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私の知肉  作者: ぽぴ
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危険な知識はどう扱うかべきか



 私は扱い方を間違えれば、社会が崩壊しかねない知見を何個か持っている。それらは、論理的な整合性がそれなりにあり、誰でも理解できる()()がある。


だからこそ、この知見が悪用されれば、最悪、現代社会を支えている見えないインフラが破壊されることになるだろう。


私のせいで、複数の人間が、世界的に、そして、継続的に死に続けることになる。


そんなために作った知見じゃない。



 こうした知見は、墓場まで持っていくしかないのだろう。やや寂しい気持ちだが、仕方がない。知識を自分のオーナメントにしないためにも、仕方がないことだ。


 人間は知識を知ると誰かに話したくなる、当然、自分が生み出した知識も誰かに話したくなる。そういった承認欲求が関係するシステムは、知識が共有されるためには必要なものだ。


もし、キュリー夫人やニュートン、ポパーやベイトソンといった歴代の天才たちが、「自分が満足すればそれでよい」といった思想から、誰にも成果物のことを話さなかったら、現代社会は無かったのではないだろうか?


 そういった意味では、私の知見も新しい社会を産む可能性がある。ただそれが、悪い社会になるとしか思えない。



 こういったエッセイを書いてみて、私はなんて傲慢なんだろうと思った。文章を読む限りでは、自己愛が肥大化しすぎているために、極めて厳罰的な気持ちになる。


しかし、本当に勘違いならそれでいいと思う。


もし、他者の承認を望み、とっさに披露した芸が私の手元を離れ、人を次々に殺し続けるならば、もう止めることはできない。


だから、これでいいのだと思う。



知識は、なんでも披露すればいいわけじゃない。



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