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冷たい淑女と呼ばれましたので

作者: 紡里
掲載日:2026/06/24

「聞いているのか、ロゼッタ?!」

 目の前の男性が、叱りつけるようにおっしゃいます。


 わたくしは爽やかな香りの紅茶を味わってから、のんびりと答えました。

「その話、聞く価値がありますか?」


 ぐぬぬぬとおかしなうなり声を上げて、男性が黙り込みます。

 別にわたくしが不躾な訳ではありません。


 だって、この男は元婚約者。今は赤の他人ですもの。

 先触れもなく突撃して来た不審者――それがこの男の現在の立ち位置です。



「浮気相手に騙された?

 それで廃嫡の危機?

 我が家と懇意にしている家門や商会から、距離を置かれるようになった?

 ただの愚痴ですし、自業自得ですわよね」

 ティーカップをソーサーに戻します。


 わたくしがそこまで言うと思わなかったのか、青ざめました。もう婚約者ではないので、嫌われても構いません。どちらかというと、心を折って二度と話しかけられないようにしたいくらいです。

 ああ、いいですね。そうしましょう。


「婚約というのは、家同士の契約です。先物取引と言ってもいいでしょう。

 契約の履行を前提に、当事者も周囲の人たちも環境を整えていきます。

 そして実際の取引直前に他の事業者の方が魅力的だからと、話し合いもせずに一方的に契約を破棄しましたね。

 そんな、信用ならない者と距離を置くのは当然でしょう。

 それから、もう婚約者ではないので、ファーストネームで呼ぶのはやめてください」


 目の前の男はハッとした表情になりました。自分が何をしたのか、ようやく認識できたのでしょうか。

「では、君は何も……」


「していませんわね。

 大体、浮気について苦言を呈したのは、婚約者としての体面を気にしてほしかったから。家門の印象を下げてほしくなかったからです。

 別に、あなたを愛していて嫉妬したわけではありませんわ」


 一口大に切り分けられたレモンケーキを口に入れます。甘みと酸味のハーモニーが素晴らしい。

 そこでまた紅茶を一口。至福ですわ。目の前の雑事さえなければ――


「そんなの…………嘘だ」


 はて?

「そんなの」とは何を指しているのでしょう? わたくしが画策していないこと? 愛していないこと?


「嘘でも誠でも、結果は変わりませんわ。

 そして、あなたはここにいるだけで迷惑なのです。護衛はわたくしを守るために三名も貼り付いていますし……」


「お嬢様。お客様をお連れしました」

 出かけていた使用人が、わたくしに声をかけてきます。

「ありがとう。ほら、あなたの家に苦情を申し立てに行くという仕事が増えましたのよ。

 引き取り手が来てくれて、よかったこと」


 元婚約者の家の使用人が部屋に入ってきました。

「お坊ちゃま。事態を悪化させることは慎むよう、旦那様からきつく言われて……」

「ああ、違う。そうじゃないんだ。助けてくれ!」

 彼は最後のセリフを、わたくしに手を伸ばしながら叫びました。なんとも不可解な行動ですこと。


「ふざけないでくださる? 本当ならわたくしがやられたように夜会で吊し上げて、斬り捨てたいくらいですのよ」

「僕は斬り捨てていないじゃないか!」


「たとえ話でしょう。話がズレておりますけれど……令嬢に婚約破棄されたという傷をつけるのは、それくらい罪深いのですわ。

 もう、平民になるあなたには関係ない知識でしょうけれどもね」


 わたくしに取り縋ろうとしたので、護衛に取り押えられた元婚約者。

 すぐに振り払われてしまう、彼の家の使用人も情けないと思いますわ。反省なさってほしいところです。


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった彼の顔を見て、思わず顔をしかめてしまいました。欲望に流されて、その場の感情で行動して、それを恥とも思っていないのかしら。

 いけません。表情を戻さなければ――これで、大丈夫。


 あの日の夜会で泣きわめかなくてよかったと、改めて自分を褒めてあげたいですね。


 わたくしだって、傷つかなかったわけじゃないのよ。共に歩んでいけるように、努力してきましたの。

 燃え上がるような情熱は互いになかったけれど、思いやりを積み重ねればと思っていました。

 それを、見せしめのように、夜会で……!


 不貞を美談にすげ替える、姑息な計画だったのでしょう。

 それをするには、浮気女の評判が悪かった。わたくしを責める点が、「冷たい」というだけなのも弱かったと思います。


 薄々あちらを選ぶかもしれないと、気付いていたのです。それでも、長年の情で穏便に婚約解消になると思っていたのに――裏切られました。


 ――貴族であるなら、動揺を悟られてはいけない。傷ついた顔を晒したら、無関係の人間にも付け込まれる。

 物心ついたときからの厳しい淑女教育が、あの日のわたくしを支え、か弱く同情を引くことを許しませんでした。


 そういえば浮気相手はどうなったのかしら。次の夜会に、誰かが親切なふりをして教えてくれるでしょう。わざわざ調べる価値もないわ。



「永遠に、ご機嫌よう」

 この男に「人の心がない」と罵られた淑女の笑みで、お見送りして差し上げましょう。


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