コンビニの神様 〜別れは、突然〜
別れは、いつも突然です。
昨日までそこにいた人が、
今日はいない。
その理由が、
あまりにも理不尽で、
あまりにも重いこともあります。
いじめは、遠い世界の出来事ではありません。
特別な学校でも、特別な誰かでもなく、
どこにでもある日常の中で起きます。
そして多くの場合、
外からは見えません。
笑っている顔の裏で、
何が起きているのか。
この物語は、奇跡を起こしません。
救えなかった夜の話です。
それでも、
目を逸らさないための話でもあります。
深夜二時のコンビニは、
今日も静かに灯っています。
その光が、
ただの物語の中だけのものにならないように。
深夜二時。
蛍光灯の白い光は、いつもより冷たく見えた。
ウィン、と自動ドアが開くたびに、俺は顔を上げる。
違う。
また違う。
ここ一ヶ月、俺はその音に過敏になっていた。
あの子が、来ない。
最初の一週間は、ただ忙しいのだと思った。
テスト前かもしれない。
家族旅行かもしれない。
二週間目、少しだけ胸がざわついた。
三週間目、レジの中の百円玉が増えないことに気づいた。
四週間目。
不安は、理由のないものじゃなくなっていた。
レジを開ける。
整然と並べた百円玉。
祈りの百円玉。
謝罪の百円玉。
生きる延期の百円玉。
覚悟の百円玉。
巡った百円玉。
そして、あの子が最後に置いた一枚。
「神様の分」
そう言って笑った夜。
あの笑顔は、嘘じゃなかった。
ウィン、とドアが開く。
見覚えのある女性が立っていた。
あの子の母親だ。
けれど、以前よりもずっと小さく見える。
「こんばんは」
声が、かすれていた。
「……こんばんは」
胸の奥で、何かが崩れる音がする。
「いつも娘が、お世話になっていました」
深夜二時。
この時間に“お世話になりました”は、嫌な響きを持つ。
「実は……」
言葉の続きを、聞きたくなかった。
「娘が、亡くなりました」
世界の音が消えた。
冷蔵庫の低い振動も、
エアコンの風も、
全部、遠のく。
「学校で……いじめがあったみたいで」
母親は続ける。
「家では、普通に笑っていて……気づけませんでした」
俺は、何も言えない。
「ここに来るの、楽しみにしていました」
その言葉が、胸に刺さる。
「神様がいるんだって」
やめてくれ、と思った。
俺は神様じゃない。
何もできなかった。
「ありがとうございました」
母親は深く頭を下げ、静かに店を出た。
ウィン、とドアが閉まる。
残ったのは、蛍光灯の白さだけ。
「……うそだろ」
膝が少し震える。
レジを開ける。
百円玉を全部、手のひらに出す。
軽いはずの金属が、重い。
「なんでだよ」
喉が焼ける。
拳をレジ台に叩きつける。
鈍い音。
「俺は……」
何をしていた。
あの夜。
「友達とうまくいかなくて」
そう言った声。
俺はどう返した。
ちゃんと聞いたか。
軽く流していなかったか。
「大丈夫」
何度も渡してきた言葉。
その重さを、分かっていたつもりだった。
でも。
救えなかった。
深夜二時。
俺は初めて、声を上げて泣いた。
喉が裂けるみたいだった。
神様なんていない。
最初から分かっていた。
奇跡も、保証も、永遠もない。
救いは、続かない。
別れは、必ず来る。
それでも。
それでもだ。
あの子が笑った夜は、確かにあった。
父親が目を覚ましたときの、あの顔。
俺に「神様も怖いんだよ」と言った夜。
レジの上に置かれた、小さな百円玉。
あれは嘘じゃない。
あの時間は、本物だ。
短くても。
消えなくても。
今ここにはいなくても。
確かに、生きていた。
俺は涙を拭く。
百円玉を一枚ずつ、引き出しに戻す。
整える。
揃える。
消えないように。
「ありがとうな」
届かないと分かっていても、言う。
そのとき。
ウィン、とドアが開く。
見知らぬ若い男が立っていた。
目の焦点が合っていない。
「神様、いますか」
その問いに、胸が締めつけられる。
答える資格があるのか。
救えなかった俺に。
それでも。
俺はレジの向こうに立つ。
「いませんよ」
声が少し震える。
「でも、話くらいは聞きます」
男は、少しだけ安堵した顔をした。
あの子も、きっとこんな顔をした夜があった。
救いは永遠じゃない。
別れは必ず来る。
守れない命もある。
それでも。
今ここに立っている誰かの夜を、
ほんの少しだけ軽くすることはできるかもしれない。
それは、奇跡じゃない。
ただの人間の、弱い灯りだ。
深夜二時のコンビニは、今日も静かだ。
あの子はいない。
戻らない。
それは変わらない。
でも。
灯りは消さない。
レジの中の百円玉は、
今日もちゃんと、並んでいる。
それは、永遠じゃない救いの証。
短くても、確かにあった時間の証。
俺は深く息を吸う。
「いらっしゃいませ」
声は、まだ少し震えている。
それでも。
立ち続ける。
神様じゃない俺にできるのは、
それだけだ。
いじめは、特別な場所で起きるものではありません。
どこにでもあります。
教室の隅でも、グループチャットの中でも、
笑い声に紛れて、静かに始まります。
そして多くの場合、
大人が気づいたときには、
もう取り返しがつかないところまで進んでいる。
誰か一人が明確な“悪”であるとは限りません。
「ちょっとした冗談」
「みんなやっていたから」
「自分は何もしていない」
その小さな積み重ねが、
一人の夜を、深く暗くしていくことがあります。
この物語の中で、
神様は救えませんでした。
どれだけ言葉を重ねても、
届かない夜がある。
それは、現実でも同じです。
けれど。
だからといって、
「どうせ何も変わらない」と
目を伏せていいのでしょうか。
いじめは、加害者と被害者だけの問題ではありません。
見ていた人。
笑って流した人。
気づきながら、何も言わなかった人。
そして、
もしかしたら無意識に誰かを傷つけたことのある、私たち全員の問題です。
あなたは、
誰かの教室の中で、どの位置にいますか。
あなたの何気ない一言は、
誰かの百円玉より重くなっていませんか。
救いは永遠ではありません。
でも、
傷もまた、永遠に残ることがあります。
深夜二時のコンビニは、
今日も灯りを消しません。
物語の中では、
もう一度「いらっしゃいませ」と言えます。
けれど現実では、
二度と開かない扉もあります。
その前に。
私たちは、何ができるのでしょうか。




