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上司には、正直に報告した。
病院で言われたことを、そのまま伝えた。右腕が動かないこと。原因は、心因性の可能性があるということ。言葉にしているうちに、それが自分のことだとは思えなくなっていった。
「病休を取るか」
少し間があって、続けて言われた。
「取るなら、診断書と書類を用意するように」
確か、そんなことを言われたと思う。
声の調子や表情は、思い出せない。ただ、選択肢を提示されたというより、手順を示された、という感覚だけが残った。
転属先では、頑張っても営業成績は思うように伸びなかったのだ。
数字は正直で、こちらの事情など考慮しない。以前のやり方は否定され、新しいやり方は身体と噛み合わない。そのずれを抱えたまま、日々は進んでいっき、上司の視線は、次第に冷たくなっていく。期待が失望に変わる過程を、私ははっきりと感じ取っていた。その過去が、自分を襲う。
そして、何かを考えようとしても、思考回路は止まったままだった。
次に何をすべきか、どうしたいのか。頭の中は白く、問いだけが浮かんでは消えた。焦りも、不安も、感情としては立ち上がらない。ただ、動かない右腕と同じように、思考も沈黙していた。
診断書を、医者に書いてもらった。
病名は、どこか曖昧で、文字だけが整然と並んでいた。それを手に持つと、自分の状態が紙一枚に収まってしまったようで、妙に心許なかった。会社に戻り、病休届を提出した。事務的な確認があり、書類は淡々と受け取られた。
そのとき、誰かが言った。
「この会社は、病休制度があるんだ。良かったな。他だったら、首だぞ」
冗談めいた口調だったのかもしれない。
励ましのつもりだったのかもしれない。けれど、その言葉は、私の中に冷たく残った。良かった、と言われても、何が良かったのか分からなかった。守られたのか、保留にされたのか、その違いすら曖昧だった。
会社を出た帰り道、私はゆっくりと歩いた。
右腕は、まだ動かなかった。
病休は、一年が最長だった。
期限があるという事実は、救いでもあり、同時に重りでもあった。終わりが見えている休みは、休息というより、猶予に近かった。
医者から処方された薬を飲み続けるうちに、やがて少しずつ、右腕は動くようになった。指が曲がり、肘が上がり、肩に力が入る。その変化は確かにあった。だが、それと入れ替わるように、身体中が痛むようになった。関節でも、筋肉でもない、場所を特定できない痛みが、朝から晩まで付きまとった。
医者は、変わらない調子で言った。
「精神的なものですね。検査結果でも、身体の異常は認められません」
その言葉を聞いた瞬間、足元に暗闇が広がった。
逃げ道が消える感覚だった。異常がないということは、治す対象がないということでもある。痛みは確かにあるのに、それを証明するものが、どこにもなかった。
貯金は、静かに目減りしていった。
数字が減っていく通帳を見るたび、時間が削られていくように感じた。転職という選択肢も、現実味を失っていった。身体は不調で、経歴は中断され、年齢だけが進んでいる。その事実が、じわじわと首を絞めてきた。
私は、医者に頼んだ。
「薬で、痛みは何とかならないのか」
医者は、少しだけ言葉を選んで答えた。
「薬で痛みを抑えることは出来ます。しかし、副作用もあります」
その「しかし」の後に続くものを、私は聞かなかった。
聞いてしまえば、また選ばなければならないからだ。
右腕が動かなくなってから、一年後。
私は、仕事に復帰した。与えられたのは、以前とは違う内容の仕事だった。営業からは外され、資料の整理や雑務に近い作業が中心だった。当然だ、と頭では理解していた。けれど、身体の奥では、何かが静かに折れていた。
時々襲ってくる痛みを、薬で誤魔化しながら、私は会社に向かった。
朝の通勤電車の揺れが、身体に響いた。席に座っても、立っていても、楽な場所はなかった。
耳に入ってくる言葉は、二種類あった。
「もう、会社辞めればいいのに」
「本当」
「視界に入れたくない」
誰に向けた言葉なのか、分からないふりをした。
分からないふりをすることだけが、私に残された技術だった。
一方で、こんな言葉もあった。
「今日は、大丈夫ですか?」
「眠れてますか?」
「辛かったら、休みを取っていいんですよ」
その優しさは、本物だったのかもしれない。
ただ、どちらの言葉も、私を同じ場所に留めた。辞めろ、という声も、休め、という声も、結局は私の代わりに決断してはくれない。私は、自分の席に座り、与えられた作業をこなした。
痛みを抱えた身体で、役に立たない自分を抱えたまま、それでも一日は終わる。
その繰り返しの中で、私は、働くという行為が、生きることと限りなく重なっていた頃の感覚を、少しずつ失っていった。残っていたのは、ただ、今日をやり過ごしたという事実だけだった。




