3章(4) そして転がりだす
三章―Ⅳ
「やべー、懐かしいな!」
「ほへー。ここが良平君が通った中学ですか」
日が落ちかける夕暮れ空の下、清稜中学校と書かれた校門の前に立ち止まり、浩市がアホ面で感傷に浸る。
下校時間を多少過ぎた時間であるというのに未だにちらほらといる生徒からの視線が痛い。突然来訪してきた見知らぬ高校生二人はさぞかし場違いも良いところだろう。
というか完全に目立ってしまっている。
こんな所でいきなり立ち止まるな!やっぱりこいつを連れて来たのは失敗だったか?
「いやー、ここに来るのも久しぶりだなー。卒業して以来だから、もう三か月くらいか。毎日通っていた所なだけあって懐かしさも二倍だなー」
「まだ、ほんの三ヶ月だろ。ほら、久世さんから話は通ってると思うし、この時間なら流石に校長室にいると思うから、直接行くぞ」
いつまでもこんな所にいるわけにもいかず、先に歩き出す。
「りょーかい。にしてもやっぱ中学生はいいよなぁー。こうなんかフレッシュな感じがさ」
「はいはい」
「最低ですね」
浩市はすれ違う女の子達を見ては鼻の下を伸ばし、後ろから着いてくる。
正直、他人のふりしたくなってきたな。
「なんだよ。二人してつめてーな。――伊織ちゃん達に会わねーかなー」
一瞬、普通の顔に戻るが、スグにアホ面に変わり、キョロキョロと周りを見渡しだす。
頼むから、あんま変な行動とらないでくれよ!
気のせいだと思いたいが、すれ違う生徒達から聞こえてくる会話の中に僕の名前が含まれているのを下の学年に妹がいるからだろうと結論づける。
「今の時間ならもう下校したんじゃ――」
「良平君!」
「あぁ、わかってる!」
投げやりに浩市に返答しようとし、言葉が詰まる。
それというのも突然襲ってきた耳鳴りのあと、全身を包んでいた大気が豹変し、ねっとりと体にへばり付く重いものになる。
「おい、良平。お前木曜日にちゃんと祓ったって言ったよな?」
「あぁ」
流石に浩市も気づいたか。この感覚は―――間違いなく近くに霊がいる!
「じゃあ、これは新手かなんかか?」
「そう思いたいけど――」
「この感覚…間違いなく前回のと同じ匂いがしますね」
一瞬、頭に過る言葉を雪燈がきっぱりと否定する。
「だろうな」
「マジかよ。頼むぜ、大将」
「こっちです!」
やはり感知能力に関しては唯の人間である僕や浩市よりも遥かに優れている彼女が先行する。
真っ直ぐ校庭を抜け、校舎の入り口まで来るが内部に入らずそのまま通り抜け、校舎の裏を目指す。
相手に近づいてきているのか、次第に僕等にもはっきりと感覚が掴めて来ると、目的の場所が中庭であると確信する。
三ヶ月ぶりと言っても、その前に三年間通っていた場所だ。
ある程度の場所がわかり、雪燈を追い抜き、浩市と同時に校舎の角を曲がり、中庭の景色を視界に入れる。
「おいおい、勘弁してくれよ」
「な、嘘だろ」
校舎からの影が落ち、薄暗くなった中庭に生徒が一人此方側を見ながら佇んでいた。
二つに結ばれている筈の髪の毛は今は解け、ボサボサのまま好き放題に風に吹かれ、その両目は光を失っていた。
「三ヶ月ばかり見ない間にすげーイメチェンしちゃったじゃないの。まったく、お兄さんは悲しいよ――杏子ちゃん」
冗談めかした口調でそう喋る浩市の言葉も動揺を隠せないでいる。
「そ、そんな」
そこにいたのは昨日会ったばかりの杏子ちゃんだった。
此方を呆然と見る顔からは彼女の意思が欠落していることがわかる。
そして、奴等にとり憑かれたことも。
「良平!呆けてる場合じゃねーぞ!」
「良平君!」
「な、なんで彼女が。そ、それにあの日ちゃんと祓ったじゃないか…」
与えられた目の前の現実に頭が考えるのを拒否し、豹変してしまった彼女の惨状に耐え切れなくなり、雪燈達の呼びかけにも反応できないまま地面に膝から崩れ落ちる。
「良平!」
それと同じタイミングで先ほどまで動く気配のなかった杏子ちゃんが予備動作なく、僕目掛けて一直線に飛び込んできた。
そこへ浩市が僕と彼女を結ぶ直線上にギリギリの所で滑り込むように体を入れ、彼女の突進を止める。
「おいおい、つれないねー。目の前にこんな良い男がいるってのに浮気ですか?」
軽口をつくが彼女の体重を支えたその足元は地面に減り込む。
「雪燈ちゃん!」
「はい!」
「取り敢えず、俺が時間を稼ぐから早いとこそこで呆けてる馬鹿を叩き起こしてくれ!俺には霊なんかを祓う力はねーからよ!」
「わかりました!」
彼女の意識がこちらに向いた一瞬を見逃さず、彼女の体を往なす様に地面に叩きつけ、横へと転がり膠着状態から逃げる。
「なるべく早く頼むぜ――くそっ、最近の中学生は皆こんな馬鹿力なのかね」
「うわぁぁあぁぁ!!!」
崩れた体勢を整えようとしたところに容赦なく文字通り必殺の拳が彼を捉えようとする。
それを一瞬の判断で上段受けで払い飛ばす。
「いってー!んでも、全国大会出場者を舐めて貰っちゃ困るぜ!」
そうして後退しつつも上へ下へと彼女の連打を往なし続ける。
その光景を現実と認識できずにただ呆然と見つめていると雪燈が目の前に寄って来る。
「良平君!しっかりしてよ!」
嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ!
「良平君!うっ…」
彼女の呼びかけもどこか遠くに聞こえてくる。目に映る視界はフィルターがかかり、現実感を喪失させる。
「嘘だ。嘘…、ぶはっ!」
呪詛のように呟いていた言葉は突然の顎への衝撃で上半身ごと弾け飛んだ。
そのままの勢いで地面に頭を叩きつけ、視界に靄のようにかかっていたフィルターも綺麗に吹き飛ぶ。
「いい加減に目を覚ませ、このど阿呆!それでもチンコついてんのか!」
間髪入れずに上から叩きつけられるように自分へと向けられた言葉に意識と現実がリンクする。
もう、もう一人の雪燈に変わる時間か。
「お、女の子がそーゆうこと言うなよ」
痛む頬を押さえながら上を向くと、そこには両手を腰に当て、悪戯が成功した時の子供の様な顔をした雪燈がいた。
「はん!目は覚めたのか」
頬を触る手からの痛みに彼女が自分の腕を操り、思いっきり殴ったんだと理解する。
まったく。こっちの意識がしっかりとしてないのに、勝手に体を動かすなんて離れ業をされたら敵わないよ。
「あぁ、お陰様で。悪い、迷惑掛けた」
意識がはっきりとした所で浩市の方を見れば防戦一方ながら、なんとか耐えてくれている。
「浩市!」
「おぉ、やっと目が覚ましたか。おせーんだよ!おっと」
此方をチラリと見ながら、杏子ちゃんの拳をかわす。
「大丈夫か?」
「大丈夫って言えば大丈夫なんだが、どうにも手加減できねーレベルの相手に手加減しなくちゃならないこの状況は正直きちーな…、うわぁ!」
話しながらも杏子ちゃんの攻撃は止まらない。
浩市の腕を見れば、所々腫れて紫色になっているのがわかる。
相手は悪霊に取り憑かれたといっても、肉体は杏子ちゃんなんだ。攻撃することも出来ないんじゃ、拙いぞ。
正直、時間がないな。
「取り敢えず、あの子が逃げないように足止めしといてくれ!――雪燈、いけるか?」
『りょーかい!』
僕の呼び掛けに二人の声が重なる。
「まだ、完全に日も落ちてないし、時間帯的には本調子じゃないが、やるしかないだろ」
「よし!行くぞ!」
両の足に力を入れ、地面を踏み込む。
さぁ、さっきの失態はここから巻き返しだ!
彼女は助ける、絶対にだ!
「お兄ちゃん!!」
「え?」
突然、聞き慣れた声がして、足が止まる。
「良平!」
「馬鹿!」
意識が離れたその一瞬をついて、僕を狙い杏子ちゃんが飛び出す。
それに反応した浩市が身代わりになる様に間に飛び込むも、まるでそれを最初から狙っていたかのようにすぐに反応した杏子ちゃんが浩市を殴り飛ばす。
そして文字通り、飛んだ。
「ぐうわぁぁ!」
「おい!浩市!おい!」
そのままの勢いで僕らの真横まで転がってきた浩市に慌てて駆け寄るが、意識を失っているため反応がない。
「くそっ!あの子は…」
「逃げたな」
彼女がいた場所を振り返るもその場にはもう誰もいなかった。
「悪い。最初から最後まで足引っ張った」
「取り敢えず、珍しく働いたこのグズと小娘の対処をしなければな」
「…あぁ」
声のした方――もう一度渡り廊下に目を向けると伊織が震える体で此方を見ていた。