君だけに
「……ごめんなさい」
「いや、いいんですよ。怪しい行動をとってた俺が悪いんです」
土砂降りになってきたので、近くのトンネルに避難した。
その人はメガネをかけているし、暗くてよく顔は見えないけど、21歳の私とそんなに変わらないぐらいの年齢だろうという印象だった。
その男の人は、大切な物を川に落としてしまったらしかった。雨も降ってきたし、どうしようかと途方に暮れていたところへ私が通りかかり、自殺と勘違いされてしまった。
「…あの、おうちは近くですか?よかったらタオル、持ってきましょうか」
川に落ちてずぶ濡れになった男の人は、寒さのあまりカタカタと震えている。
「いいんですか?助かります。うちは少し遠いので…」
「じゃあ、すぐ持ってきますね。ここで待っててください」
再び傘を差し、私は雨の中を駆けていった。
*
「ねえ。このドラマって、横浜で撮ったんだよね?」
野菜チップスをパリパリとつまみながら、床に落ちていたクッションを拾い上げた。
「そうだよー。もうちょっとしたら、港のシーンとかも出てくるよ」
横からすっと手が伸びてきて、私が持ってる袋にまっすぐ侵入した。テレビに映ってる澄ました男性と、隣でお菓子を貪る男性が同一人物だなんて。ファンが知ったらどう思うだろう。
「ロケ地が近いと、気分的に楽でいいよね」
「うん!ほぼ毎日、家で亜紀ちゃんに会えるし♡」
そう言って翔が抱きつこうとしてくるのを、片手を大きく動かして阻む。
満足にスキンシップがとれなくて不満そうな翔は、唇を突き出しながら私の手を握った。
「なんだよ。亜紀だって、俺がいなかったら寂しいだろ?」
「どうして私が寂しがるのよ。そんなにいつも一緒にいなくたっていいじゃない」
「冷たいなあ、亜紀は」
ま、そこがいいんだけどね~なんて言いながら、翔はトイレに立った。ぱたん、と扉が閉まったのを確認して、私はテレビに正面から向き直る。
別れを告げられても、なお食い下がって彼を引き留めたヒロイン。そんな彼女を、翔扮する主人公が抱きしめている。
私もこんな風に、素直になれたら……。
「そんなに、このドラマ好き?」
「!」
いつのまにか翔が戻って来ていて、突然、ソファ越しに後ろから抱きついてきた。気を抜いたら、すぐこうだ。
「べつにっ!この女優さん綺麗だなー、って思ってただけ」
「…亜紀のほうが、ずっと綺麗だよ」
ぐいっと横を向かされ、いきなり唇を奪われた。だめだ。この目をしてる翔は、もう止められない。
「そんなこと…。私なんて童顔で、特別美人でもないし。翔だって、この人の方が…んっ!」
唇が吸い取られる錯覚を起こすぐらいの、強いキスが繰り返される。
ようやく解放されたとき、腫れてしまっているかと思うくらいに唇が熱かった。
「俺にとっては、亜紀が1番可愛いよ。…あの雨の日から、俺の心には亜紀しかいないんだから」
そう言って、私の頭を撫でる翔の手は…これ以上ないぐらいに温かくて、優しかった。
―――あの日から、ちっとも変わっていない。