コンビニの神様 〜全部、あなたのせいじゃない〜
この物語は、特別な力を持った神様の話ではありません。
深夜二時のコンビニで交わされる、ほんの短い会話の物語です。
人はときどき、逃げたくなります。
理由がはっきりしているときもあれば、うまく言葉にできないときもあります。
それでも、誰かの一言で、ほんの少しだけ足が前に出る夜があります。
この物語は、そんな夜の話です。
深夜二時。
店内には、冷蔵ケースの低い唸りと、蛍光灯の白い光だけがある。外は風が強いらしく、ガラス扉がときどき小さく震えていた。
ウィン、と自動ドアが開く。
入ってきたのは、制服姿の高校生だった。ブレザーのボタンは留めていない。肩で息をしている。走ってきたのだろう。
「いらっしゃいませ」
そう言うと、その子は商品棚を見ずに、まっすぐレジへ来た。
「あの」
声がかすれている。
「ここに、神様いるって聞いたんですけど」
またその言葉か、と思う。
この店はいつから、そういう噂の場所になったんだ。
「いないよ」
いつもの返事。でも今日は、少しだけ声が柔らかかった。
「でも、ここで救われた人がいるって」
目が赤い。泣いたあとだ。
「何を叶えたい」
自分でも、どうして聞いたのかわからない。
少女は少し黙ってから言った。
「逃げてきました」
「どこから」
「家」
短い答えだった。
「お母さんが、最近ずっと怒ってて。私が全部悪いって言うんです」
蛍光灯の光がやけに冷たい。
「成績も、部活も、ちゃんとやってるのに。もっと頑張れって。あんたがいると疲れるって」
言葉の最後が震える。
「私、そんなにダメなんですか」
俺は言葉を探した。
神様じゃない。家庭の問題を解決する力もない。
軽い慰めは、逆に傷つける気がした。
「なあ」
少女が顔を上げる。
「全部自分のせいだって思うの、楽なんだよ」
「……楽?」
「自分が悪いって決めれば、理由を考えなくて済むから」
昔の自分を思い出していた。
誰かの機嫌が悪いとき、全部自分のせいにしていた頃を。
「でもな」
ゆっくり言う。
「全部あんたのせいってことは、たぶんない」
少女は息を止めたまま聞いている。
「誰かの余裕のなさとか、不安とか、そういうのまで背負わなくていい」
保証はない。
それでも、これだけは言えた。
「頑張ってるなら、それでいい」
しばらく沈黙が落ちる。
冷蔵ケースの音がやけに大きい。
「……それ、神様の言葉ですか」
少女が聞く。
「違う」
「じゃあ、誰の言葉ですか」
俺は少し考えた。
「ただの、夜勤の店員の言葉」
一瞬、少女はきょとんとした。それから、ほんの少し笑った。
「それで、十分です」
ポケットから百円玉を取り出し、レジに置く。
「お願い、じゃなくて。今日はお守りです」
「いらないよ」
「だめ。神様はタダじゃだめなんです」
「だから神様じゃないって」
「じゃあ、代わりです」
少女は深呼吸をした。
「帰ります」
「大丈夫か」
「怖いけど。でも、さっきの言葉、持って帰ります」
ウィン、とドアが開く。
冷たい風が一瞬入り込む。
少女は振り返らなかった。
静かになった店内で、百円玉だけが小さく光っている。
神様なんていない。
奇跡も起きない。
家に帰れば、また怒られるかもしれない。
何も変わらないかもしれない。
それでも。
「全部自分のせいじゃない」
その一言が、あの子の夜を少しでも軽くするなら。
深夜二時のコンビニは、
今日も誰かの逃げ場になっている。
神様って、誰なんだろうな。
願いを叶える存在じゃなくて、
誰かが立ち止まれる場所のことを、
そう呼ぶのかもしれない。
「全部自分のせいじゃない」
たったそれだけの言葉でも、
誰かの心を支えることがあります。
大きな奇跡は起きません。
問題がすぐに解決するわけでもありません。
それでも、立ち止まれる場所があることは、きっと意味があります。
深夜のコンビニは、ただの店です。
でも、その場所で交わされた言葉が、
誰かの帰る勇気になることがあります。
もし今、少しだけ息が苦しい夜を過ごしている人がいたら。
どうか覚えていてください。
全部が、あなたのせいではありません。




