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大人の階段

 夏休みに入って、ようやくユキくんの彼女と顔を合わせることができた。


灰島(はいじま) 悦子(えつこ)です」

 緊張した顔で会釈をしたのは、同い年のわりに幼く見える子だった。

 紫外線って知ってる? 浴びたことある? って聞きたくなるような、抜けるような白い肌が印象に残る。

「中村 由梨(ゆうり)です。よろしく」

「ゆりさん、仲良うしたってな」

 間を取り持つようにユキくんが言う。

「リョウやサクの彼女とは、波長が合わへんらしくって」

「あれは、私も合わない」

「この前なんか、リョウの彼女と道の真ん中でにらみ合いしたもんな」

 横で まっくんが暴露する。今日は四人で例の定食屋さんへ、晩ご飯を食べに来ていた。

「にらみあい、ですか?」

 悦子さんが、ユキくんに半分隠れるようにしながら尋ねる。その悦子さんを、”いい子いい子”しながら、ユキくんが私にくぎを刺す。

「ゆりさん。えっちゃんが怖がるから、武勇伝は程々にしたってな」

「武勇伝、てねぇ。あっちが威嚇してきたから、受けて立っただけで。私がケンカ売ったわけじゃない」

 心配しなくっても、噛み付いたりしないわよ。


「えっちゃん、どれにする?」

「ユキちゃんは?」

「えっちゃん、これなんか好きなんと違う?」

 テーブルを挟んだ向かいの席で頭をくっつけるようにして、仲良く料理を選んでいる二人を見ていると、なんだか……胸焼けしそう。

「あっさりしたもの、ないかなー」

「珍しいな、夏バテか?」

「うーん、ちょっとね」

 冷しゃぶサラダ、の定食? これかな?

 かさかさした掌が、額に当てられる。

「何、するのよ!」

「熱は無いな」

「ないわよ。そんなもの」

「うん、大丈夫そうだ」

「いったい何よ。もう、訳わかんない」

「マサ、ええ加減にして。えっちゃんがビックリしとる」

「ユキちゃん、大丈夫。ゆりさんとマサくんが仲いいなって思っているだけだから」

 ユキくんの腕を引くように、悦子さんがストップをかけるけど。

「あのー」

「はい?」

「ユキくんと、悦子さんの方が仲いいと思う」

「ええっ、そんな」

 ぽっと赤くなった頬を両手で包んで、悦子さんが俯く。

 ”初々しい”って、こういう子なんだ。


「ゆりさん、イジメんといたって」

「今の、いじめてた?」

「だって、困っとうやん」

「ユキくん? どこまで、過保護なの?」

「うん? 俺にできる限界まで」

 聞いた私が馬鹿だった。こっちが照れるわ!!


 なんだかんだと言いながらも、女将さんが料理を運んでくる頃には、悦子さんも大分慣れてきたらしくって、笑い声を立てるようになった。 

「今日は、ユキちゃんとマサくんが、彼女連れかい?」

「今日はって? 誰か、来たん?」

「先週、サクちゃんが彼女と来てたよ」

 そう言いながら、私の前に、冷しゃぶサラダ定食をおいてくれる女将さんに、目で会釈をする。

「いいねぇ、若いねぇ」

「女将さんだって、若いやん」

「ユキちゃん、おだてても、何も出ないよ」

 笑いながら、女将さんはカウンターのほうへと体の向きを変えた。


 そぼろ餡のかかった冬瓜を口に運ぶ。そういえば、最近食べてないような味がする。”母の味”?

「それ、何?」

「冬瓜、って知ってる?」

「いや」

「まっくんが、知ってたら逆に驚くか」

「うまいのか?」

 珍しい。まっくんが食べ物に興味を持つなんて。

「食べる?」 

 器ごと、まっくんに渡す。

 怖々、一口食べて……唸るまっくん。

「いらないなら、返して」

 返事もないまま、器が帰ってくる。それを受け取って、汁物に手を伸ばす。

「本当に、夫婦みたい……」

「やろ? リョウたちが『当てられる』って言うとん、わかる?」

「うん」

 向かいの二人の会話に、澄まし汁が変なところに入って、咽る。背中を叩いてくれながら、まっくんが

「ユキには、言われたくない」

って、言い返す。

「おまえらだって、おんなじように言われてるだろ?」

「確かに、違わへんけど。なぁマサ。あいつらも、どないなん?」

「どうって?」

「リョウたちの付き合い方。軽すぎるんと、違う?」

「軽い、な」 

「恋愛ごっこ、なんかな」

 ユキくんと まっくんの会話を聞きながら、向かいに座る悦子さんを見た。

 箸を止めた悦子さんは、真剣な顔で二人の会話を聞いて。何かを考えていた。



 今年も学園祭の季節が来る。

 まっくんたち織音籠は、総合大学と外大と。それからユキくんと悦子さんの通っている経済専門の単科大学でもステージに出るらしい。

 外大のステージを翌週に控えた土曜日。

 午前中の講義の後、夕方までのバイトを終えて部屋に帰ったところに、電話がかかってきた。

〔もしもし、由梨?〕

〔うん、どうしたの?〕

〔学園祭、あるだろ?〕

 無かったら、どうするのよ。

〔全部のステージが終わる、再来週な。お前の所、泊まってもいいか?〕

〔前もって言ってくるなんて、何?〕

〔”彼氏”として、泊めてくれるか?〕

〔はぁ?〕 

 そういえば、まっくんが泊まるって、どれだけ振り? って、”彼女”になってから、まっくん泊まってない?

〔俺、この八月で二十歳になったし。お前も、先月誕生日だっただろ?〕

〔ああ、うん〕

〔もう、未成年じゃないから、さ〕

 『訳、わかんない!』って、叫びたいけど。多分、わかっている。私。

 そういう意味で、だよね。

 口が渇く気がする。やっとの思いで、返事をする。

〔わか、った。いい……よ〕

〔ありがとう〕

 じゃぁ、お休み、って切れた電話。発信音を響かせる受話器を、ぼんやりを見つめてしまった。



 まっくんが泊まりにくる、って考えただけで体温が上がって、転げまわりたくなるから。

 忘れるように、触れないように、毎日を過ごす。講義に集中、実習に集中、バイトに集中。

 それでも時間は過ぎる。約束の日が近づくにつれて、掃除をしたり、ご飯をどうしようかって考えたり、着替えの心配をしたり。

 

 大人の階段を上るのって、こんなに緊張するんだ。

 まっくんは、どうなんだろ。緊張して……るわけ、無いか。

 立て続けにステージだし。

 音楽馬鹿は、きっと。そっちに意識を集中してるんだろな。


 一人だけオロオロと緊張している事は悔しいけど。

 ”そんな まっくん”を好きになった自分が、愛おしい。



 緊張の中で迎えた学園祭最後のステージは、総合大だった。

 ユキくんが入って更にパワーアップした彼らは、自信に溢れて、音に遊んで、観客を引き付けて。

 それは、身内の贔屓目じゃなくって。

 コピーバンドばっかりのステージの中で、オリジナルを演奏した彼ら。終わった後、模擬店を見て回る私たちの耳に、そこここで”織音籠”の名前が聞こえてきた。『すごかったぜ』『見た? えー、見てないなんて、もったいない』『今度ライブ、あるみたい。いく?』って。


 一段ずつ、確実に上っていく彼ら。

 音楽の神様。

 どうか、彼らを導いてやってください 



 ステージの熱気をそのまままとったような顔で、まっくんが私の部屋に来たのは、打ち上げを終えてからだった。今日は、天敵の”リョウの彼女”が打ち上げに参加するって聞いていたから、私と悦子さんは欠席。『また日を改めて、しようね』って言っている。

 そんな理由が無くっても、今日の参加は絶対無理。挙動不審に陥る自分を自覚している。


「こんばんは」

「どうも」

 他人行儀に、玄関で挨拶を交わして。目があった途端に逸らしながら、チラチラとまっくんを見て。

「上がって」

「うん」

「お茶、飲む?」

「うん」

 グラスに入れた麦茶を渡すと、一気に飲み干す まっくん。いい飲みっぷり、て。違うか。


 お風呂場のドアが開く音に、心臓の音が大きくなる。

「ゆ・う・り」

 音を区切るように、名前が呼ばれる。

 ああ、まっくんの”音”だ。ドレミの、どの音に当たるのか、私には判らないけど。”絶妙”な”う”の音。

「いい、か?」

「うん」


 初めて、”大人のキス”を交わす。

 今までのキスは、”恋愛ごっこのキス”だったんだなって、心の片隅で思う。


 覚えているのは、そこまで。



 ”大人の恋愛”を知って。まっくんの体温を知って。


「由梨の微妙な音、もう一つ見つけた」

「そう?」

「うん。さっき聞いた声、高い方のレのシャープより少し高くって、でもミじゃなかった」

「なにそれ。訳、わかんない」

「俺だけが、知ってたらいい音だから。わからなくっていい」

「まっくん」

「うん?」

「なんでもない。呼んでみただけ」

「なんだそれ。ゆうりちゃん、”訳、わかんない”」

 声を潜めるようにクスクス笑い合って。

 言葉にならない言葉。

 でも、まっくんに話したい。


 初めて同士のたどたどしい睦事は、私をまっくんに一歩近づけてくれた。


 訳、わかんなくっても。

 話したいことって、あるよね。

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