音が織る縁 上
「うっそぉ。世間って、せまい」
その日。自分が言ったその言葉を、あれほど実感する一日になるとは、思ってもみなかった。
”究極の早生まれ”の芽衣が春には小学校入学、って年。一月の終わりに、まっくんから結婚式の招待状を手渡された。
うわ。
印刷じゃなくって手書きの招待状。それも、きれいな字。
差出人は……”原口 朔矢・知美”。
「サクちゃん?」
「うん。織音籠も何とかなりそうだから、式挙げるって」
「ふーん」
二年前の春。ジンくんの声が出なくなって、まっくんたちはバンド活動を休止していた。去年の春ごろから、そろそろ歌えそうだ、って再始動に向けた準備に入って。この音楽馬鹿は、また何度かご飯を抜いたりしながら、新しく曲が作れる喜びに浮かれていた。
その曲たちが、夏前に形になるらしい。それを号砲に、彼らは活動を再開する。
音楽の神様は、どれだけの試練を与える気かと恨んだこともあったけど。神様の申し子たちは、音楽から手を離さなかった。
その中で、ただ一人。脱落しかけたのが、サクちゃんだった。
恋愛ごっこを極めようとしているかのように、何年もの間、特定の彼女を作らなかったサクちゃんが、やっと本気の恋をした。なのに、結婚も視野に入れてのお付き合いのさなか、今回のトラブルに見舞われた。サクちゃんは、彼女と別れる覚悟をして……やつれ果てていたらしい。まっくんにまで、『SAKUが飯、食ってない感じでさ。大丈夫かな』とか言われるって、どうよ。
結局、彼女がサクちゃんとの結婚を選んで。サクちゃんも音楽から手を離さずにすんだ。
招待状には、芽衣やこの春、三歳になる息子の春斗の名前まで書いてある。
「まっくん」
「うん?」
「あの子達まで出ていいわけ?」
私が出るのもどうかと思うけど。サクちゃんの彼女とは一度も会ったことないし。
「ああ、それな。知美さんの両親が反対してるとかで、届けだけで式挙げれなかったらしいから。RYOが、『だったら仲間内で、祝えばいいんじゃねぇの?』ってさ」
「反対、されたんだ」
「知美さん、勘当だってさ」
勘当って。平成の世に実際にあるんだ。
「JINはJINで、『声が出なくなったせいじゃないか』って責任感じてるらしくってさ。このままじゃ、JINのほうまで式を挙げるのを止めかねない」
「あ、ジンくんもまとまったんだ」
「らしいな」
冷蔵庫を開けて、お茶をだす。まっくんが自分からお茶を飲むようになるなんて、十年前には考えられなかった。
「で、お前の仕事、都合つけれそうか?」
「そうね。冠婚葬祭だし。休めるように婦長に頼んでみるわ」
日取りは、ゴールデンウィークか。なんとか、なるかな。
サクちゃんが本気になったお嫁さん。どんな人だろう。
そんなやり取りを経て、迎えた結婚式の日。
サクちゃんたちは、人前で式を挙げた。
参列者は、サクちゃんの両親とお姉さん一家。お嫁さん側からは、お兄さん一家だけ。後は、織音籠のメンバーが家族連れで、ってこぢんまりとした式だった。
参列者の前で、二人が結婚を誓う。サクちゃんの声が、どこか震えて聞こえるのに。お嫁さんの声の、はっきりと聞き取りやすいこと。
「お嫁さん、人前で話すのに慣れてる感じね」
サクちゃん、ステージで話すことってないし。
「ああ、小学校の先生だって」
ボソっと言った私の感想に、まっくんが種あかしをしてくれた。
ほー。小学校の先生。そりゃ、ご両親、結婚に反対するか。
って、それ以前に、サクちゃんと付き合いだしたきっかけが不思議だわ。
式の後、亮くんの乾杯で、会食になった。
ビュッフェにまっくんが芽衣の分の料理を取りに行っている間に、サクちゃんがお嫁さんと私たちの座っているテーブルにやってきた。
「ゆりさん、これからコイツも、よろしく」
「知美といいます。よろしくお願いします」
サクちゃんに寄り添うように立つ、知美さんが頭を下げて、にこっと笑った。うん、確かに。小学校の先生って感じ。
二重まぶたのパッチリとした大きな目で、化粧栄えのしそうな顔立ち。でも、かつてサクちゃんが連れていた彼女たちとは違って、堅実、な雰囲気。先生だっていう先入観もあるのかな?
「中尾 由梨です。どうぞ、よろしく」
「確か、ナースをされてるって」
だれだ? 情報源は。
「YUKIに聞きました。相談に乗っていただいたときに」
ユキくん? 私の仕事が、相談にどう関係したのか、後で聞かせてもらうわね。
そんな会話をしているところに、横手から思いもよらぬ声がした。
「ジンさん、亮さん。ご無沙汰しています。イチです」
こっちの会話を中断して、声のほうを見る。
「イチって、あのイチ?」
ジンくんが首をかしげながら、問いかけている。
『イチ』って、二年後輩の問題児?
「はい」
「何で、お前がここにいるんだよ?」
亮くんの質問、私も知りたい!!
「知美の兄です」
はぁ? 何ですって?
亮くんが、くるっとこっちを見た。
「知美さん、こいつと兄弟?」
亮くんの言葉に、知美さんがキョトンとした顔で、うなずく。
あら、かわいい。
じゃなくって。
「うっそぉ。世間って狭い」
ついつい、叫んじゃった。
その声に、亮くんの向こうから顔をのぞかすイチくん。
「ゆりさんこそ。どうして」
「だって、身内だもの。織音籠の」
「えぇ!? 亮さんと結婚したんですか?」
その言葉に、亮くんがイチくんの後頭部をはたく。
ま、あの叩き方だったら本気じゃないわ。ジンくんほどのパワーはなくっても、一年生のうちからレギュラーとってた亮くんが本気ではたいたら、あんなもんじゃすまないでしょう。
「なんで、俺がゆりと結婚すんだよ」
「だって。高校で付き合ってましたよね」
ちょっと。イチくん、あの噂、信じてたんだ。
そんなやり取りの最中に、まっくんがテーブルに戻ってきた。
「ほう、RYOが由梨と。それは知らなかったな」
うそばっかり。
そのまま、じゃれあいだした二人を放っておいて、春斗をお手洗いに連れて行く。
まっくん、芽衣のお守、よろしくね。
お手洗いから戻ってきて、春斗を椅子に座らせて。
「由梨、話、途中だったんじゃないのか?」
「あー。本当だ。ちょっとサクちゃんたちのところ行ってきていい?」
「うん。チビたちは見とくから」
「私、チビじゃない」
三月生まれで、クラスで一番背の低い芽衣が唇を尖らせる。
「はいはい。じゃ、大きな芽衣ちゃん。お父さんがちゃんとご飯食べているか、見ておいて」
「わかった!」
「わかっりゃ!」
子供たちに、任務を命じて席をはずす。
サクちゃんたちのテーブルに行くと、知美さんの食事姿をサクちゃんがうれしそうに眺めている。あー、本当に本気の相手なんだな。
って思いながら、声をかけて。
イチくんの思い出話なんかをした。
「イチくんも、いい顔で笑うようになったしね。サクちゃんや、ジンくんも家庭を持つし」
亮くんたち先輩の顔色ばっかり窺っていたイチくんが、一人前の男の顔で笑っている。春斗より少し年上らしい娘さんには、いいお父さんなんだろうなって思わせる。
恋愛ごっこをしているようだった、ジンくんもサクちゃんも本気の相手が見つかって。
みんな、大人になったんだ。
「私は、大人を通り越して、おばあちゃんかも」
なんて、冗談めかして言っているところに、まっくんがベソをかいている春斗を抱えて現れた。どうやらサカムケを剥いたとか。絆創膏なんて、持ってないわよ。さすがに今日は。
「美紗ちゃんは?」
小動物のようって、昔まっくんが言っていたジンくんの彼女は、ジンくんがやたらと怪我をするからって、ファーストエイドをいつも持ち歩いている。バレーを引退して、二十年近く経つのに。まだ、マネージャーが必要なんだ。
ちょっと聞いてくる、って、まっくんが背中を向ける。
その後姿を見送っていると、
「妙なことを聞きますけど。『ゆりさん』?『ゆうりさん』?」
知美さんが、遠慮がちに尋ねてきた。初めて、かな? まっくん以外で『ゆうり』に気づいたのは。
ちょっと、うれしいような、恥ずかしいような気持ちで。
「ジンくんの真似をしたら、『コール ミー ”ゆり”』ね」
って、言ってみる。
チラッと見たサクちゃんが、右の握りこぶしを口元に当てるようにして、私たちを眺めている。
イチくんに会ったから。だろうか。
高校生だった頃の記憶がふっと浮かぶ。
どこかの学校の体育館のギャラリー。数人の男の子が試合を見ている中の一人。背の高い男の子が、あんな仕草で試合を見ていた。
「サクちゃん?」
「あ、なに?」
「ジンくんの試合、どこかで見たことある?」
「試合って、バレー?」
「うん」
「そりゃ、中学一緒だから、球技大会とか」
いや、そうじゃなくって。
「高校で。亮くんとかも」
「あー。練習試合って、笠嶺に来た時に一度」
一年生の頃、ジンくんの実家のある市まで行った練習試合。
そうか、校門のところで立ち話していた、ジンくんのお友達。
あれ、サクちゃんだったんだ。
「何? 何の話?」
って、尋ねるサクちゃんに、
「なんでもない」
って答えたけど。
本当に、世間って狭い。