初めての……
翌週は友達三人と連れ立って、まっくんたちの大学の学園祭を見に行った。
案内地図を片手に、ここでも模擬店を回って、展示を見て。
「ゆりちゃーん」
聞き覚えのある声に呼ばれて、振り向く。
ウサギ耳をつけた法被の女の子って。
「真紀、何やってるの? その格好」
「へへ。漢方研究会の客引きー」
「ここの学生だったんだ」
「うん。薬学部ー」
相変わらずゆっくりとしたしゃべり方の中学時代の友人は、『よろしくー』とか言いながら、私達にチラシを押し付けた。
ふーん。健康茶試飲会ねぇ。
「なんか……すっごく、怪しげ」
「怪しくないよー。ただのドクダミ茶とか、センブリ茶とか。あと、ハトムギも。お肌にいいんだよー」
「センブリ茶って、にっがーい、アレ?」
横で聞いていた友人が、真紀に尋ねる。
「あ、知ってる? そうなのー。千回振り出しても、まだ苦いからセンブリ」
「どんな罰ゲームよ」
「罰ゲームじゃないよー。センブリはー、健胃薬だから。模擬店を回ってー、いろいろ食べるでしょー。暴飲暴食で疲れた胃をいたわりましょうって」
思いやりだよーって言っている真紀に、判った判ったって。
「これからステージ見て、その後行くから」
「うん、絶対だよー」
そう言って手を振るウサギ耳に手を振り替えして。
私達はステージに向かった。
今日の織音籠は、一応学校だということでトーンダウンしたのか。ライブハウスのような”怖い”外見ではなかったけど。
相変わらず、亮くんの髪はすごいし。
って思ってたら。
「ケージって、檻って意味だよな」
「ああ」
「だったら、アレか。動物園だな」
「何が?」
「ほら、インコと、ライオンと、キリンと……」
そんな会話が後ろから聞こえて、嫌な感じの笑い声がする。
インコ……亮くん、ライオンは、ジンくん。キリン?
「もう一人は、キタキツネ?」
「だな」
キリンがサクちゃんで、キツネがまっくんか。
振り返って、笑っている連中を睨む。
「ゆり、彼氏どれだっけ」
友人の声に、顔を戻す。この前、献血の風船を配っていた友人が、心配そうな顔で見ている。
あ、フォローしてくれようとしているんだ。
「ギター」
「ギターって、どっち?」
「向かって左。右は弦が四本のベースね」
ステージを指差しながら、友人に説明して。
再び振り返ると。
さっきの連中は居なくなっていた。
この日、まっくんたちとは夕方落ち合って、ささやかな打ち上げをした。
ステージのあとで、興奮気味の彼らは、よく笑って飲んだ。
「由梨は、その辺でストップ」
まっくんのストップを、おとなしく聞き入れ……る訳もなく。
「まだ、大丈夫」
「止めとけって」
「いーや」
それを見ながら、サクちゃんが
「相変わらず、仲、いいねぇ」
って笑っている。
「こいつら高校の時から、夫婦漫才だったからよ」
亮くんの言葉に、そんなことを言われたこともあったなーって思う。
あの頃は、まっくんの彼女になるなんて思いもしなかった。
「あれ?」
「なに?」
亮くんが、じっと私達を見る。
「ゆりが、マサと夫婦って言われて怒らないなんて。お前ら、付き合いだした?」
きゃー。
改めて言われると、顔から火が出る。
照れ隠しに、軽くうつむいたところで、
「えー。ゆりさん、マサの彼女じゃなかったのかよ」
私の向かいに座ったサクちゃんが、素っ頓狂な声を出す。
「限りなく近くって、限りなく遠かった、な、マサ」
「お前らと同列で、男扱いされてなかったからな」
ジンくんとまっくんの会話に、むっと顔を上げる。
まっくんたちだって、女扱い、してた?
「いや、どう見てもカップルだっただろうがよ」
「サクにはそう見えたんだ」
それでも、うれしそうにサクちゃんに尋ねている まっくんの顔を見ると知らずに顔が緩む。
「潰れたゆりさん送っていくの、当然のようにマサだったし。一番遠いマサが送っていくって、普通に考えたら妙だろうが」
「あれで弾みがつくかなって、リョウは企んでた」
ジンくんが、チーズフライに手を伸ばしながら、平然と言う。企まれてたんだ。
「企まなくっても、マサが譲るかよ」
「うんうん。ごく当たり前みたいな顔で、しぜーんに、ゆりさんを抱えてたよな」
「だろ?」
亮くんとサクちゃんの二人して納得しているけど。
「あんなモンで、弾みがついたりするか。生殺しもいいところ」
まっくんは、ボソッと言うとビールを飲んだ。
まっくんのグラスが空いたのでビールを入れて、残りを自分のグラスに。ありゃ、半分しかないや。
「だから。お前はもう止めておけって」
「いーやーよ。私も、飲むの」
「なら、飲むなとは言わないから。ペース落とせ。何か食べろ」
何かって。テーブルの上、揚げ物ばっかり。
「こんな、運動部の高校生みたいなメニュー。太るじゃない」
「だったら、太らないもの頼めばいいだろ」
ほらって、メニューを渡される。
「食事は、基本って、普段俺に言ってるんだから。飲んでないで、ちゃんとお前も食え」
「まっくんも食べてない」
「わかった。半分食うから。適当に頼んで」
呆れた声で言う まっくんに、アッカンベーをしてメニューを開く。
斜め前の席で、ジンくんが笑っている。
「ジンくん、何?」
「んー。本当に、夫婦だなって」
低い声をライオンの咆哮のように震わせて笑うジンくん。
みんなと同じようにビールを飲んで、声を立てて笑うジンくんを見たのは、これが最後だった。
店の前で、みんなと別れて。まっくんと二人、私の部屋へと歩く。
今日は、セーブして飲んだから、ほろ酔いで気分よく歩く。
お酒でほてった体に、夜風が気持ちいい。
「今日もステージ、楽しかった」
「そうか。由梨がそう言ってくれるのが一番うれしい」
音楽馬鹿が、何言ってるのかしら。
私の感想がどうでも、『演奏できるのが一番うれしい』クセに。
その証拠に、鼻歌なんか歌っているし。
いいなぁ。鼻歌。やっぱり、歌ったら具合悪くなっちゃうかな。
悔しくって、腕まくりした袖から見えている左腕をつねる。
「お前……ギタリストの手に」
「ふーんだ。歌ってる まっくんが悪いんだもーん」
しまったって顔で私を見下ろす まっくんに、”言い過ぎた”って、私の頭も冷える。
「ごめん」
「うん。私も」
視線を合わさず、足元を見るように謝り合って。
無言で数歩、歩いた。
まっくんの手が、私の手とぶつかった。そのまま、手が握られる。
初めて繋いだ まっくんの手はなんだかカサカサしていた。
繋がれた手を顔の前に持ってくる。
「いやか?」
「べーつに」
まっくんの手を見たのなんて、初めてかもしれない。私の手とは、厚みも大きさも違う手を観察する。
「これは、胼胝?」
「ギターだこ、だな。弦を押さえるから、皮膚が硬くなる」
「ふーん。そういえば、ギターいつからやってるの?」
そんなことも聞いたこと無かった。
「由梨が音楽教室やめたちょっと後」
「小学生? よね?」
「六年、だったかな。お前が辞めたから、クラスが俺一人になっただろ? グループレッスンを他のグループに編入して続けるか、個人レッスンに変えるかって聞かれて。だったら、いっそ新しい楽器がしたいって、ギタークラス」
気が付いたら、ギターのほうが電子オルガンより長くなったな。って。
「そのまま鍵盤をしてたら、きっとリョウと一緒にやろうとは思わなかっただろうな。住み分けができないし、勝負したら多分、負ける。」
「そんなもんなんだ」
「あいつは高校受験の頃に一度、弾くのを止めたらしいけど。元が結構弾けるし、オルガンじゃなくってピアノだったから、打鍵のパワーが違うんだよな」
「へぇ」
「それにな、左でもメロディー弾きやがる」
「うそ」
「ピアノの楽譜には、そんなのもあるんだよ。その代わり、コードが全然わからんって言ってるけどな」
「勝てる部分、あるじゃない」
「勉強すれば、あっという間に抜かされる。サクなんて、高校はいるまで音楽の授業しかやってこなかったのが、コード覚えてベース弾いてるしな」
「ふうん」
それぞれが、それぞれに道を辿って、集まったんだ。音楽の神様に呼ばれるまま。
「まっくんとサクちゃんって、音楽が無かったら一生出会うことは無かったかもしれないね。それを考えると、音楽って、すごい」
「お前とも、こうして無かったよな」
「??」
「そもそも、出会わなかったし?」
「ああ、うん」
「ジンたちとの縁が無かったら、由梨と話す機会も取れなかっただろうし」
「ええー、そう?」
「お前、クラスメイトとして俺と話した覚えある?」
「クラスメイトも何も。入学式の翌日には、『何で、まっくんがいるのよ!』だったし……」
「そうか」
夜風に目を細める まっくん。繋いだ手にきゅっと力が篭る。
「俺さ、女子とほとんど話さないんだけど」
「はぁ?」
「まともに話してるのって、ゆうりちゃんだけだよ。小学生の頃から」
うーん? そうだったっけ?
「何、話したらいいか、わからない」
「そっか。音楽馬鹿だから」
「うん。でも、ゆうりちゃんとは、話したいことがいっぱい有った」
「そんなに、話したっけ?」
「いっぱいありすぎて……余計に、言葉にならない」
なにそれ。
「結局、話してないじゃない」
「がんばって、話しちゃ、『まっくん、訳、わかんない!』って」
そう言いながら笑っている。笑いどころか? ここ。
「まったくもう。”訳、わかんない”」
「俺も何言ってるのか、分からなくなってきた。とにかく、そのくらい前から由梨のことが好きだったって分かってくれたら、それでいい」
ふつっと、言葉を切った彼を見上げて、足が止まる。
じっと見下ろしてくる、つり目に意識がつかまる。
気が付いたときには、
唇にほのかな温度を残して
街灯の明かりにも判るほど赤くなった顔を遠ざける
まっくんがいた。