あなたのためなら
「亜紀は、何も心配しないで」
翔はそう言って、私の肩を優しく抱いてくれた。…けど、守ってもらうだけなんて嫌だ。翔に迷惑はかけたくないし、できるなら力にすらなりたいと思う。一緒に生きるって…きっと、そういうこと。
あの報道の後、少し身辺はざわついたものの、幸い翔の仕事には特に影響がなかったようだった。顔立ちからクールな印象を持たれがちの翔だから、かえって良かったのかもしれないと、いつだったか幸彦さんは笑っていた。
*
翔が頼むのは、いつもホットのブレンドコーヒーかカフェ・モカ。甘党の彼がお砂糖を入れすぎないよう、あらかじめ中身の少ないシュガーポットを彼の席に持っていくようにしている。
オフの時や仕事が早く終わった日は、必ずと言っていいほどうちのお店にやって来る翔。たいてい窓際の席に座って、私の様子を盗み見ているのだ。悪趣味。
「橋元さん、あの帽子かぶったお客さんと仲良くなったの?」
布巾を替えにバックヤードに入ると、休憩中の川島さんが興味津々で話しかけてきた。私と同じく遅番の彼女は、お手製の軽い夕食をとっているところだった。
「え…?」
「あのお客さん、あたしは話したことないけど常連さんだよね?さっき、橋元さんと話してるときすごく楽しそうにしてたから。なんか、印象変わったなあ」
休憩に入る前に、ちらっと見えたのだろう。翔は私が近くを通ったときを見計らって声をかけ、いつものようにコーヒーを注文した。
あの報道があってから、それほど他人行儀にする必要もなくなって、私はお客さんの翔に対しても普通に接するようになっていた。目敏い川島さんは、そんな些細な変化にも気づいたらしい。
「…実は、彼氏なんです」
この時の川島さんの驚いた顔を思い出せば、私はいつだって笑えるだろうな。
翔はその後、閉店の少し前まで残って本を読んでいた。どんな本かと思って帰り道で聞いてみたら、ちょっとエッチな内容だった。絵になるなあ…とか、一瞬でも思ったのを撤回したい。
駅からマンションまでは、街灯がきちんと整備されている。けれど人通りが少ないから、夜に1人で歩くのは少し心細い。たまに翔と一緒に帰れる日があると、彼がそばにいてくれるありがたみを身に染みて感じるのだった。
「あっ、そうだ。次のオフの日、1日デートしようよ!前に一緒にテレビで見た水族館とか、どう?」
彼のこんな提案にも、今は心が躍ってしまう。そして、それを素直に表現していいんだってことに気づいて、私は自然と浮ついた声をあげていた。
「うん、行きたい!」
「じゃあ、決まりだね♪水族館なんて、子どもの時以来だなあ」
翔の顔が売れ始めてからは、一緒に出掛けることは一切していなかった。旅行やデートはおろか、近所のコンビニでさえ。翔がこの間言っていた“普通の恋人”に、少しずつ近づいているのだと思うと嬉しい。そのためなら、少しぐらいファンに嫌がらせをされたって構わない。
マスコミ騒動の影響もあってか、翔の住所が少し割れてしまっているようで…、郵便ポストに匿名の手紙が入っていることが何度かあった。最初の一通だけは開けてしまったけれど、それ以降は恐くて見ていない。そんな嫌がらせなんて、翔と一緒にいられるならいくらだって耐えられる。
私は本気で、そう思っていたのに…――。




