そばにいて
連日の残業で疲れ果てていた金曜の夜、翔が帰ってくる夢を見た。目が覚めてからもなんとなく翔を感じて、私は朝食を2人分作ってしまった。いくら大食いの私でも、朝からこんなには食べられない。余ったら、またお昼に食べればいいや。
以前は月に1回ぐらいのペースで来てくれていた幸彦さんも、最近では徐々に足が遠のいていた。翔の仕事が忙しくて私のところに来ている暇がないのか、それとも翔が「もう行かなくていい」と言っているのか…。怖くて聞けなかったけれど、翔が離れていくのを感じていた。
――そんな矢先の出来事だった。土曜日の朝、突然彼が帰ってきたのは…。
一緒に朝ご飯を食べて、お互いのことを話していたら、貴重な時間があっという間に過ぎてしまった。『会いたかった』『また一緒に暮らしたい』『翔は、まだ私を好きでいてくれてる?』…。言いたいことはたくさんあるのに、どれもこれも言えてない。せめて、笑顔でお別れしなくちゃ…。そう思って、最後に頑張って微笑んだ。
「…じゃあ、行くね」
翔が立ち上がり、その拍子に煙草の匂いが漂う。翔が帰った後、私は彼の残り香のなかで泣くのだろうか…。彼が玄関に向かうギリギリの時間まで、私は迷っていた。
自分の気持ちを、伝えてもいいの…?でも、彼の負担にはなりたくない。今日だって、様子を見に来ただけなのかもしれない。翔が本題を切り出さなかったことは、もうその気がないっていう何よりの証拠なんじゃないか…――。
けれど、私はもう、後悔したくなかった。
3年前のあの日、1人で抱え込んで出て行った翔を想うと、未だに胸が締め付けられる。私が翔ならきっと同じ行動をとるって、想像できたはずなのに。どうしてもっと、翔の気持ちをわかってあげられなかったんだろう。離れる前に、どうしてちゃんと話し合えなかったんだろう。何度も、何度も後悔した。
せっかく翔が作ってくれたこの機会を逃せば…次はいつ会えるのかさえもわからない。私は両手を強く握りしめ、勢いよく立ち上がった…。
「行かないで…っ」
亜紀の、心の叫びを聞いたような気がした。
背中に亜紀のぬくもりを感じ、俺のお腹を強く抱きしめる腕を見たとたん…、思わず涙がこぼれてしまった。
俺は、君を求めても…、いいの…?3年もほったらかしにしたのに、亜紀はまだ、俺を必要としてくれてるの…?
どうにも我慢が出来なくて、嗚咽が漏れてしまうけれど、そんなことを気にしてる余裕なんてない。なりふり構わず振り向き、思い切り亜紀を抱きしめた…――。
久しぶりに抱きしめた彼女は、見た目よりも痩せていた。ふと思い返せば、さっきよそっていたご飯の量も、以前と比べれば半分ぐらいしかなかったな。変わっていないように見えて、俺がいなくなった日常は彼女にとって負担だったのかもしれない…というのは、自惚れだろうか。
亜紀も、静かに涙を流していた。普段は泣くどころかあまり感情を表に出さない彼女が、俺の前で泣いている。必死に縋りついてくる姿が、ただ愛おしかった。
「亜紀…」
彼女の頬にそっと手を添え、俺の方を向かせる。ここへ来てから初めて、まともに目を見られた気がする。
「俺のそばに、いてくれる…?」
俺の言葉に大きく頷きながら、さらに涙を溢れさせる亜紀。俺はもう堪えきれず、彼女の涙を指で拭い、深い口づけをするのだった…。




