ルルイエ
ガイアの中央に横たわる広大な海域・太平洋。そのオセアニア付近には、太古より幻の海底都市が眠るという伝説がある。
その海底都市の名はルルイエ。
そこにはかつてこの地球に支配者として君臨した旧支配者・クトゥルーが今も静かに仮死状態で眠っていると言われ、時折この都市は海上に浮上し、地球に大きな災いをもたらす。その影響は天変地異から人の精神に及ぶものまで様々で、クトゥルーが寝返りを打つだけでも人類は滅亡の危機にさらされる。
今から数年前のこと。遠い宇宙の彼方の更に果て、アルデバランに存在する異界都市カルコサより、地球の覇権を我が物と企むクトゥルーと同じ旧支配者・ハスターが人類の存在を脅かしたことがあった。しかしそれは数人の少年少女の手により退けられたが、その影響に反応したクトゥルーが遂に目覚め、さらに人は窮地にさらされた。
だがそれもまた一人の少女の献身的な努力により回避され、現在ルルイエはこの少女の友人である1匹の不思議な能力を持つ銀色のネコ・ティムにより静かに見守られている。
少女が地上に戻り約10ヵ月。眠りの安定期に入ったクトゥルーを目の前にティムも安穏とした生活を送っていたが、それは不意に彼の体の中に目を覚ます・・・。
その日。人の無い冷たい石造りの小部屋の中で、ティムは急に体を襲った異変に苦しんでいた。まるで体を血が逆流するような激しい痛み。定期的に意識は遠ざかり、また戻ってきた時には意識は更に激しい痛みを伴って彼の体を痛めつける。逆流する血液はどす黒く変貌していくようにも感じ、次第に彼の本能も醜く変わり果てるような錯覚すら覚える。
なんだ?いったいこの感覚はなんなんだ!?
ティムはなんとか痛みを堪えようと石床の上で体を捩るように転げまわるが、痛みは一向に和らぐ気配は無い。そしてそれは死すら予感させる更に強い激痛へと変化していき、ティムは正気を保つことすら困難になっていく。
次第に彼を襲う意識の混濁。そう、なぜかこの痛みはティムの精神をも犯しているようで、ティムの中にあるはずの穏やかな心が消え、代わりに邪悪な妄想や信じるものへの疑念が大きく膨れ上がり、彼は自分の変貌に大きな恐れを抱いていた。
これは・・・何かが近づいている?
ハスター?・・・違う。そんなレベルじゃ無い!
もっと大きい!
クトゥルーやハスターなんかとは比べ物にならない。
もっともっと大きくて邪悪なものだ!
そしてティムがその真相にようやく気が付いた時、彼の精神には優しい心と理性が残されてはいたものの、それと同等か更にそれ以上の邪悪な心。破壊や恥辱を欲求とした黒く深い闇を伴う意識も生まれ、その闇の正体に彼は愕然とした。
これは・・・、まさかこれは・・・!
ダメだ!!ミキたちのところに早く行かないと!
でも、こんな状態じゃボクがあの子たちに危害を加えてしまう・・。
どうすれば?どうすれば!?
ティムは自分の意識を一時的に正気に保つことは出来たが、すぐに邪悪な闇に覆われてしまう。それは今まで彼が体験したことの無い恐怖で、ティムはどうにも出来ない自分に苛立ちながらも、それでも波のように繰り返し襲う強い痛みに耐え、自分が闇に飲み込まれないようにするだけで精一杯だった。
しかしその時。床に伏すティムの額の宝石が、弱いながらも今までとは違った輝きを放った。
その宝石の名は【カーバンクル】
彼の額にはめ込まれたカーバンクルがティムの残された理性を手助けするように、柔らかな輝きを増していったのである。
そして輝きはやがて少しだけ明度を落とすと、それはある奇妙な現象を引き起こした。カーバンクルがティムの額を離れ、まるで彼の表情を伺うようにその前に浮遊したのである。
「・・・。そうか・・・まだ君がいたんだ・・・。」
ティムはまるでカーバンクルが旧知の友人であるかのように、それに話しかけた。そしてカーバンクルはその言葉に反応するように彼の気持ちに応え、最後の頼りとなる想いを汲み取っていく。
「ボクは・・・ここで動けない。でも誰かがミキやシオリたちを助けないと、今回ばかりは彼女たちだけではどうにもできない。行ってくれるかい?」
そして紅い宝石はもう一度だけ輝きを大きく放つと、彼の言葉にうなずくように大きく揺れ、そしてルルイエから海中へと飛び出した。それはまるで邪悪な闇を明るく照らそうとする閃光のようで、それをティムは、ただ願うような気持ちで見送っていた。
「頼んだよ。カーバンクル・・・。」
冷たい海の中に眠る忘れられた遺跡・ルルイエ。
その中で狂気に打ちひしがれるティムの最後の希望を秘め、鮮やかな輝きを抱く不思議な宝石は、波間より晴れた大空へと飛び出していく・・・。