最後の文化祭
ジンくんの抜けた穴は大きく、全国への壁は高かった。
今年は全国へあと四試合を残して、みんなの引退が決まった。
「ジンさんがいれば、届いたかもしれないのにな」
最後の試合に負けて、駅へ向かう道。アキくんがポツっと言った。先頭を歩いていた亮くんが、足を止めて振り返った。
「全員、良いか。キャプテン命令だ」
初めて聞いたキャプテン命令。
「この先、ジンの前でアイツの怪我のことを口にするのは、禁止だ」
底冷えのするような冷たい目で、部員を見渡す。
「さっきのアキみたいなのは問題外として。世間話も、経過を聞くのもすべて禁止」
それだけ言って、亮くんはみんなに背中を向けて歩き始めた。
夏休みは予備校の夏期講習に通って、日々が過ぎる。合間に、学校で行われる補習にも参加して。
第一希望は、楠姫城市西部の看護大学。ここ蔵塚市の西隣、楠姫城市には、看護大学を含めて数校の大学が集まっている、通称”学園町”がある。
第二希望が蔵塚市内の医療系短大。。桐生さんが通っているってところ。別に、桐生さんが行っているからって選んだわけじゃないけど。
その日。数学の補習に行くと、久しぶりに まっくんに会った。
互いに進路の話をしながら、帰りのバスに揺られる。
「へぇ、まっくんも楠姫城に?」
「ああ。学園町に総合大学があるだろ? あそこで音楽理論の勉強をしようと思って」
「あ、バンド……」
「そうそう。ジンはまだ半分ジョークだって思っているみたいだけどな。俺たちはプロになるつもり」
「それで、いまさら音楽理論?」
「ジンの声に合わせた曲を作るために、一度ちゃんと系統立てて勉強しておこうと思ってさ」
「まっくんが作曲もするんだ」
「うん。今度の文化祭も、オリジナルで演る」
「オリジナルって……いつ作るの?」
「もう、ほとんどできている。怪我して動けない間にジンが詞を書いたから、夏休みで俺が曲をつけた」
受験生って、わかっているのかしら。あ、音楽馬鹿には関係ないか。
半分呆れて、まっくんの顔を見上げる。
窓の外を見ながら、鼻歌を歌っている。つり革をつかんだ指が、軽く動いている。
「それが、オリジナル?」
「うん?」
「今、歌ってたでしょ?」
そう尋ねると、ちょっと照れたような顔をした。へぇ。こんな顔もすることがあるんだ。いつものつり目がちょっと緩んだように見える。
「今のは、忘れろ。で、ジンの声で聞くのを楽しみにしてろよ」
「えー。何で?」
「”ゆうりちゃん”に聞かせるような声じゃない」
それ以上まっくんは歌わなかったけど。右手は相変わらず、鍵盤を弾くように動いていた。
今年も、近隣の学校のトップを切って文化祭が行われる。
生徒会の執行部にいる亮くんは、
「キャプテンを引退してるから、何とかなるけどよ。バンドとこれの掛け持ちはキツイ」
とか言いながら、直前まで走り回っていた。
今日の昼休みも、廊下でコーヒー牛乳を飲んでいるジンくんと食堂の帰り道に立ち話をしていたら、購買で買ったらしいクリームパンを齧りながら、亮くんが通りかかった。
「お疲れ」
片手を挙げるジンくんに
「ひとくち」
と、言ったかと思うとジンくんの返事も聞かずに、飲みさしのストローに口をつける亮くん。
そして
「あー。体が二つ欲しい……」
ため息混じりに言いながら、手の中のクリームパンを齧る。
それを聞いてジンくんが笑う。
「お前、分身の術が使えるって噂だぞ」
「そんなモン使えるわけねぇだろうがよ。誰が、そんなこと」
「んー、一年で噂になってるらしい。この前、イチが訊いてきた」
バカだ、イチくん。そんなことをまじめに訊くか?
横で聞いていた梅ちゃんも笑っているし。絶対、男子バレー部っておバカだと思われてる。
「いっそ、マジで習得すれば?」
「その暇がもったいない。ここ三日ほど、ピアノ触れてねぇから、指がヤバイ。今日こそは弾かねぇと」
真面目なんだか不真面目なんだか解らない会話をしながら、亮くんがパンを食べきる。
「山岸君たち、今年もステージ出るの?」
「今年はな……トリだぜ」
勿体をつけて亮くんが言う。梅ちゃんと二人、すごーいと拍手するのに対して胸を張る亮くんと、目で笑っているジンくん。
あの音楽馬鹿も、きっと張り切っているんだろうな。
ここに居ない、つり目を想う。
そうして迎えた、文化祭当日。
クラスの喫茶店の店番をして、梅ちゃんたち友達と他の模擬店を回って。
「あ、桐生さん」
まっくんのクラスのフランクフルトに並ぼうとしていて、桐生さんと松本さんに気づいた。
「お、ゆり」
「久しぶりだな」
そう言って笑う先輩たち。懐かしい、って思いで、一瞬言葉がでないけど。
あの、卒業式の日の心の痛みは、不思議と現れなかった。
「うちの智也が、世話になったな」
「いえいえ。どういたしまして」
切れ長の目を細める変わらない笑い方で桐生さんが言うのを、笑って受け止める私。
ああ、自分の中でもあの恋は終わったんだなって。
その時、実感した。
トリだと言っていた亮くんの言葉を信じるなら、彼らの出番は三時を過ぎるだろうけど。
最後くらいは、よく見えるところで見たい。そう思って、早めにステージへと向かい、席を取る。
「早いよね。最初にここで今田君たちを見てから、二年経ったんだ」
初回も見に来ていた宏美が、しみじみと辺りを見渡す。
「うん。あと半年で卒業だよ」
大きな行事はこれが最後だよね、と、梅ちゃん。
そうか。あと半年、か。
二年前、桐生さんの卒業にタイムリミットを感じたあの日と同じ、なんだな。
「みんな、バラバラになっちゃうんだね」
佳織もポツリ、と言う。森本くんがサッカーの強い大学に進学を希望しているって、遠距離になっちゃうって、この前泣いていた。
バレー部のみんなとも、まっくんとも。離れちゃうかもしれないんだ。
なんだか、切ないような、泣きたいような。そんな、気持ちでステージの開始を待った。
〈 今年のステージもこれがラスト。そして、こいつらがここで演奏するのもラストだ。ジン&リョウ&マサ! 〉
司会の言葉に、はっと、我に返った。
ステージに、見慣れた三人が出てきた。歓声が上がる。
〈 今日はみんな、楽しんでますか? 〉
去年とは違って、マイクに手をかけたジンくんが客席に話しかけた。
それに、応える客席の歓声。
〈 このステージで俺は、歌の楽しさを知りました。仲間と会いました 〉
客席を見渡し、ひとつ、息を入れたジンくんが、勝ち試合の後のような顔で笑ったのが見えた。
〈 すべての始まりだった、この場所に感謝をこめて 〉
まっくんと亮くんが目を合わせて。
イントロが始まる。
これが、まっくんの曲なんだ。
ジンくんの低い声で綴られる歌に、心を遊ばせる。
すごいなぁ。
曲を作った まっくんも。
それを歌えるジンくんも。
そして、あの忙しさの中でマスターした亮くんも。
どうか、音楽の神様。
彼らが、このまま音楽の道を進めますように。
貴方の申し子たちを、お守りください。
三曲を演奏して。
〈 どうも、ありがとう。ジンとマサそしてリョウ でした 〉
ジンくんがステージの終わりを告げる言葉を放つ。
さざなみのようにアンコールの声が起きて、私たちも声を合わせる。
〈 ジン、もう一曲いけるか? 〉
司会が、舞台の袖を伺う。マイクをはずして、なにやら相談している。
〈 ちょっと、休憩を入れさせてやってくれ。ハイ、客席のみんなも深呼吸~。トイレは大丈夫か 〉
司会の言葉に、客席のコールが止んで、ふっと空気が緩んだ。
OKが出たのかな? なにやらうなずいた司会がマイクを持ち直して叫ぶ
〈 今度こそ、ラストだ。ジン&マサ&リョウ! 〉
3人が出てきた。
今度はジンくんはしゃべらず、いきなりイントロが始まった。
ジンくんの声を最大に生かしたようなバラード。
どうか、神様。
彼らを……。