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春の闇

 国家試験を経て、無事看護婦になれた。


 勤め先の病院で、内科病棟に配属されて。同じ病院に薬剤師で入職していた真紀と、昼休みの職員食堂で再会を喜び合ったのもつかの間。


 キッツイ。

 イロイロ。


 体力的にも精神的にも。

 何より、自分の未熟さを毎日毎日、突きつけられるような生活に

 日に日に、心がやせ細る気がする。



 そんな中で迎えたゴールデンウィークも、通常通りの出勤。

 そうか、長期休暇とは縁の切れた生活になったんだな、って改めて思った連休明けからから数日が過ぎた、ある日のことだった。


 レントゲン室や給食室への伝票を届けに詰め所を出ようとしたところで、先輩に呼び止められた。

「中村さん、一階に降りるんだったら、薬局も行ってきてくれる?」

「はい」

 点滴の返品と、処方せんを渡されて。一度持ち直すために、手に持っていた伝票をカンファレンスデスクに置いた。


 一階へと階段を降りかけて、食事伝票を持っていないことに気づいた。

 慌てて、取りに戻って。

 詰め所に入りかけたところで、話し声が中から聞こえた。

「あら? 夕食の食事伝票がまだ残ってる」

「さっき、中村さんに頼んだんだけど」

「あー。中村さんかぁー。仕方ないわね」

「まぁね」


 ”私”、だから、”仕方ない”? 


詰め所に入ることもできずに固まっていると、中から出てきた先輩が手に持っていた伝票を、私が抱えた荷物の上にぽいっとおいた。

「中村さん、忘れ物」

 とだけ、言って。


 階段をゆっくりと下りて、レントゲン室、給食室。そして、薬局へ。  

 同期で入ったはずの真紀は、私とは違って生き生きと仕事をしているように見えた。


 その日は勤務の間ずっと、先輩たちの立てる物音一つ一つに、ビクビクして。

 背後からの咳払い、

 カルテを見ながらのため息、

 戸棚の引き出しを閉める音、

 机を叩くボールペンのコツコツという音。


 すべての音が

 『ああ、もう。中村さん、何やってるのよ!』

 『仕方ないでしょ、中村さんなんだから』

 そう言いあっているように聞こえた。



 耳が拾う音という音に、疲れきって。

 目を閉じるように、耳も閉じてしまいたくなっていた帰り道。 

 私は薄暗くなった歩道橋を、駅に向かって渡っていた。


 遮るものの無い歩道橋のうえを、突風が吹きぬける。体があおられて、手すりにぶつかる。

 

 このまま、ここから落ちたら……楽に、なれる?


 落ちるまでも無く、風が止んで。

 また、歩き始める。


 歩道橋の階段、足滑らせるようなもの、落ちてないかな?

 左折してくる車、このまま、突っ込んでこないかな?

 駅のプラットホーム、誰かが背中にぶつかってくれないかな?


 自殺、は”負け”、な気がするから。

 不可抗力で、死ぬことはできないだろうか。


 そんなことばっかりを考えながら、帰宅した。



 惰性で冷凍ご飯を解凍して、レトルトのカレーをかけた夕食。誰もいない、物音もしない部屋で黙々と、スプーンを口に運ぶ。


 食べ終わったとき。

 ここ一時間あまりの自分の思考の危うさに、身震いした。

 

 だめだ、これ。私、今すっごくマズイ精神状態にいる。

 

 このまま、一人この部屋でいたら。泥沼にはまり込むように、死に惹きつけられてしまう自分がいる。


 だれか、

 助けて。


 まっくんの、つり目が。

 発表会の後の怒ったようなつり目が心に浮かぶ。


 まっくん、まっくん、まっくん。



 後先を考えずに、ダイヤルをした。

 呼び出し音が鳴る。

 一回、二回、三回、……。

 帰ってないのかな、って。諦めかけたとき、回線がつながった。


〔もしもし?〕

 まっくん。いた。

〔ま、っくん……〕

〔由梨、か。どうした?〕

 話さなきゃっておもうそばから、ボロボロと涙がこぼれて。口を開いても言葉が出ずに、しゃくりあげるばかりで、息が詰まりそうになる。

〔由梨? どうした。何があった?〕

 返事、しなきゃ。声、出さなきゃ。

〔お前、部屋、だよな?〕

〔う、ん〕

 続けて、まっくんが何か言っている。まっくんの声、聞きたいのに。耳が詰まったみたいになって、何を言っているのかわからない。

 まっくん、助けて、まっくん。



 ドアをバンバン叩く音に、自分が通話の切れた受話器を握りしめて泣いていたことに気づいた。

「由梨!」

 私を呼ぶ声がする。

 洟をズルズルいわせながら、ロックをはずす。


 ドアが千切れそうな勢いで開かれ、肩で息をしている まっくんが居た。

「大丈、夫、か?」

 なんでだろ。まっくんがいる

 って、ぼんやりと思っていると、抱きしめられた。 


 首の後ろに回った掌の体温に、ガンガンと頭痛がしてきた。

「頭、痛い」

 腕が緩んで、互いの額がコツンとぶつかる。

「熱は……ないな。泣き過ぎか」

「う、多分」

「何があった?」

 そう訊きながら、まっくんが踵を擦り合わせるようにしてスニーカーを脱ぐ。そのまま、抱きかかえられるように部屋に上がる。


 前後する話は多分、すごく理解しづらいものだっただろうに。

 まっくんは、呆れもせず、私の泣き言に付き合ってくれた。

「あのな」

 一通り、しゃべり切って。まっくんが入れてくれたマグカップのお水を飲んでいると、考え考え まっくんが口を開いた。 

「今の由梨は、発表会用の新しい楽譜もらったばっかりの状態なんだと思う」

「??」

「俺だってさ、発表会用の曲なんて、初見で弾けるわけじゃない。何度も失敗して、練習して弾けるわけだ。それを、ゆうりちゃんは、ぶっつけ本番でやろうとする」

 一生懸命、私のために話そうとしてくれてるのは、十分わかってるけど。

「ごめん、話の筋が見えない」

「うん。ここからが本筋。まだ、お前、見習いだろ? 失敗しても”仕方ない”んじゃないか?」

「でも、”仕方ない”、じゃ、患者さんが死んじゃう」 

「そりゃそうだ。だけどな、今日のミスなんて、どこの新入社員でもやって、どこの先輩も『仕方ないわね、新人だし』で済ませるレベルだろ? だから戻ってきたお前に『ほら、忘れ物』で済ませたんだと思うけどな」

 そう、かな? 私がミスばっかりしてるから、『中村さんなら、やりかねない』だったんじゃないのかな?

「音楽教室の先生だって、よく言ってたじゃないか。『ゆうりちゃん。先週、渡したばっかりの曲だから、スラスラ弾けなくっても”仕方ない”の。来週、もう少しだけがんばってこようね』って」

「言ってたっけ?」

「覚えてないのか」

 だから、練習しないんだな。

 って、ひどいことを言いながら、まっくんがテーブルに頬杖を付いた。

「話、戻すな。誰だってさ、一足飛びに何でも出来るようになるわけじゃなくって、それなりに努力してるわけだろ? 由梨の目に、その努力が見えてるかどうかは別として。その、まきちゃん、だっけ? 友達だってさ、由梨の見てないところで先輩に叱られてるのかもしれないし。先輩たちだって、生まれたときから看護婦してたわけじゃないんだから、先輩の先輩に『仕方ないわね』とか、言われてたかもしれないだろ?」

「そう、か」

 ”仕方ない”のは、私だけじゃない?


「由梨の今の最優先事項って、なんだ?」

 最優先事項??

「一人前の看護婦になること、だと思う」

「その、”一人前”って、何?」

「きちんと、自分の任された仕事をすること、かな?」 

「そのために、必要なことは?」

「……つまらないミスをなくす」

「うん。半人前の間ってのはさ、ミスをなくすための、練習時間。な? 発表会の前だって、練習に何ヶ月もかけただろ?」

「独り立ちする日が、発表会?」

「そういうことかな」

「じゃぁ、ぶっつけ本番にならないように、練習しなきゃ」 

 まっくんの目が、”よくできました”って、笑う。



 落ち着いて、時計を見ると結構遅い時間だった。

「ごめんね、まっくん。こんな時間に」

「べーつに。由梨が、頼ってくれただけでもうれしいし」

「そう?」

「音楽馬鹿でも役に立てて、良かった」

 そう言って、右の掌を左の親指で撫でている。

 何気なく、視線を落として。

「ちょっと。何、その手!?」

「さっき、ドア、叩いたから」

 どんな力で、ぶっ叩いたのよ。掌、真っ赤じゃない。

「拳で叩いて、指傷めるよりはマシかなって。一応は考えたんだけど。デビュー直前だし」

「デビュー直前の人が、ドア、力任せに叩いたりしません!!」

 発熱時の保冷剤、持ってないし。

 ああ、昔、使っていたバレー部のファーストエイド。内袋を叩いたら一瞬で冷たくなるアレ、どうしてうちに置いてないんだろ。


 とりあえず氷水でタオルを絞って、手を冷やす。

「痛くない?」

「うん。冷たくって気持ちいい」 

 ほーっと息を吐きながら、左手でタオルを押さえている。

「ほんとに、大丈夫?」

「うん。指動くし。右手だから」

 ほら、こっちは胼胝無いだろ? って、タオルから覗く指を、鍵盤を弾くように動かしてみせる。

 そうは言っても心配で。できることは、なんだってしたい。してあげたい。

「保冷剤、買いに行ってくる」

 コンビニに、置いてあったっけ。

「いいよ。もう遅いし。それに、お前、その顔で出歩く気か? 化粧崩れて、えらいことになってるぞ」

「あ、」

 さっきまで、大泣きしてたんだ。忘れてた。

「忘れるぐらい、元気になったなら、俺も安心」

「心配かけて、ごめんね」

「いいから。ほら、化粧落として来い」

 なんだか、ほっとするような顔で笑うまっくんの言葉に、素直に従って洗面所に向かう。


 鏡に映った顔は、確かにひどかった。


 涙や化粧と一緒に、落ち込んだ自分も洗い流す。


 明日から、もうひと頑張り。

 ”本番”で、立ち往生しないように。

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