普通の恋人
『彼女は、俺のただ1人の恋人です。一般女性ですから、これ以上追うのはやめてください』
彼は私の顔をジャケットで覆いながら、多くの記者たちの前ではっきりそう言った。私の肩を抱く彼の手に、とても強い意志が宿っているのを感じた。
*
記者が追ってきていないか確認しながら、慌てて下りてきた幸彦と共に、俺は亜紀を連れて事務所へ向かった。
仮面を取り払った亜紀は見事なもので、初対面の幸彦とも到着までにすっかり打ち解けていた。「幸彦さん」なんて呼んじゃって。その愛らしい笑顔を向ける相手は、俺だけでいいのに。
うちは小さな事務所だから、何かあるとすぐ社長が出てくる。今回も例外ではなかった。
幸彦が連絡してあったのか、エレベーターを降りるとすぐに社長のしかめっ面が見えて驚いた。もう、この顔やめてくれよ…。
「記事の出どころに、心当たりはあるか?つけられていたとか」
「…たぶん、唯子だと思う。同じ写真を彼女に見せられたことがあるし」
「なんでもっと、早く言わなかった!」
いつかのように、社長がどん!とテーブルを叩いた。すぐ隣にいる亜紀が驚いて肩を震わせたのを見て、彼女の手を優しく握った。
俺はできるだけ落ち着き、正面に座る社長と幸彦を見つめ返す。
「唯子とのことを隠していたのは謝ります。けど、彼女とは2年以上も前に切れてるし、最近会ってたのは…、亜紀を守るためでした」
亜紀が驚いたような顔で俺を見上げた。彼女に優しく微笑み返し、再び社長たちに向き直る。とりあえず俺の事情を聞こうということで、静かにしてくれているらしかった。
「でも、それももう終わり。これからは亜紀と、“普通の恋人として”末永く、仲良くやっていきたいと思ってます」
俺の言葉に、3人が息を飲むのを感じた。社長がコホンと咳払いをし、テーブルの上の手を組み直す。
「つまり彼女と…、亜紀さんと、別れるつもりはない、と?」
「はい」
「彼女が嫌がらせを受けるかもしれないぞ?」
「絶対に、俺が守ります。彼女と本当の意味でわかり合えたから…、もう何も恐くない」
俺がはっきりと言っても、2人は何も言わない。しばらくして、社長が「そうか」とだけ言い残して席を立った。
その後、マスコミ各社に向けて声明を出し、数時間後にはニュース番組で放送されていた。
幸彦に家まで送ってもらい、着くころにはもう夕方になっていた。記者がまだちらほらと残ってはいたものの、地下の駐車場に入ってしまえばもう追ってこられない。
部屋に入ると、2人して疲れ切ったようにソファに沈み込む。亜紀が淹れてくれた熱いコーヒーをちびちび飲みながら、ぼーっとテレビを見ていた。
「…ほんとに、よかったの?」
「なにが?」
「その…、私と別れろって、事務所に言われてたんでしょ…?私、何も知らなくて…」
下を向く亜紀の顎に手を添えて、俺の方を向かせる。憂いを帯びた表情がすごく色っぽくて、ついつい体の奥が熱くなってしまったけど…、触れるだけのキス1つで今は我慢。
「亜紀は、何も心配しなくていいよ」




