自覚
ファーストキス、なるものを交わして。
何かが変わったかというと……なんだろう? 距離は近づいたのか、近づいていないのか。
相変わらず、私も勉強とバイトの毎日だし、まっくんは新メンバーでドラムが入ったとかで、さらに音楽に首まで浸かった生活をしているし。
たまにご飯を食べに行って、部屋まで送ってきてくれて。軽くキスをすることはあるけれど。最近は、泊まっていかなくなった。
あの日、あんな話をしたせいか、少しだけ まっくんの話しを”訳、わかろう”と頑張って聞く私がいる。それでも時々、『わっかんない!』って言っちゃうけど。
年末に実家に戻ろうと、バイト帰りの まっくんと一緒に駅に向かっていた。その途中、ジンくんとサクちゃんの二人と出会って、他愛ない立ち話をして。
『よいお年を』って別れてから、ふと気が付いた。
まっくんもサクちゃんも、いつものように笑っていたけど。
ジンくんの笑い声、聞いたっけ?
「ねえ、まっくん。ジンくん、機嫌悪かったのかな?」
「そうか? いつも通りだろ?」
快速電車を待つ間、まっくんに尋ねたけど。返事はそっけないもので。
ついつい、食い下がる。
「なんか、今日はジンくん、笑ってなかった」
「うん?」
「ジンくんの笑い声、聞いた?」
重ねて訊いた私に、まっくんがあごに手を当てて考える。
「しゃべり方は、いつも通りだったよな?」
「うん。多分」
「なんだろうな?」
気になるなって、言いながら、到着した電車に乗った。
なんだったのかな、って考えていたのは、せいぜいお正月までで。
高校のときみたいに毎日合うわけじゃない私は、いつの間にか忘れていた。
後期試験が終わって。大学の一年が終わる。打ち上げと称してみんなと飲み会をした。
新メンバーの紹介も兼ねてって
「いちいち私に紹介しなくっても」
「逆。お前を紹介するの。俺の彼女ですって」
「何、それ」
訳、わかんない。
「要するに、ゆりをダシに俺たちが飲みたいっつうだけ」
「亮くん、ひどい」
「こんなとこで、ケンカすんなよ。さっさと店、入ろうぜ」
サクちゃんのとりなしに、お店に入る。後ろで、ジンくんが笑っている気配がする。
「はじめまして、ジンくんたちの高校の同級生で、中村 由梨です」
「よろしく。野島 和幸、っていいます。ユキって呼んでな」
「由梨、そこで何で、ジンの同級生って名乗る」
「ウソじゃないじゃない」
「まあまあ。落ち着いてぇな。マサの彼女やって、ちゃんと聞いとうし」
いつもの調子で言い合いになりかけた私たちを、ユキくんが仲裁する。このユキくんも、大きくって。身長はたぶん、まっくんくらい。高校までサッカーをしてたって聞くと、なるほど。”サッカー選手らしい体格”をしている。
「ユキくん、こっちの人じゃないんだ」
「うん。大学入って、こっち来てん。おかげで、ジンたちと会えた」
方言交じりの柔らかい口調で話す、ユキくん。
「ジンだけじゃなくって、彼女とも会えたんだろうが」
サクちゃんの言葉に、照れたように笑うユキくん。少しタレ気味の、左の目じりに泣きボクロを発見。
「だったら、ユキくんの彼女も連れて来たらよかったのに」
「俺たちも誘ったんだけどよ。断られたんだよな、ユキ」
亮くんが、お通しの小鉢を配りながら笑う。
「照れ屋さん、やから。もうちょっとだけ、待ったって。せめて、ライブを見に来れるようになるまで」
「そっかぁ。じゃぁ、ご一緒できるのを楽しみにしてるって、伝えてくれる? 今まで、女の子来たことないし」
高校の文化祭で、あんなにもてた亮くんですら、”彼女”を連れてきたことは無かった。
「サク、彼女いたんと違うん?」
「先週、ふられた」
おおっと。
「サクちゃんかわいそう……」
「ゆりさん、やっぱり、かわいそうって思う?」
泣きまねをするサクちゃんに、まっくんが
「由梨、半年で二人目って奴に同情はしなくっていい」
「はぁ? サクちゃん、二人目?」
「次から次へと。見ているこっちが驚く」
まっくんの言葉に、まじまじとサクちゃんを眺める。
「サクちゃん、硬派じゃなかったんだ」
「ゆりさん、そんな風に見てくれてたんだ」
目じりにしわを寄せるように笑うサクちゃんを
「こいつの何処が」
隣のジンくんが、肩を揺らしながらつつく。
あれ? 今の、ジンくん。笑ってる? のかな?
「ジンだけには言われたくない。おまえだって」
「二人ともが、サイクル早すぎ」
まっくんの突っ込みに、二人が黙る。
へぇ。ジンくんも、か。
面白いものを見た、って思っていたらビールが届く。
ジンくんと私の前だけ、頼んでもいないのに違う飲み物が。
「なに、これ?」
「んー、ウーロン茶」
「誰が、頼んだのよ」
「俺。の分のついで」
当たり前のような顔で言うジンくん。
「ジンくん、飲まないの?」
「ああ、やめたから」
「はぁ?」
「咽喉に良い訳でもないから、無理に飲まなくってもいいかなって。飲まなきゃいられないわけじゃなし」
「飲まなきゃいられないのは、病気でしょうが」
ジンくんがまた、肩を揺らすように笑う。声、出てない。
「ゆり、おまえも病気じゃないなら、飲まなくっても大丈夫だろ?」
「最初の乾杯くらいは飲んでもいいから」
亮くんに、まっくんまで。そんな風に言われたら、ダダこねるわけにもいかないじゃない。
しぶしぶ、ウーロン茶を前に置いて。乾杯のための一杯を入れてもらった。
漫才のような、サクちゃんとユキくんのやり取りに大笑いをしながら、楽しい時間は過ぎていく。
時々、気にして見ているけど、やっぱりジンくんは声を出さずに、笑っている。
みんなと別れた、帰り道。まっくんにジンくんの笑い声の事を話す。
「ユキが入って、あいつも本気でプロを目指す気になったらしくってさ。さっき本人が言ってたみたいに、酒とコーヒーを飲まなくなって、笑うのも咽喉を使わないようにしてるみたいだな」
「そっか」
ジンくん、まだ音楽の神様に捧げ物をするんだ。
「プロ、なれたらいいよね」
「うん。俺、音楽馬鹿だし」
「違いないわ」
そう言って笑いあいながら。夜道を歩いた。
四月になって、男子バレー部の顧問だった奥野先生の転任が伝わってきた。
まだ春休みだった亮くんと二人で、離任式に出席した。ジンくんは、その日の午後からカリキュラムの説明会だとかで、来れなかったみたい。
「山岸、なんだぁ? その頭は」
久しぶりの校門をくぐるなり、生徒指導の古河先生の野太い声が飛んできた。
「在校生に見せるな。こっちに来い」
って、生徒指導室に引っ張っていかれる亮くんにくっついて、私も生徒指導室にお邪魔する。最近の亮くんは、サクちゃんといい勝負の明るさの金髪をセミロングのワンレンにしてる。去年のグラデーションに比べれば、かわいいものだと思うけど。
「いいか、離任式が始まってから呼びにくるから。目立たないように、こっそり体育館にはいれ」
「はい」
「まったく」
目では笑いながら、古河先生が亮くんの肩口の髪をつまむ。
「大学入って、やりたいことやってるようだな」
「ええ。毎日楽しいです」
「勉強もしろよ」
「もちろん」
単位、一つも落としてませんよ、って胸を張る亮くんに
「当たり前だ、馬鹿」
と、軽く拳骨を落として、先生が戸口に向かう。
「ああ、男子バレー部の卒業生。見かけたら、こっちに来させてやるよ。待っている間、暇だろ?」
「ありがとうございます」
先生は後ろ手に手を振りながら、部屋を出て行った。
程なくやってきたのが、松本さんとヤナさんのキャプテンコンビだった。
「何やってるんだ、亮。卒業してから、指導室なんて」
そう言いながら入ってきた松本さんが固まる。
「うわ、これはまた。はじけたな」
ヤナさんが笑いながら、亮くんの髪をかき混ぜる。
「どうも、お久しぶりです」
「奥野先生、壇上で卒倒するんじゃないか」
「ゆりも驚いただろ」
「もう、慣れました」
「慣れたか」
口々に言う先輩に、私も笑いながら答える。
「ジンくんも、いい勝負ですし。これはまだ、可愛い方で」
それから、互いに近況の報告をして。
「キリも来たかったらしいけどな。あいつ、もう社会人だから。仕事がな」
「あー。そうなんですね」
そうか、医療系短大って三年制だから。この春から社会人になっているんだ。
「おまえらも、あっという間に就職活動だぞ」
脅すように、松本さんが言う。景気がいいから求人倍率がどうとかって話を聞きながら、離任式が始まるのを待った。
二年生になって、さらに勉強が高度になる。
レポートだなんだで、まっくんたちのライブを見に行くこともなかなかできない。
『今週は、大丈夫か?』って、まっくんが電話してきて、やっと週末に顔を合わせるような。
その日、『バイトのあと練習までの時間つぶし』って言っていた まっくんと昼に落ち合って。外でご飯を食べた。
彼らが行きつけにしているらしい、定食屋さんでコロッケ定食なんかを食べて。うん、ここなら栄養バランスもいいから、まっくんのいい加減そうな食事には最適かも。
音楽スタジオに向かう まっくんと一緒に歩いていて、亮くんに出会った。最近、眼鏡をかけ始めた亮くんが、女の子を連れてる!!
「よう、マサ」
「今から?」
「ちょい、早いけどな」
そんな会話を交わしている、男二人をよそに、”彼女”と互いに目で、値踏みをする。
ふーん。亮くんて。こういうのが趣味だったんだ。
東京や大阪じゃあるまいに、わっかりやすいワンレンボディコンの”イケイケ”のおネエちゃん。亮くんの腕に、すがり付いている爪の長さと赤さが目を引く。持ってるバッグも、”おネエちゃん御用達”のブランドだねぇ。
向こうがフン、って鼻を鳴らす。
「ねえぇ、リョぉウ」
「なんだよ」
「練習、ついてっちゃダメェ?」
「後で行くから、待ってろ」
「えぇー。リョぉウのいじわるぅ」
どこから出しているのかと思うような媚びた声に、よくやるわ、って同じ女ながら、感心する。
「まっくん、行こうか?」
「うん?」
「お邪魔みたいだし?」
そう言った私をどこか馬鹿にしたような目で見た彼女が、亮くんになにやら耳打ちする。
うわー、いやな感じ。絶対、”お友達”にはなれないわ。
彼女に耳を預けながら、苦笑する亮くん。彼女から見えないほうの手が、『あっちに行け』って動く。
OKって感じで軽く手を上げた まっくんに、肩を叩かれた。
「またね、”リョぉウ”」
わざと、彼女の口調をまねて言ってやる。
彼女がこっちを睨む
あ、通じたんだ。
負けずに鼻で笑ってやった。
「由梨。いい加減に行くぞ」
まっくんが、肩を抱くように体の方向を変えさせる。ここは、まっくんの言うことを聞いてやろう。
ひとつ、角を曲がって。
「何をやってるんだ」
「ケンカ売ってきたのは、あっち」
「そうか?」
「うん。まっくんには解んないだろうけど。女の戦い」
人並みに、おしゃれや流行に興味はあるけど。昔から”派手”といわれる顔立ちは、少し濃い目の化粧をすると簡単に”ケバく”なるから薄めの化粧を心がけてるし、あんな爪では実習もできない。
それに、生まれ持った容貌に磨きをかけて、ブランド物で武装してって、そんな”女の戦い”のリングで上位に立つよりも、看護婦になるほうが私にとっての優先順位は上。
でも、腹が立つー!
「意外だったわー。亮くんの趣味がアレとは」
「ジンや、サクも似たようなもんだぞ」
「アレ系を、とっかえひっかえ?」
「この前は、ジンが振られたって」
まっくんは呆れたような声でそんなことを言っているけど。
それを聞いて、ちょっと心が波立つ。
私も、もう少し”頑張る”ほうがいいのかな?
「ねぇ、マサぁ」
さっきの彼女の口調を真似てみる。
「って、まっくんも言って欲しい?」
さっきの彼女みたいにオシャレ、して欲しい?
「止めてくれ。鳥肌が立つ」
って言いながら、まっくんは腕をさすっている。
「音楽馬鹿の俺がいい、って言ってくれるだけで、満足。俺はそのままの由梨がいい」
何、それ。って言いかけて。
心のどこかが、ほっと息をついたのがわかった。
そして、そんな心の動きで、
初めて気が付いた。
自分が音楽に愛されなかった分
私は、音楽馬鹿を愛している。