餌付け
私の部屋に泊まったその日から。
時々思い出したように、まっくんが電話をしてくるようになって、なんだかんだと理由をつけてはご飯を食べていったり、泊まっていったり。
だからって、別に男女の関係になったわけでもなく。なる気も無いけど。
しいて言うなら……餌付けをしてしまった大型犬が、餌をもらいに立ち寄っているような。
まっくんが尋ねたように、ジンくんや亮くんを泊めたとしても、多分、同じ感じだっただろう。
ただ、周りはそう思わないようで。
まっくんが出入りしているのを目撃したらしい、近所の同級生から『ゆりには、彼氏がいる』との情報が広まったせいで、合コンのお誘いがトンとかからなくなった。
いいけどね。別に。男漁りに、大学に来てるんじゃないし。
そうして迎えた夏休みは、ほとんど実家に戻らず、こっちで過ごした。
休み明けにテストがあるし、バイトも入れてあるし。”大型犬”の世話をしないといけないし?
その日は、お昼過ぎに、まっくんが現れた。
「朝から、練習してたんだけど。みんなバイトの時間になって。俺も、あと一時間ほどしたらバイトだし」
って、つまりは時間つぶし。
私の勉強の邪魔はしないからって、かばんから取り出した楽譜を広げて、なにやら考えている。
冷蔵庫に入れてあったアイスコーヒーを入れて、テーブルに置くと片手で拝んでから手に取る。
まっくんが、こうやって時間つぶしに現れるのも、初めてじゃない。
「うちで時間つぶさなくっても。お店とかに入ればいいじゃない。学校の図書館とか」
って、初めてのときに言ったら、返ってきた答えが
「時間を忘れたら、やばいから」
それって。どうよ。私は目覚まし時計か。
「いっそのこと、目覚まし時計、持ち歩けば?」
「”二度寝”するのが、オチ」
「はぁ?」
「アラーム止めて、あと五分……って、やっちまう」
「”やちまった”んだ?」
「バイトじゃなかったから、まだ良かったけど」
「何やったの?」
「一般教養の授業に遅れた」
音楽馬鹿、音楽以外の授業はその扱いか。
自分の分のコーヒーを入れる。
まっくんは、すっかり没頭しているみたいだけど。
「で、何時に出るのか聞いてないけど?」
”目覚まし時計”、セットしなくっていい訳?
ああ、言ってなかった? とか。自分が何を言って、何を言ってないのかも判ってないのか。
ここを出る時間を聞いて、アラームをセットする。
そして、私も勉強を再開した。
ピ、ピ、ピ、ピピピp……
あー、びっくり。
アラームの音に、教科書から顔を上げる。温くなった、コーヒーを飲み干す。
「まっくん、時間」
「ああ、サンキュ」
んー、と唸りながらバンザイをするように伸びをする彼を見ていて。ふと、私はいったい何をしているんだろうかって、疑問がよぎった。
彼女でもないのに、バイトに行くように促して、時には泊めてって。
「ねぇ、まっくん」
「うん?」
「こういう事してくれる彼女、居ないわけ?」
私と同じように、残ったコーヒーを飲んでいたまっくんの手が止まる。
「彼女」
グラスを握っていないほうの手が、私を指差す。
「はぁ?」
「って、だめかな?」
「ダメに決まってるでしょうが。便利だからって、好きでもない女、彼女にしないの!」
「いや、由梨のこと好きだけど。言ってなかったっけ?」
「言ってない! 聞いてない!」
あれー、おかしいなって首をかしげながら、コーヒーを飲み干す。
おかしいなじゃなくって。いや、おかしいか。
「あのね。百歩譲って、まっくんが”言った”としたら、私がした”返事”ってもんがあるでしょうが」
「そうだな。じゃあ、由梨の返事は?」
ああーもう。そんなことが言いたいんじゃなくって。
「過去に言ったかどうかはともかく。俺は今、”言った”。由梨、返事」
揚げ足? これ、揚げ足を取られたの?
「由梨、俺のこと嫌いか?」
キライ、まっくんなんて、大っキライって。
高校一年の時のように言えたら……。
「ゆ・う・り?」
まっくんの呼ぶ、”う”の音が。何かを溶かした、気がした。
「キライ、じゃない。音楽馬鹿なまっくんのこと」
「なら、”彼女”でいいな?」
「……うん」
押し付けるような確認にうなずいた私を見て、にっこり笑った まっくんは。
「いっけね、時間」
と、かばんを持って飛び出していった。
”彼女”になってからも、同じように日々は過ぎる。
試験勉強をして、バイトに行って。たまに友達と遊びに行って。
その合間に、時々まっくんがやってきては時間をつぶしていったり、ごく稀にご飯を食べに行ったり。
彼氏彼女、になって……何か変わったっけ?
友達と約束するほうが、多い気がするんだけど?
うーん、と、悩んでいる私をよそに、今日もまっくんがやってきた。
今度、初ライブをするんだ! とか言って、浮かれている。
「由梨、見に来るよな?」
お誘い、じゃなくって確認、だよね。それは。
「何で?」
「何でって。来るよな?」
重ねて訊かれて。うなずくと、さらに声が浮かれて。
「良かった。由梨には、俺の作る曲すべて聞いて欲しいから」
「はぁ?」
「由梨から、歌を奪ったのが俺だって言うなら。曲を作ることで、お前に返す」
また、訳のわからないことを。
「返すって、どうやって?」
「うーん。それはこれから考える」
その答えのマヌケさ加減が、いかにも”まっくん”で。つい笑ってしまった。
ま、いいか。
ゆっくり、私も考えれば。
初めて訪れたライブハウス。
まっくんたちは”音で織る籠”と書いて、《オリオンケージ》って名前で出るそうで。
バンド名は、ジンくんが考えたみたい。さすがに、高校生で作詞をしただけのことはある。
いくつかのバンドが、順番に演奏するスタイルらしくって。まっくんたちの出番を待ちながら、他のバンドの曲を聴く。
事前にまっくんから聞いていた、織音籠の出番が来て。
ステージに出てきた四人を見て……開いた口がふさがらなかった。
何、あの亮くんの頭。肩近くまで伸ばした金髪に、緑のグラデーションって。
ジンくん、怖いから。その表情も服装も。
サクちゃんも、なんか髪の毛、立ってるし。
まっくんは……元が怖いか。あのつり目だし。
でも、曲が始まったら、そんなこと気にならなくなった。
いい声だ。ジンくん。相変わらず。
ライブハウスって、音楽をするための空間なんだなって、実感する。
その中で、気持ちよさそうに歌って、演奏する”織音籠”。
『由梨に歌を返したい』
まっくんの声がする。
”帰って”くる気がする。
いつかきっと。
織音籠の音で。
いろいろあった夏休みを終えて、前期試験も無事終了。
単位を落とすことなく、一年の半分が終わって。一般教養が終了して、ひたすら専門分野の勉強のみの講義になる。
実習をして、レポートを書いて。講義の予習と復習と。一生で一番勉強をしている気がする。
まっくんとは、相変わらずの距離。
そして、学園町に学園祭の季節が来た。
看護大学でも、当然、学園祭は行われて。サークルとか部活とかに所属していない私はひたすらお客様で、模擬店やステージを見て回る。横には当たり前な顔をして、まっくんがいる。
「ここで演ろうと思ったら、由梨にも参加してもらわないとな」
「だから。私は歌いません!」
織音籠は、まっくんたちの総合大学と、ジンくんの外大のそれぞれでステージに出るって言っていた。 まっくんのところが来週で、ジンくんのところが再来週。
「ゆりー、噂の彼氏?」
献血の風船配りをしていたらしい、友人が声をかけてくる。
二人で顔を見合わせて、小さくうなずく。うわー。誰かにまっくんを”彼氏”って紹介するの、初めてかも。
「彼氏さんも、献血おねがいしまーす」
愛想笑いを浮かべて、風船を貰うまっくん。似合わない。
「なに?」
「すっごい、ギャップ」
プププっと笑いが、こぼれる。だめだ、止まらない。
「ギャップ? かな?」
「うん。愛想笑いも、風船も」
ライブで見た、織音籠の雰囲気とすごく違う、って思ったら。さらに四人が風船を持って、微笑んでいる姿を想像して……あー、お腹が痛い。笑い死にしそう。
笑い転げる私を見ている まっくんは
いつもより、つり目が柔らかい気がした。