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17/22

不穏な電話

 大泣きしたおかげか、まっくんのおかげか。

 翌日は、すっきりと仕事へ行けた。目は腫れていたけど。


 『忘れやすいシャープに、赤丸をつけるとか、指番号間違えやすいところを重点的にさらうとか』

 音楽に例えることしかできない、まっくんらしいアドバイス。


 この前、これは注意されたから。もう一度カルテを見直してから。

 他の部署へお使いに行くときは、身の回り。伝票とか、検体の忘れ物が無いかチェック。 

 注意されたこと。忘れないようにメモを取っておこう。


 一つ一つ。先輩に言われた注意を意識して、仕事に向かい合う。



 そうして、晴れて独り立ちの日を迎えることができた。



 私が、仕事に集中している間に、まっくんたち織音籠(オリオンケージ)もデビューを果たした。

 デビューしたからってすぐに売れるわけでもなく、バイトをしながら音楽活動をしている。


 三交代の私たち看護婦の勤務は、通常の会社員の勤務体系とは異なる。

 それが、いいのか、悪いのかわからないけど。

 私の勤務表を、まっくんも持っていて。互いに、『会えそう?』って、確認しながら約束をして会う。


 市役所に勤めだした悦ちゃんは、ユキくんと学生時代同様のお付き合いを続けているらしい

 それとは逆に、ジンくんたち三人は、全員が彼女と別れたという。

「JINとSAKUは『就職しないなんて、問題外』って感じで彼女が去ってったみたいだな」

「それをあっさり、受け入れたんだ、二人とも」

「もともと ”来る者拒まず、去る者追わず”だったから」

「亮くんは? あの、彼女と別れたんだ」

「ああ? お前が睨みあったのとは、とっくに切れてたな。アイツは……デビューが決まった頃に、何を考えたのか、その時付き合ってた彼女ともスパッと」

 チョキチョキと指で切るようなしぐさをしてみせる。

 それを、半ば呆れたような気分で眺めながら、素麺をすする。


 今日の私は深夜勤。まっくんは掛け持ちしているバイトの合間に、私の部屋まで昼ごはんを食べに来ていた。まっくんに会う時は、なるべく食事を挟むように気をつけてる。って、気づいているのかな?

「悦子さんも、一時期付き合いを続けるかどうかで悩んでたみたいだけど」

「ふうん」

 悩むんだ。

「お前、悩んだ?」

「全然」

「だよな」

 小鉢からシイタケをつまみながら、まっくんがうなずく。

「だって、音楽馬鹿だよ。他の道ありえないし。高校生の頃から、『俺たちはプロになる』って言ってたじゃない」

「そんなこと、言ったっけ?」

「言った、言った」

 相槌を打ちながら、錦糸卵をめんつゆに入れる。あ、おネギももう少し。

 麺を、おつゆに入れながら、向かいに座るまっくんを見る。

 そうか。他の女の人たちって、音楽で生活をする人と付き合うのに二の足を踏むんだ。


 私には無い、価値観だな。

 なんて思いながら、素麺を口に入れた。


 

 社会人になって一年ほど経つと、さらに余裕が出てきて。織音籠のライブに行ったり、真紀とご飯に行ったりもできるようになった。

 あの、大泣きしたときの不安定な私は、いろいろと疲れていたんだと実感するほど。

 公私共に、充実した毎日を過ごす。



 卒業から、五年が経って。

 私は、外科病棟へ異動になった。


 その頃から、まっくんもかろうじて音楽だけの収入で生活が成り立つようになってきたらしい。

 余裕、があるわけではないと、少しだけバイトをしつつも、軸足は完全に音楽に立っていた。



 翌年の夏のある日。日勤の仕事を終えて、病院を出たところで最近持つようになった携帯の電源を入れる。

 まっくんからメッセージが残っていた。


 再生すると、まっくんじゃなくって亮くんから。時刻は一時間ほど前、かな。

 メッセージに残っていた、亮くんの携帯にかけ直す。

 つながらないじゃない。

 ぶつぶつ、言いながら、駅へと歩く。



 かばんの中で携帯がなっている。

 公衆電話からの着信。

〔もしもし?〕

〔ゆり、電話くれた?〕

〔うん。先に亮くんが電話してきたんでしょ。なに?〕

〔あのな〕

 MASAが倒れた。

 続いた亮くんの言葉に、歩道橋を上がりかけていた足を止めた。



 学園町を三つほど西へ行った、通称"西のターミナル”の駅で降りて。北口にある病院へ向かう。

 信号を渡って、目の前の病院の玄関をくぐった。


「はぁ? 脱水と空腹に、過労? そんなに忙しいわけ?」

「そんなわけねぇだろ。そこまで、売れてるかよ」

 ベッドサイドでスツールに腰をかけた亮くんが、呆れたような顔をしている。まっくんは点滴をしてもらいながら、ぐっすり眠っている。

 今日は、来週のライブ前の練習でスタジオに昼過ぎから集まってたらしい。

「顔色、良くないなって、JINが言ったと思ったら、ふらーって」

 亮くんが、『どう思うよ』って感じで状況を説明してくれる。

「で、コイツの携帯みたら、仕事関係とお前しか電話帳に載ってなくってよ。俺も、ずっと付き添っとくわけにいかねぇし」

 で、とりあえずって私に連絡が来たらしい。

 亮くんも、みんなと合流して、来週の準備をしないといけないし。


 しっかし。いつからちゃんと食べてないのかしら。

 私が最後に会ったのが……三日前の晩?

「亮くんは、最近まっくんと、ご飯食べたりした?」

「いや。俺は打ち合わせが続いて、皆と別行動してたし」

 あー。そうか。リーダーさんだ。 

「ジンくんたちは?」

「さぁ?」

「亮くん、おねがい。まっくんにちゃんとご飯食べさせて。一緒に仕事してるんだから」

「それは、お前の仕事だろうが」

「はぁ? 何で」

「何でか、は自分で考えろ。俺は、MASAの保護者じゃねぇよ」

「私だって、違うもん」

「じゃぁ、言葉を変える。俺は俺で、今、追いかけたい相手がいるから。MASAの飯の心配なんかしてられるかよ」

 そう言って、立ち上がった亮くんは、

「あ、点滴すんだら帰っていいらしいから。今晩、MASAに餌、やっといてな」

 バイバーイって、手を振りながら処置室を出て行く。



 備え付けのスツールに腰をかけて、点滴のボトルを見る。この量だったら……後、三十分くらいかな。

 曲を書いてて、食べるの忘れた、飲むのもしてない。眠る時間も削ったってところか。

 どこまで、音楽馬鹿よ。体壊したら、元も子も無いじゃない。

 音楽の神様は、そんなこと、望んでないと思うけど?


 まぶたがかすかに動いて、目が開く。

「あれ? 由梨?」

「『あれ? 由梨』じゃないでしょ?」

 まっくんがお布団の中で、体をすくめるのが分かった。

「ご飯ちゃんと食べないさいって。何度言わせるの!!」

「はい。ごめんなさい」

 器用に首だけで謝るけどね。

「いつから、食べてないわけ?」

「うーんと」

 私と目を合わせないように天井を見る まっくん。

「天井見たって、答え、書いてないからね」

「えーっと。昨日、SAKUと昼飯食った」

 昨日って……。あのね。

「ふうん。その後は?」

「晩は、ビールと冷奴……」

「へぇ?」

「……今朝はきゅうり」

「だけ?」

 はぁ、呆れた。

「冷蔵庫、そんなものしか無かったわけ?」

「ビールは先週、SAKUが置いてって、きゅうりと豆腐は、この前、由梨が……」


 他に買い物、しなかったって訳ね。それでも、三日前のお豆腐、二パック入りを買ってよかった。お味噌汁の具を、油揚げと悩んだんだけど。油揚げだったら、多分、残っていても食べてなかっただろうし。

「それで、お昼は完全に抜いたわけ?」

「仕事の前にどっかで食べようと思ってて、忘れた」

 忘れないでよ。

「まっくん」

「はい」

「水分は?」

「だから、ビール……」

 うわー。お約束の間違いをしてくれたわ。

「アルコールはね、代謝に体内の水分を使うから、水分補給には、な・り・ま・せ・ん!」

 むしろ、出て行っちゃうじゃない。その上、この暑さ、って。 

 体にとっては、踏んだりけったり。


 ふーっと、ため息をつく。

「ごめんな。迷惑かけて」

「ほんとに、って言いたいけど」

 まっくんの顔、唇を観察する。肌の感じは、戻っているかな。もともと、かさかさしてるし。

「おトイレ行きたかったりは大丈夫?」

「うん」

 もう、チョイってところか。尿意が戻ってないって事は。

「今まで、こんなことなかったから、私も油断してたわ。どうしたの、今回は? 」

「バイト、減らしただろ? 賄いとか、食事休憩がなくなった分かな」

「賄いで、繋いでたんだ」

「それと、バイトとバイトの合間には、飯食うようにしてたから」

「ご飯を食べなきゃって意識はあったんだ」

「今回も、なくはなかったんだけど……」

 言い訳がましく、ボソボソ言っている。


 さて、そろそろ点滴も終わりそう。

「晩御飯、どうする?」

 完全に抜いたのが一食で、その前は少し食べているから……おかゆ、までしなくっても、消化にやさしいものだったら大丈夫だろう。

「明日も仕事だろ? 自分でなんとか」

「できないでしょうが、何とかなんて!」

 何とかできるなら、倒れたりしません!!


「すみません。もう少しお静かに、おねがいできますか?」

 入ってきた看護婦さんに、注意された。同業者に注意されるなんて、恥ずかしい。

「ハイ、すみません」

「ああ、丁度終わりそうですね」

 頭を下げた私ににっこり笑いかけると、丁度終わった点滴の抜針と後処理。

 会計のこととか、説明を受けて処置室をあとにした。


 病院から出て、まっくんの部屋まで行って。

 簡単な雑炊と白身魚の煮付けって、あまり夏には食べたくないような、熱々の夕食を二人でハフハフいいながら、口にする。   

「亮くん、新しい彼女ができたの?」

「うん? なんで?」

「さっき病院で、『追いかけたい人がいる』とか言ってたけど」

 冷えてない麦茶を飲みながら、うーんって考えている。

「ああ、あの子、かな?」

「心当たり、あるんだ?」

「彼女、には、まだなってないみたいだな。幼馴染って言ってたけど」

「ふうん」

「RYOの楽器が壊れた時に修理で来てて、俺も会ったことがあるんだけど」

「あのタイプが、楽器店のサービスマン?」

 サービスウーマンって言うべきなのかな。

「いや……正反対。作業着を着て、おかっぱで。『山岸ー!』って」

「へぇ。それで、亮くんは?」

「それがさ」

 スプーンを休めて、まっくんがクスクス笑う。

「なに、なに?」

「妙に必死なんだよ。『メーカーさんが来るから、お前ら飯行って来い』とか言って俺ら追い出しておいて。帰ってきてみたら、彼女の髪に触ってたりしてさ」

 ぶぶって、私まで噴き出してしまった。 

「亮くんらしくない」

「だろ? でも、『追いかけたい』んだな」

「捕まえられたらいいね」

「足速いからなーって、言ってた」

 亮くんが必死で追いかけるほど足が速くって、作業着を着たおかっぱの女の子。


 いつか、お互い”彼女”として、会う日が来るのかな?

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