祝福
結婚に向けた準備を、仕事の合間に進めていく。
両親は……ちょっと、渋い顔をしたけど。十年付き合ってて、三十歳を過ぎてて、っていろいろ条件を考慮してくれたらしく、何とかOKをくれた。
まっくんのご両親の方は、『本当に、コレでいいのか?』って、ひどい言い様だったけど、割とあっさり了承してくれて。
互いの両親と顔合わせをした時、母と まっくんのお母さんはお互いに手を取り合って……驚いていた。まさか、こんなところで再会するなんてって。母たちのはしゃぎように、両方の父親が目を丸くしていたのは、ご愛嬌で。
私たちは、『結婚の挨拶に行ったときに、気づいてなかったのか』って、逆に驚いたけど。
そして、最近見に行けてなかった織音籠のライブに行って。
楽屋では、市役所に勤めている悦ちゃんとも久しぶりに会えた。
「JINは、今日は打ち上げどないするん?」
「んー、パス」
「みさちゃん、来とるん?」
ユキくんの問いかけに、手を上げるだけで返事をして、
「お先」
と、帰って行くジンくん。
「みさ、ちゃん?」
「あ、ゆりさん、知らなかった? JINにも春が来てて」
「ファンの女の子を、一年前位からかな。ライブの後、飯に連れてったりしてる」
片づけをしながら、サクちゃんと まっくんが教えてくれる。
「彼女、じゃないの?」
「どないなん、RYO?」
「俺が知るかよ。打ち上げとかには連れてきた事はねぇけど、相当、気に入ってるんじゃないか? 本名で呼ばせてるみたいだし」
コンタクトをはずしていた亮くんが、ひどい目つきでこっちを見ながら、私やユキくんの質問に答える。
あれは、相当視力の悪い目つきだ。
って、それはいいとして。
「えー。『Call me ”JIN”』じゃないんだ」
「何なん、それ?」
「ユキくんやサクちゃんは聞いた事ない? 高校生の頃から、ジンくん、そう名乗ってたけど」
「俺は『織音籠のジン』として、会うたから、名乗るも何もなかったわ」
「俺は……元が『今田』『原口』で呼び合ってたから、大学入った時にRYOたちの呼び方に合わせた」
へぇ、そうなんだ。
その日の打ち上げで、婚約の報告のようなものを、みんなにした。
「ゆりちゃん、結婚悩まなかった?」
こそっと悦ちゃんが尋ねてきた。
「悦ちゃん、悩んでる?」
「ちょっと。踏ん切りがつかなくって」
「ユキくん、申し込んでくれてるの?」
コクリ、と、一つうなずいた悦ちゃん。
「何年か前に、ユキちゃんの故郷で大きな地震があったでしょ? あれで、ユキちゃん危機感、みたいなものを抱えているらしくって」
「命の危機に面したら、子孫を残したくなるって、アレ?」
「かも知れないけど……」
「私も悩んだ、けど、方向性が違いそう」
二人で、テーブルの端で打ち明け話。
悦ちゃんとこんな話したのは始めてで。
男どもを、そっちのけで楽しく過ごした。
そうして、ジューンブライドで式をして、二泊三日のささやかな新婚旅行を国内でして。
まっくんと一緒に暮らし始めた。
三交代勤務の私の生活は相変わらずで。勤め人じゃない まっくんの生活も、理解できない不規則さだけど。
十年近く一人暮らしをしてたら、さすがの まっくんでも、そこそこ家事はできるようになったらしくって、百点満点ではないもののできる範囲で手伝ってくれる。
そして、何よりも。一緒に住んでたら、ご飯の管理が出来るのがすばらしい!!
準夜勤で出るときも、おかずくらいは用意して出る。それを何時に食べているにせよ、一食は確実に彼が食べている。
麦茶の減り具合で、水分量も確認できるし。
ああ、『どっかでまた、倒れてるかもしれない』って心配しなくっていいのは最高。
ひとつ、問題といえば。
私の苗字が『中村』から『中尾』になったこと。
書類に名前を書こうとしては、間違える。
苗字が近い事なんて、小学生の頃から知ってたのに。
『まっくん』って呼ぶ事のほうが多かったから、実際に苗字が変わるまで忘れていた。
「多かったっていうかさ、お前、『中尾』で呼んだ事なんてなかっただろうが」
「そう?」
「同じクラスだった頃、お前から話しかけてくる事なかったし」
真紀に結婚したことを知らせるハガキを書こうとして、失敗したと文句を言ってる私にまっくんが古い事を言い出す。
「そうだったかなー?」
根に持つなー、相変わらず。
「いつになったら、名前呼ぶようになってくれるだろうって、いたいけな少年が期待してたのに」
いたいけ? 誰が?
「RYOの彼女になるし」
「なってない。っていうか、事情知ってるでしょうが」
「三年の先輩を追っかけてるし」
ガクッと、字を書いていたペンが滑った。
あー、また書き損じ。『結婚の報告は、来年の年賀状と一緒でいいや』なんて不精せずに、印刷頼んでみんなに出したほうが早かったかな。
じゃ無くって。
「ちょ、なんで、それ」
「何度となく、お前が玉砕してるの見た」
「玉砕、すらさせてもらえなかったわよ」
「みたいだな」
あっさりといいながら、五線譜に向かって音符を並べている。抱えているギターを爪弾いて、ちょっと考えて。消しゴムで消して。
「悪趣味ー」
「どこが。片思いの相手が、他の男に告白しようともがいてるのを見てるのって、結構しんどいぞ」
「その”しんどいこと”をしてるあたり、が。悪趣味」
そうかなー? SAKUに比べりゃ、まともな趣味だと思うけど。って、ぶつぶつ言いながら、音符を書き足して。
「サクちゃん、また?」
「最近は、特定の彼女って作らなくなったみたいだな。女の子、連れてること自体がほとんど無いけど、相手がその時、その時で違う」
「うわー。それも皆、アレ?」
「遊び上手なおネエさん系」
恋愛ごっこを極めるつもりかしら。
「亮くんは?」
「時々、メンテだ、修理だって、幼馴染を呼びつけてる」
「で、進歩無いんだ」
おかしそうに まっくんがうなずきながらギターを構えなおす。
私も新しいハガキを手に取った。
翌年の春、娘が生まれた。
萌えいずる新芽を守り、春を告げる。
”芽”をくるむ”衣”の、芽衣。
彼女に訪れる未来への希望と、それが守られるようにと。
私たち”両親”の祈りとか、いろいろを含ませて、名前をつけた。
昔、丹羽さんが話していたことが腑に落ちる。
産院を退院して、自宅へ戻る。今日から二週間ほどは母が手伝いに泊まってくれることになっていた。
退院のその日も仕事だった まっくんが帰宅して。眠っている芽衣を眺めた後、ジャケットのポケットから一枚のMDを取り出した。
「なにこれ?」
まっくんの夕食のおかずを温めてくれていた母も、私の手元を覗きに来た。
その母の顔を、ちょっと決まり悪そうに見ながら
「由梨が子守唄歌えないなら、代わりにならないかなって」
ダメ? って飼い主にお伺いをたてるキタキツネ。
「今夜は遅いから、明日聞いてみるけど。今日は仕事じゃなかったわけ?」
「いや、これは、今日録ったんじゃなくって。芽衣が授かった頃から地道に準備してたやつ。無事に退院してから渡そうって思ったから」
退院おめでとう、って言いながら、炊飯ジャーを開けてご飯をよそっている。
CDを仕舞ってある棚に、貰ったMDを置いたところで、芽衣の泣き声がした。
オムツを替えて、おっぱいをやって。
「ただいま、芽衣」
ご飯を途中で中断して、まっくんが覗きにくる。
「お父さん、芽衣に負けないように、ちゃんとご飯を食べてきなさい」
はいはい、って返事をしながら、まっくんが食卓に戻る。
まっくんが持って帰ってきたMDには、織音籠のバラードばかり集められて入っていた。
単なる”お気に入りMD”と違うのは、歌が入っておらず、全ての曲が電子オルガンのみで演奏されていることで。
「昔、言ったことがあっただろ? そのうち電子オルガン用に編曲して聞かせてやるって」
翌日、昼過ぎに帰ってきた まっくんは、そう言いながら冷蔵庫からだして麦茶を飲んでいる。ついでに、と、私にもお茶を入れてくれる。進歩、進歩。
母は夕食の買い物にでていて、芽衣はおねんね中。
「あー、言ってたっけ。そういえば」
「あれ。どうせなら、芽衣の子守唄にできないかなって。せっかく曲が書けるんだから、わが子の子守唄、自前で作りたいよ」
なるほど。
音楽馬鹿に親馬鹿が混じると、こうなるんだ。
「で、どう?」
「うん。芽衣に午前中、聞かせてみたら、ご機嫌だった」
「そっか」
にこって、つり目が笑ったかと思うと、なにやら思案を始めた。
「あれに、JINの声、か……いける、かな?」
「どうしたの?」
「JINの”お気に入り”だったファンの女の子、いただろ?」
「あー、私は名前しか聞いたこと無いけど」
「あの子、俺たちが結婚した頃から、楽屋にも顔を出すようになって、JINが指輪つけさせるようになって」
「ほほー」
本当に、春だわ。
「で、また、あの系統?」
「ぜんぜん。ちんまり、してて小動物系、かな」
「小動物を愛でる、大魔神?」
まっくんが、お茶を吹く。きったないなぁ、もう。
「鎧を脱いで、小動物を愛でてる大魔神」
今度はこっちが、お茶を吹いてしまった。なんか、メルヘンチックな図が、頭をよぎったわ。
「何、それ?」
「鎧はともかく。JINの声質が変わってな。色気が出てきた感じで」
「色気、ねぇ」
「あれを生かす、方向が見えた気がする」
そう言って、お茶を飲みきった まっくんは、
「ちょっと、出てくる」
って、もう一度出て行った。
毎日毎日、日に何度もMDをかけて。ぐずる芽衣を、リズムに合わせて体を揺らしながらあやす。
時々は、母が抱っこしていわゆる子守唄を聞かせる。でも残念なことに、昔ながらの子守唄は、芽衣のお気に召さないようで。
「まっくんの電子オルガンに負けるなんて」
って、母は悔しがるけど。
「仕方ないでしょ、相手はプロなんだから」
「誰かと違って、子供の頃からプロはだしで練習してた子だし」
「そうそう。努力の量が違うの」
芽衣を抱っこしながら、デッキの電源を入れる。再生スイッチを押す。
流れてくる、まっくんの曲。
メロディーにあわせて、自然に体が揺れる。春風に揺れる、新緑の小枝のように。
意識が、曲にリンクする。
曲の切れ目、だった。
「由梨、今」
母が、そっと声をかけてきた。
「なに?」
「今、何してたか、気が付いてる?」
「へ?」
次の曲が流れてくる。体が揺れる。
唇が
メロディーを
つ む ぐ
無意識、に
鼻歌を
歌っていた。
芽衣を落とさないように、静かに床に座る。
後から、後から。
今まで歌ってこなかった分を取り戻すように、
歌が口をつく。
歌いながら、泣いた。
泣きながら、歌った。
母と泣き笑いの顔を見合わせた。
織音籠の曲で
私に音楽が帰ってきた。
まっくんが
私に歌を返してくれた。
まっくん。
毒にならない曲、できてるよ。
あ り が と う。
この年の秋、発売になった織音籠のセルフカバーは今までにない売り上げをたたき出し、彼らは、音楽界に確固たる立ち位置を確保した。
”Hush-a-bye”と名付けられたそのアルバムは、芽衣のために作ったMDに収められている曲目で構成されていた。
音楽の神様は、
自分の愛した子が
”親”になったことを
誰よりも祝福してくれた。
END.
本編は、ここまでです。
この後、後日談に少々お付き合いいただければ……。