婚約破棄を宣言した王太子殿下、その夜会は王国全土に魔導放送で中継されていますよ
「映像、音声、ともに良好。王都中央広場、北の港町、南の麦畑の村。全四十二か所の映像盤、受信を確認しました」
大広間の二階、柱の陰に設けた小さな中継室。
水晶盤に映る数字を読み上げると、隣のユリアンが静かに頷いた。
「局長代理。建国記念夜会の全国中継、予定どおり開始できます」
「ありがとう。では、始めましょう」
私は、中継水晶の起動符に指を置く。
リーゼ・ヴァイス。
王立魔導放送局の局長の娘で、今夜の中継の責任者。
そして、王太子クラウス殿下の婚約者だ。
魔導放送は、父と私が十年かけて作り上げた技術だった。
大広間に仕掛けた八つの中継水晶が、光と音を拾う。
それを、国じゅうの広場に置いた映像盤へ届ける。
これまでは、王都の限られた場所でしか映らなかった。
全国に同時に届けるのは、今夜が初めてだ。
国王陛下は、こうおっしゃった。
建国記念の夜くらい、民にも王宮の灯りを見せてやりたい、と。
婚約者のクラウス殿下は、この技術にあまり興味をお持ちではない。
初めて映像盤をお見せしたとき、殿下は画面を指でつついて笑った。
「なんだ、この板切れ。こんなおもちゃで何ができる」
それから三年。
殿下が中継室に足を運んでくださったことは、一度もない。
今夜の打ち合わせも、殿下は途中で「あとは任せる」と席を立ってしまった。
それでも構わなかった。
陛下が、民が、この放送を楽しみにしてくださっている。
それで十分だと、自分に言い聞かせてきた。
起動符が、青く光る。
「王国の皆様、こんばんは。これより、建国記念夜会の様子をお届けいたします」
◇
王都中央広場。
石畳の広場には、夕方から人が詰めかけていた。
正面の大きな映像盤に、きらびやかな大広間が映し出される。
「おお、映った映った!」
「あれが王宮の中かい。天井が金ぴかだ」
「おい、押すなって。子どもが見えねえだろ」
パン屋のハンスは、売れ残りの丸パンを売り歩きながら、映像盤を見上げた。
「ヴァイスのお嬢さんが作ったんだってな、これ」
「王太子様の婚約者だろ? 大したもんだ」
「将来の王妃様が作った放送か。いい時代になったもんだよ」
広場の隅では、小さな女の子が父親の肩車の上から身を乗り出していた。
映像盤の光が、丸い目にきらきらと映り込んでいる。
「とうちゃん、あたしも大きくなったら、あれ作る人になる」
「そうかそうか。ヴァイスのお嬢さんみたいにか」
「うん!」
◇
北の港町。
漁から戻ったばかりの男たちが、網を干す手を止めて、酒場の前の映像盤に集まっていた。
潮風に吹かれながら、陛下の祝辞に耳を傾ける。
「陛下の声を、この町で聞ける日が来るとはなあ」
「死んだ親父に聞かせてやりたかったよ」
酒場の女将が、樽から注いだ麦酒を、一杯ずつ配って回る。
今夜は店のおごりだと、誰かが言った。
◇
夜会は、滞りなく進んでいた。
陛下の祝辞。
楽団の演奏。
各地の領主の挨拶。
中継室の水晶盤には、国じゅうの広場から、次々と反響の光が届く。
拍手を感じ取ると、水晶が淡く光る仕組みだ。
「北の港町、反響が強いですね」
「漁師の皆さん、陛下の祝辞がお好きなのね」
ユリアンと小声で言葉を交わす。
ユリアン・ベルク。
放送局の技師で、中継水晶の調整にかけては私より腕がいい。
無口だけれど、仕事の相棒としては誰よりも信頼している。
大広間の中央で、楽団の演奏が終わった。
そのときだった。
「皆、聞いてくれ!」
クラウス殿下が、大広間の中央に進み出た。
その腕には、淡い水色のドレスの令嬢がしがみついている。
子爵家のセレナ様だ。
「リーゼ・ヴァイス! 今この場で、君との婚約を破棄する!」
中継室の空気が、凍りついた。
「……局長代理」
「分かっているわ」
殿下は、この夜会が中継されていることを知っている。
ただし、陛下の祝辞と演奏の部分だけだと思っている。
打ち合わせのとき、殿下は私の説明を半分も聞いていなかったから。
「中継、切りますか」
ユリアンが、切断符に手を伸ばす。
私は、少しだけ考えた。
切れば、殿下の恥は王宮の中だけで済む。
でも、切れば、私が何をされたのかも、王宮の中だけで握りつぶされる。
「いいえ」
私は、ユリアンの手をそっと押さえた。
「陛下は、民に王宮の灯りを見せたいとおっしゃったわ。途中で切るのは、陛下のご意向に反します」
「……承知しました」
ユリアンの口元が、ほんの少しだけ上がった気がした。
◇
「リーゼは、セレナを虐げていた!」
殿下の声が、大広間に響く。
そして、国じゅうの広場にも。
「先週、この夜会の予行演習の日だ。リーゼはセレナを大階段から突き落とした! セレナは足をくじいて、三日も歩けなかったんだぞ!」
「そうなんです……わたし、怖くて……」
セレナ様が、殿下の胸に顔をうずめる。
大広間が、ざわめいた。
私は中継室を出て、二階の手すりから大広間を見下ろした。
一階の視線が、一斉に私を見上げる。
「殿下。一つ、確認させてください」
「なんだ。言い訳なら聞かないぞ」
「突き落とされたのは、予行演習の日。先週の火曜日、午後三時ごろでお間違いありませんか?」
「そ、そうだ。セレナがそう言っている」
先週の火曜日の午後三時。
私は、この中継室にいた。
ユリアンと二人で、八つの中継水晶の角度を一つずつ直していた。
大階段には、一度も下りていない。
そして、あの日の大広間には、もう一人。
いや、もう八つの目があった。
私は、中継室を振り返った。
「ユリアン。先週火曜日の、試験放送の記録を」
「準備できています」
◇
南の麦畑の村。
村の集会所の前の映像盤を、百人ほどの村人が囲んでいた。
「おい、なんか揉めてるぞ」
「王太子様が、婚約破棄だってよ」
「なんだって、こんなめでたい夜に」
ふいに、映像盤の画面が切り替わった。
右下に、小さな文字が浮かぶ。
『先週火曜日 午後三時十二分 試験放送記録』
「なんだ、これ」
「さっきと同じ大広間だな。昼間みたいだ」
映像の中で、大階段の上に一人の令嬢が立っていた。
水色のドレス。セレナ様だ。
周りには、誰もいない。
セレナ様はきょろきょろと辺りを見回し、階段の二段目に腰を下ろした。
それから自分の足首をさすり、何かを練習するように呟いた。
『……リーゼ様に、突き落とされて……こう、かしら。もっと、か弱く……』
集会所の前が、しんと静まった。
「……今の、聞いたか」
「突き落とされたって、自分で練習してたぞ」
映像は、続いている。
大階段の下から、クラウス殿下が現れた。
『セレナ、台本は覚えたか?』
『はい、殿下。夜会の日に、泣きながら言えばいいんですよね』
『そうだ。リーゼは可愛げがないからな。皆の前で断罪すれば、父上も婚約破棄を認めるしかないさ』
麦畑の村に、どよめきが起きた。
「台本って言ったぞ、王太子様」
「あのお嬢さん、なんにもしてねえじゃねえか」
「ひでえな、こりゃ」
◇
大広間。
壁に掛けられた確認用の映像盤にも、同じ記録が映っていた。
クラウス殿下の顔が、真っ白になる。
「な、なんだこれは! こんなもの、でっちあげだ!」
「試験放送の記録です、殿下」
私は、二階の手すりに手を置いたまま答えた。
「予行演習の日、中継水晶の調子を確かめるために、大広間を一日中記録しておりました。打ち合わせのときにご説明しましたが、殿下はお聞きになっていなかったようですね」
「き、記録を止めろ! 今すぐだ!」
「止めても、もう遅いかと」
私は、中継室の水晶盤を指さした。
国じゅうの広場から届く反響の光が、真っ赤に染まっている。
「あの赤い光は、民の皆様の怒りの反響です。四十二か所、すべてから届いております」
大広間の貴族たちが、一斉に水晶盤を見上げた。
「全国に……流れているの……?」
「では、今の台本の話も、国じゅうに」
「なんということだ……」
セレナ様が、殿下の腕からそっと手を離した。
そして、一歩、二歩と後ずさる。
「セ、セレナ?」
「わ、わたし、殿下に言われただけです! 台本も、殿下が書いたんです!」
「なっ……!」
◇
王都中央広場。
「おい、今度は仲間割れだぞ」
「台本書いたの、王太子様だってよ」
「あれが次の王様になるのか?」
パン屋のハンスは、売りかけの丸パンを握りしめたまま、首を振った。
「ヴァイスのお嬢さん、よく泣かなかったなあ」
「それどころか、中継を止めなかったぞ」
「肝が据わってるよ。俺はあの人に王妃様になってほしかったね」
あちこちから、同意の声が上がる。
◇
「クラウス」
低い声が、大広間に響いた。
国王陛下が、玉座からゆっくりと立ち上がる。
「ち、父上! これは誤解です! 僕はただ……」
「お前は今、国じゅうの民の前で、嘘の罪を着せて婚約者を断罪しようとした」
陛下の声は、静かだった。
「民に王宮の灯りを見せたいと、私は言った。その灯りの下で、お前は何を見せた」
殿下は、答えられない。
「王太子の位は、民の信を預かる位だ。今夜、お前はそれを自分で手放した。クラウス、お前の立太子は取り消す。明日から謹慎せよ」
「そ、そんな……」
殿下は、膝から崩れ落ちた。
陛下は、二階の私を見上げた。
「リーゼ嬢。中継を止めずにいてくれたこと、礼を言う。王家の恥を、王家が隠すわけにはいかぬからな」
「もったいないお言葉です、陛下」
「婚約は、そなたの望むようにしよう。それと、民にも一言、何か伝えてくれぬか」
私は、少しだけ迷ってから、中継水晶に向き直った。
「王国の皆様。お騒がせいたしました。このあとも、建国記念夜会の様子をお届けいたします。どうぞ、楽しい夜をお過ごしください」
水晶盤の反響の光が、赤から、柔らかな金色に変わっていく。
国じゅうの広場から、拍手が届いていた。
大広間の隅で、父がこちらを見上げていた。
放送局の局長として、今夜は来賓席に座っていたのだ。
父は何も言わず、ただ小さく、一度だけ頷いた。
十年前、二人で最初の中継水晶を完成させた夜にも、父は同じ顔で頷いた。
その顔を見たら、ようやく膝の力が抜けそうになった。
◇
夜会がお開きになり、大広間の灯りが一つずつ落とされていく。
中継室で機材を片付けながら、私は大きく息を吐いた。
今になって、手が震えている。
「お疲れさまでした、局長代理」
ユリアンが、温かい紅茶の入ったカップを差し出してくれた。
「ありがとう。……あなたが試験放送の記録を残しておいてくれて、助かったわ」
「記録を残すのは、技師の仕事ですから」
「それでも。あの記録を今夜のうちに出せるよう準備していたのは、あなたでしょう?」
ユリアンは、少し黙った。
「……予行演習の日、記録を確認していて、あの場面を見つけました。すぐに局長代理にお伝えするべきか、迷いました」
「どうして言わなかったの」
「局長代理が、殿下のことを本当に大切に思っていらっしゃるなら、見せるべきではないと思ったんです」
ユリアンは、眼鏡を外して、布で拭いた。
手元を見たまま、言葉を続ける。
「でも、もし殿下が本当にあの台本どおりのことをなさったら。そのときは、中継を切るかどうかを、局長代理に決めていただこう。そう決めていました」
私は、カップを両手で包んだまま、ユリアンを見た。
中継室の窓の外には、王都の灯りが広がっている。
あの灯りの一つひとつの下で、今夜の放送を見ていた人たちがいる。
十年、同じ中継室で働いてきた。
水晶の調整がうまくいかない夜も、嵐で映像が乱れた日も、いつも隣にいた人。
「ユリアン」
「はい」
「今夜の私、泣かなかったでしょう」
「はい。見事でした」
「あなたが隣にいたからよ」
ユリアンが、眼鏡を持ったまま固まった。
それから、ゆっくりと眼鏡をかけ直し、私に向き直る。
「局長代理。いえ、リーゼ様」
「はい」
「十年前、初めてこの中継室で会った日から、ずっとお慕いしていました。婚約者のいる方に言うべきことではないと、黙っていました」
ユリアンは、深く頭を下げた。
「もう、黙っている理由がありません。私と、結婚を前提にお付き合いしていただけませんか」
胸の奥が、熱くなる。
私は、カップを机に置いた。
「……はい。喜んで」
ユリアンが顔を上げた。
十年間で一番、嬉しそうな顔だった。
そのとき。
机の上の水晶盤が、ぱあっと金色に輝いた。
四十二か所。
すべての広場から、割れんばかりの反響が届いている。
私とユリアンは、ゆっくりと顔を見合わせた。
それから、同時に、中継水晶の起動符を見た。
青く、光ったままだった。
「……ユリアン」
「……はい」
「中継、切った?」
「……切り忘れました」
◇
王都中央広場。
「おい、見たか今の!」
「技師の兄ちゃん、やるじゃねえか!」
「お嬢さん、よかったなあ!」
パン屋のハンスは、残りの丸パンを全部、空に放り投げた。
「祝いだ! 今夜のパンは、全部ただだ!」
広場じゅうが、歓声に包まれる。
北の港町でも、南の麦畑の村でも、同じ歓声が上がっていた。
◇
中継室では、真っ赤になった私が、震える指で起動符に触れていた。
深呼吸を、一つ。
それから、放送局の人間として、最後の務めを果たす。
「王国の皆様。本日の建国記念夜会の中継は、これにて終了いたします」
「……最後までご覧いただき、ありがとうございました」
◇
翌朝の王都新聞は、一面を三つの記事で埋めた。
『建国記念夜会、初の全国中継に成功』
『王太子、立太子取り消し 台本による断罪の企て』
『放送局の令嬢と技師、全国民の前で婚約』
三つ目の記事が一番大きかったのは、私としては納得がいかない。
クラウス殿下は、北の離宮で謹慎することになった。
陛下はその部屋に、映像盤を一台だけ置かせたという。
民がどんな顔で放送を見ているのか、毎晩見て学べ、という仰せだそうだ。
セレナ様は、子爵家の領地へ戻された。
後日、放送局に一通の手紙が届いた。
震える字で、ごめんなさい、とだけ書かれていた。
放送局には、その日から手紙が山のように届いている。
ほとんどが、お祝いの言葉だった。
その中に一通だけ、南の麦畑の村の、小さな女の子からの手紙が混じっていた。
『おおきくなったら、ほうそうきょくの、ぎしになりたいです』
私はその手紙を、中継室の壁に貼った。
隣でユリアンが、手紙の角がまっすぐになるよう、黙って直してくれた。
次の中継は、来月の収穫祭だ。
その日から、中継室の決まりごとが一つ増えた。
終わったら、起動符の光を、二人で指さし確認すること。
↓番外編「八つ目の水晶」(技師ユリアン視点。記録を見つけてから夜会までの一週間)
https://note.com/wise_turtle184/n/nd19b4cf2746d?app_launch=false#b3b22927-a1ca-4b46-bd6d-8c32e1daae81




