夢の代償
最近、翔の様子が少し変だ。
なんだかやたらとスマホを気にしてるし、夜も帰りが遅い。…いや、前まで早すぎたのかな。仕事が終わるとまっすぐ帰ってきてたみたいだし。仕事のつきあいとかないのかなって少し心配してたから、かえって安心したかもしれない。
今まで私に依存しすぎてただけ。最初は、それで納得しようとしていた。
「俺、明日は朝からちょっと出かけてくるね。夜まで帰れないかも」
熱いうどんをすすりながら、翔は思い出したように言った。湯気のせいで、最近買ったメガネが曇ってしまっている。
「…ふーん、そうなんだ」
明日は、私も休みなのに…。
約束はしてなかったけど、1日一緒にいられると思ってたのになあ……。ちょっと残念。
今まで、お休みが重なったときはほとんど一緒に過ごしてた。家にいるときも、これでもかっていうぐらいベタベタだったのに、最近はなんだか距離を感じてしまうことが増えた。
「亜紀は明日、何か予定ある?もし1人なら…」
「あっ、ううん!実は、代わりに仕事入ってくれって頼まれちゃって。だから、ちょうどよかった」
「そうなんだ。了解」
翔は少しほっとしたように微笑んで、再びどんぶりに箸を入れた。
本当に、些細なことばかりだと思う。帰りがいつもより遅かったり、おはようのキスがなかったり、家のまわりを異常に気にしたり…。
私たちはそもそも、お互いの利害が一致したから一緒に暮らし始めただけ。だから、「ずっと恋人同士でいる」なんて決まりはない。もし、翔の気持ちが離れてしまったんだとしたら…、2つの部屋が、再び個室になる日も近いかもしれない。いや、それどころか、ここを引っ越さなくちゃいけないだろう。
そんな日が来るなんて信じたくないけど、彼を縛りたくないのも、また事実で…。こんなことを冷静に考えてしまう自分にも、私は嫌気がさしていた。
唯子の指示は、まるで恋人同士に見せかけるかのようなものだった。
オフの日に一緒に出掛けたり、スタジオでも必要以上に話をしたり…。一体、唯子の狙いが何なのか、俺は全くわかっていなかったんだ。
ただ、亜紀を守りたい。それだけだった。
「どういうことだ、これは」
数日後、事務所に急に呼び出されたと思ったら、奥の部屋で社長が待ち構えていた。
テーブルには、明後日発売の週刊誌の原稿…。『坂上唯子、熱愛発覚!』という大見出しがついたその記事には、俺と唯子のはっきりとしたツーショットも載せられていて、言い逃れができない…。
顔を上げると、社長とマネージャーが凄みを効かせてこちらを見ていた。
「これは事実なのか?なんで一言、俺に相談しなかったんだ」
専属マネージャーの小森幸彦は、普段は温厚なのに怒らせるとすごく怖い。
「…これは事実じゃない。ただの友達だよ」
原稿には、あることないことめちゃくちゃに書かれていて、目も当てられない。嘘が混じりすぎて笑っちゃうぐらいだ。
「でも、休日に会う間柄なんだろ?限定Tシャツ着てるし、写真は紛れもなくお前じゃないか」
「ただの友達だって。女友達の1人や2人、誰だっているだろ」
それまで黙っていた社長が突然、ドン!いう音を立ててテーブルを叩いた。
「お前は、俳優なんだぞ。それをちゃんと自覚しているのか?お前がつぶれたら、うちの会社は傾く。お前は稼ぎ頭で、社員の生活を担っているといっても過言じゃないんだ。普通の人は、確かに女友達と遊びに行くことだってあるだろう。でも、お前は世間の目を人一倍、気にしないといけない立場なんだよ。それをちゃんとわかっていて、坂上唯子と出かけたりしたのか」
社長の言葉が、胸に重くのしかかる。俺は俳優である前に、1人の人間なのに…。
べつに唯子と好きで出かけたわけじゃないけど、一緒に外を歩いただけのことがこんなに大きく騒がれるなんて。
23歳の普通の男にできることが、俺には許されない。大きな夢の代償っていうのは、ある程度の犠牲を払うことなんだ。
なんて息苦しい世界だろうか。
しかしこんな時でさえ、亜紀が犠牲にならなくてよかったとすら思う。普段は写真を撮られるのを恐れて、顔が売れ始めてからは亜紀となるべく一緒に出掛けないようにしている。けれど、もしスキャンダルの相手が亜紀だったら、一体どうなっていたか。
「とにかく、今後一切、坂上唯子とプライベートで会うことは禁止だ。…それと、今までは黙認してきたが、同居している女性がいるな?」
ぎくり、と体が反応したのが自分でもわかる。
亜紀のことは事務所にも一応は伝えてあるものの、あまりいい顔をされていないのはわかっていた。
「縁を切れとは言わないが、今後も一緒に暮らすのを許すことはできない。今回のことのようになったら、相手の女性にも迷惑をかけることになるだろう。お前には事務所が持ってるマンションを紹介するから、近いうちに移ることを考えてくれ」
「えっ…!?」