亜紀がいいんだ。亜紀がたった1人で抱えてきたもの、俺にも一緒に持たせてよ。俺、こう見えてけっこう力あるからさ。ちょっとぐらい、重いもの持ってもびくともしないよ」
肩に力こぶを作って、手でポンと叩いて見せると、亜紀は涙を流しながらも笑ってくれた。
その夜、彼女の心からの笑みを…初めて見た気がした――。




