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大嫌い

 音楽なんて大嫌い。だった。


 物心が付いたころから、そんなひねくれた子供だったわけじゃない。

 少なくっても、幼稚園のころお遊戯は大好きだったし、公園でアイドルの真似事に熱中した時期だってある。音楽会も、進んで鍵盤ハーモニカを選ぶくらい。

 気の向くまま、歌って踊って毎日が楽しかった。


 でたらめの歌を歌い、コマーシャルの音楽に合わせて踊る私を見た祖母は、

由梨(ゆうり)には、ぜひ音楽をさせてやって」

と、母にお願いをした。

 そうして、電車で二駅ほど離れた音楽教室に通うようになったのが、二年保育の幼稚園に入った年。四歳児を対象にしたグループレッスンの教室だった。生徒は……六人だったか。


 母親の付き添いで始まったレッスンは、音遊びと歌から始まった。

 黒鍵をグーで叩いたら、車のクラクションになったり。

「この鍵盤を、お母さん指で押してね」 

 ポチっと電子オルガンのスイッチを操作した先生の合図に合わせて押さえたら、ボーンボーンって時計の鐘の音になったり。

 毎回のレッスンが楽しかった。宿題も、ノートに黒丸を一杯書いてくるとか、白丸を大きさをそろえて書くとか。グルグルの渦巻きも書いた。



 だんだんお互いがレッスンに慣れてきたら、いろいろな子がいるのが分かってきた。


 好き勝手に、ボタンを操作して音を変えちゃう あつしくん。

 新しいページを開くたびに『せんせい、このおつきさまのかお、へん』とか、妙なところにひっかかる まりこちゃん。

 いつも、ふやーんとしていて、横に座っているお母さんに叱られている なおみちゃん。

 鍵盤をほとんど触らずに、歌だけを歌いにきているような よしひろくん。

 いつも静かで、居るのか居ないのかわからない まさしくん。

 そして、わたし。


 ニコニコしていてやさしい声の西村先生と、大好きな歌と。毎週通うのが楽しかった。ドレミを覚えて、ちょっとずつ、音楽らしくなっていくレッスンも。



 習い始めて半年が経ったころに、電子オルガンを買ってもらった。 自分の電子オルガンだから、音をいろいろ変えて弾いてみた。あつしくんがあっちこっちのボタンを押してみるのがわかった気がした。それから、椅子に座っていたら届かない、足鍵盤も立って踏んでみることができた。

 一生の宝もの。ずっと仲良くしていくんだって思った。


 そして、お友達同士の呼び方も変わってきた。

 あつしくんとまさしくんは同じ幼稚園らしくって互いに『あっちゃん』『まっくん』って呼んでいるから、私たちもそれを真似した。よしひろくんは『よっちゃん』。

 まりこちゃんは『まりちゃん』、なおみちゃんは『なおちゃん』そして、わたしは『ゆーりちゃん』。まりちゃんが、『ゆりちゃん』って呼ぶもんだから、みんな『ゆり』なんだか『ゆーり』なんだか微妙な呼び方になっちゃった。

 まっくんだけが『ゆ、うりちゃん』って、へんな呼び方をしていたけど。



 二年目になると、少しレッスンが難しくなった。

 音当てってのが始まった。

 先生が

「これが、真ん中のドね。じゃあ、これは?」

 って、ポーンって弾く音を当てっこするんだけど。

 高いか低いか位はわかる。けど、ミなんだかファなんだか。ラなんだかシなんだか。

 なおちゃんと目を見合わせて、『わかる?』『ううん、ぜんぜん』って。

 まりちゃんとあっちゃんは、てきとーに答えているし。

 よっちゃんは……。まあまあ、当たっている?

 まっくんは、これが得意みたい。百発百中。私とか、なおちゃんが『うーん?』とか言ってたら、横で小さな声で『ラ』とか、『高いほうのレ』とか教えてくれる。時々先生に

「まっくん、静かにね。いまはゆーりちゃんの番よ」

 って叱られているけど、私にとっては大助かり。

 わからない音が出てくるたびに、まっくんの顔を見てズルをしていた。



 一年生になると、よっちゃんがレッスンの時間が変わるって、クラスから居なくなった。お勉強が始まるから、塾にも行くんだって。

 レッスンはちょっとずつ難しくなった。左手で和音が入るし。右手は本の指番号をちゃんと見ないと指が足りなくなっちゃう。音当ては、単音じゃなくってカデンツになるし、メロディーになるし。

 ドミソの和音じゃないのは判る。でも、シファソ? ドファラ? え、ファラドも出てきた?

 もう、何がなんだか。

 メロディーだって、ドーミソの次は、高いド? それとも高いレ? その次はラに下がった?

 判らなくって泣きそうになるたびに、まっくんの口元をこっそり見る。『高い、ド』って、声を出さずに教えてくれる。それを見て、判ったような顔をして答えを言う。

 そんなことで、レッスンをやり過ごしていた。


 そのつけが、あんな形で来るとは知らずに。



 二年生でなおちゃんがクラスを辞めて、あっちゃんが個人レッスンにクラスを変えた。 

 残ったのは、まりちゃんと、私と、まっくん。

 まりちゃんは相変わらずの、マイペースでほとんどお話をしなかった。というか、共通の話題が探せないし、互いに探す気もなかったし。

 まっくんは。

 一人で、メキメキと腕を上げていた。


「じゃ、来週は35ページの曲を練習してきてね」

 そんな、西村先生の言葉に

「先生。僕、弾ける」

 そう言って、両手で弾いちゃうまっくん。私も、まりちゃんも先週の課題を片付けるのがやっとだったのに。

「あら、本当。じゃ、まっくんは左手の和音を違う形にかえてきてごらん」

 って、まっくん一人が更に上級な課題を渡されて。

 で、迎えた次の週。まりちゃんは右手だけ練習してきてて、まっくんは、全部が四分音符だった左手の和音を、ところどころ二分音符に変えたり、途中で分散和音にしたり。

 私は

「ゆーりちゃん、楽譜よく見て。左手の和音、全部ドミソじゃないよ。途中でかわるでしょ?」

 とか、ダメだしを受けて。

 まっくん、すごいなぁ。私と、おんなじ学年(とし)なのに。何が違うんだろう。



 レッスンが終わって駅まで歩きながら、母がまっくんのお母さんに尋ねる。

「まっくん、普段どれだけ練習しているの?」

 って。

「練習って言うかね、この子弾きだしたら止まらないから。『お願い、学校行く前には電子オルガンのふたを開けないで』って。朝から弾きだしたら、学校遅刻しちゃうのよ」

 何、それ。

「すごいわね」

 母がうらやましそうな目で、まっくんを眺める。で、私の顔を何か言いたげに見る。

「それだけ練習すれば、うまくなるのは私にだってわかってますー」

 母に、あっかんベーとした。

 隣を歩くまっくんと、なんだか目が合った。

「ゆうりちゃん。練習がどうとかじゃなくってさ。さっきの和音。ドミソだったら、気色悪くない?」

「気色悪いって?」

「うーん。四角の穴に三角の積み木を突っ込むみたいな感じ?」

「は? 何それ」

「えーと、あれ? なんだろ?」

 えーと、うーんと。

 まっくんが悩んでいる間に駅について、そこでバイバイをした。



 通っている音楽教室では、年に一度アンサンブルの発表会がある。

 普段のテキストの三倍くらいの長い曲。三ヶ月ほどで覚えて、一緒のパートを担当するのが一人だったり二人だったり。 

 いつの頃からか、まっくんは絶対一人パート。私を含めた他のみんなは、同じクラスの子か、他の曜日のクラスの子と二人のパートなのに。

 楽譜を貰った次の週には、まっくんはほぼスラスラ弾けるようになって来る。クラスが三人だけになってからは、特に、私たち二人が途切れながら雨粒のように弾くのを、ため息をつくように見ている。

「まっくん。ヘッドフォンをつけて一人で弾いていて」

 って、先生はまっくんを自主練習にして、私たちに付きっ切り。

 私だけじゃないから大丈夫、って油断しては、ラストの一ヶ月前にスパートをかけて仕上げちゃう まりちゃんに、毎年裏切られる。

「ほら、ゆーりちゃん。あと、二週間よ。がんばらなきゃ」

 私一人に先生が付ききりで、練習をして。一時間のレッスンが終わるたびに、まっくんの、つりあがった目が練習不足を責めるみたいに感じられる。


 悪かったわね。

 あんたみたいに、一日中、弾いてなんかいられないわよ。



 更に、もうひとつの発表会が、アンサンブルの半年後くらいに個人で演奏する形式で行われる。

 プログラムが、クラス毎であいうえお順。

 ”なかお まさし”の次が、”なかむら ゆうり”。で、”やまぐち まりこ”。

 どうせならね、苗字じゃなくって、名前の順にしてくれないかな。そしたら、まりちゃんが間に入るのに。”なかお”と、”なかむら”なんて、間に誰も入りっこない順番。

 なんで、まっくんの次に弾かなきゃならないのよ。

 アンサンブルと違って、個人は間違えたらごまかしが利かないし。

 とりあえず、毎年まっくんとは違う曲。それも候補の中で、一番簡単そうなのを選んで凌いだ。

 毎年、舞台の上で詰まって、泣きそうになる。まっくんは、足鍵盤まで使って弾きこなしているのに。


 終わった後、先生が毎年言う。

「ゆーりちゃん、がんばったね。来年は、もう少し詰まらないようになろうね」

 って。それを、まっくんが横で聞いている。『泣くくらいなら、もっと練習しろよ』って、目で。



 なんとか発表会をやり過ごしても、毎週の課題は輪をかけて難しくなってきた。

 メロディーだけが書いてある楽譜に、伴奏をつけなさいとか。Aメロディーの後の続きを作ってみましょうとか。

 何をどう考えたら、できるのか。全然、見当も付かない。レッスンの帰り道に

「まっくん、伴奏ってどうやって考えてる?」

 って、ヒントを貰おうとしても、

「伴奏はメロディーラインから、なんとなく? 『これかな』ってのを弾いてみて、おかしかったら変えればいいだけだし」

 そこまで言って、あ、って顔で見られた。

「ゆうりちゃんには、ムリか」

 相変わらず、音が違っていても気づかない私には、そんな高等テクニック使えない。

 じゃぁ、どうするの? って。どうしたら良いのかわかれば苦労はしない。


 少しずつレッスンが、苦痛になってきた。



 四年生の秋。まりちゃんが引っ越した。遠くの県に。

 レッスンが、まっくんと二人になった。

 まりちゃんとは、ほとんど口をきく事がなかったから大きな変化じゃないと思ったのに。まっくんと二人のレッスンが、こんなにつらいとは思わなかった。

 『まりちゃん、リズムが』『ゆーりちゃん、和音』って、先生の注意が二人に対してだったのが、『ゆーりちゃん』『ゆーりちゃん』『ゆーりちゃん』って。

 毎週レッスンの後に、まっくんが何か言いたそうに私の顔を見ては、目をそらす。まっくんの、つりあがった目が『練習してこないなら、迷惑』って言っている気がする。


 けれど子供のときのように、練習が楽しいと思えない。電子オルガンのふたを開けるのが怖い。



 体に変化が起きたのが、五年生の夏休み。

 レッスンの日の朝から、お腹が痛くって。お昼ご飯を吐き戻した。

「風邪? おへそを出して寝ていたでしょう」

 母は、そう言ってレッスンを休む連絡を入れた。

 レッスンの開始時間を過ぎたら、お腹が痛いのがマシになった気がした。


 次の週も、その次の週も。レッスンの日になると、お腹が痛くなった。吐いて吐いて、体重が減った。

 次の日には元気になるけど、電子オルガンのふたを開けると気分が悪くなる。

 お医者さんは、

「ストレスですね」

 って。

 音楽教室が、ストレスになっているって。


 夏休みの間、レッスンを休んだ。



 二学期が始まって、学校は普通に行けた。

 けれどもレッスンの日は、放課後になると吐いた。

 そして音楽の授業も、歌ったり演奏したりしようとすると、気持ちが悪くなった。音楽鑑賞はとりあえず大丈夫だけど。



 いつの間にか私の体にとって、音楽は毒になっていた。 


 音楽教室を辞めた。

 電子オルガンのふたも、二度と開くことはなかった。

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