婚約破棄された悪役令嬢〜「真実の愛を見つけた」と再び復縁を迫られるも今更遅いですわ。私はすでに溺愛されていますもの〜
「君との婚約を破棄する。ぼくは、真実の愛を見つけたのだからな。君のような冷酷な女……こちらから願い下げだ」
王太子殿下のその宣言。
それに広間がざわめく。
王太子の隣。
そこには、王太子に守るように抱き寄せられる平民出身の少女の姿があった。
「承知いたしましたわ」
私は静かに一礼した。
泣きもせず、責めもせず、取り乱しもしない。
その様子が気に食わなかったのか、王太子は眉をひそめる。
「随分とあっさりだな」
「ええ。ご決断は尊重いたしますわ」
本音を言えば、解放された気分でした。
こうして私は、冷酷令嬢の役目を終え、王宮を去った。
でも、その時の心。
それは少しだけ痛かったことを覚えています。
〜〜〜
それから一年後。
私は王都から離れた地で、新たな生活を送っていた。
研究、経営、そしてーー
「無理はなさらないでください」
そう言って、自然に肩へ外套を掛けてくれる人物。
アレクシス・フォン・ルーヴェンシュタイン。
辺境伯にして、王国屈指の実力者。
「心配性ですのね」
「あなたが大切だからです」
「わたしが?」
「はい。貴女がとても大切だから」
とても。
素敵なお方です。
彼は私が婚約破棄された過去も、その理由も、すべて知った上で、**「それでも欲しい」**と告げた人。
今の私は、誰かに選ばれる立場ではありません。
今の私を選んでくれる人。そんな存在が居るのですから。
〜〜〜
そんな平穏を壊すように、“彼”は現れた。
扉を開け、
「久しぶりだな」
王太子。
かつて私を捨て、「真実の愛」を選んだ人。
やつれた顔。
かつての威光は影も形もない。
「やり直したいんだ。君こそが、ぼくに必要な存在だった」
「あら。“真実の愛”は、どうなさいましたの?」
私が微笑むと、彼は言葉に詰まった。
「それは終わった。だが今度こそ、君を大切に」
その瞬間。
「それ以上は聞く必要がありませんね」
私の前。
そこに一歩進み出たのはアレクシスだった。
「彼女は私の婚約者です」
王太子の目が見開かれる。
「なに?」
アレクシスは静かに、しかしはっきりと言い切った。
「あなたが手放した女性は今や、私の最愛の人です」
完璧でした。
なにもかも。わたしの心は既にこのお方に惹かれています。
私は、元婚約者をまっすぐ見つめて告げる。
「今更遅いですわ」
その一言ですべては終わった。
「あなたは“真実の愛”を理由に、責任を捨てた。私はその結果としてもっと良い人生を手に入れただけ」
王太子は何も言えず、立ち尽くす。
「選択には必ず結果が伴います」
そう言って、私はアレクシスの腕を取った。
彼は頷きすぐに嬉しそうに微笑んだ。
「貴女はこのわたしが守ります」
「ええ。わたしには大切な未来が待っていますもの」
〜〜〜
王太子の前で、扉が静かに閉まった。
私は思う。
婚約破棄は終わりではなかった。
もっと幸せになるための始まりだったのだと。
だから。
戻ってこられても、今更遅いのですわ。
〜〜〜
王太子。
いいえ、元王太子はあの日以来、王都に居場所を失っていた。
私の屋敷を追い出された直後から、社交界は露骨なまでに彼を避け始めた。
「殿下、いえ。その」
かつて媚びへつらっていた貴族たち。
彼らも今や、名前を呼ぶことすらためらう。
理由は単純だった。
私がアレクシスの婚約者になったから。
それだけですべてがひっくり返ったのだ。
〜〜〜
数日後、王城で正式な発表が行われた。
国王による声をもって。
「辺境伯アレクシス・フォン・ルーヴェンシュタインとリディア嬢の婚約を、ここに認める」
その場に元王太子もいた。
いいえ呼ばれてしまったのだ。
彼の顔色。
それは、青を通り越して白かった。
なぜならその直後ーー
「なお、先の婚約破棄騒動により王族としての資質に疑義が生じた。その為、王位継承順位を見直すこととする」
完全に詰み。
誰も彼を庇わない。
かつての「真実の愛」も、すでに姿を消していた。
理由はおそらく。彼女もまた「真実の愛」を見つけたからなのだろう。
私は、隣でアレクシスに手を取られながらも一切表情を変えなかった。
王太子が落ぶれる様。令嬢たるもの、それは感情を込めずに見るものなのですから。
〜〜〜
社交界ではさらに事実が広まった。
あの「真実の愛」の少女。
それがすでに別の貴族と関係を持っていたこと。
しかも。
「殿下が失脚したと知った瞬間。すぐに別の後ろ盾を探したらしい」
ええ。とても現実的で、とても人間らしい選択ですわね。
元王太子はその話を聞いた夜。
一人で酒場にいたそうです。
「あれが、愛だったはずなのに」
誰も答えない。
誰も同情しない。
彼が切り捨てたものの価値。
それを、今さら理解しても元には戻らないのですから。
〜〜〜
数週間後。
私は王都の式典に出席していた。
「辺境伯夫人となるお方です」
そう紹介され、会場の視線が一斉に集まる。
元王太子はその場の隅でただ立ち尽くしていた。
彼は気づいたのだ。
自分は「選ぶ側」だと思っていた。
だが本当は、選ばれていただけだったのだと。
私が彼を見ることはもう二度とない。
視界に入れる価値すらない。
アレクシスが耳元で囁く。
「幸せにします。このわたしが貴女を」
私は微笑んだ。
後悔。
その感情はわたしの心に微塵もない。
「後悔。それは彼の問題ですわ」
選択には結果が伴う。
そして私は、正しい選択をしたのだから。
〜〜〜
後に、元王太子は地方の名ばかりの役職に追いやられたという。
権力も、名誉も、愛もない。
ただ、「かつて王位に近かった男」という肩書きだけを残して。
私は今日も、愛する人と穏やかな日々を送っている。
婚約破棄?
真実の愛?
ええ、結構ですわ。
私の幸せにはもう不要ですもの。
〜〜〜
王都最大の大聖堂は祝福の光に満ちていた。
白い大理石の回廊。
天井から差し込む光が花弁のように舞い落ちる。
私の結婚式。
辺境伯アレクシス・フォン・ルーヴェンシュタインと、リディア・フォン・シュタインハイム。
王族、貴族、各国の使節。
誰もがこの婚姻を「祝うべき当然の出来事」として受け止めていた。
そう、誰一人として疑っていない。
その中に、ただ一人だけ場違いな人物がいた。
元王太子。
末席。
壁際。
視線を合わせる者は誰もいない。
かつて彼が立っていたのは、この聖堂の中央だったというのに。
彼は、祭壇に並ぶ私たちを見つめていた。
白いドレスの私。
隣で微笑むアレクシス。
その光景。
それこそが最終的な格付けだった。
「健やかなる時も、病める時も」
「共に偽りのなき愛を誓いますか?」
神官の声が響く。
アレクシスは迷いなく答える。
「誓います」
そして、私。
「誓います」
その瞬間、聖堂に拍手と祝福が満ちた。
それは形式ではない。
誰もが納得した祝福だった。
元王太子の喉が小さく鳴る。
彼は理解してしまったのだ。
自分が手放したものがどれほど大きな価値だったのかを。
式の後。
賓客が去り、聖堂が静けさを取り戻した頃。
彼は、私の前に立った。
「幸せそうだな」
ええ。
疑いようもなく。
「今度こそ、間違えなかったんだな」
私は少しだけ考えてから答えた。
「いいえ」
彼の目が揺れる。
「私は最初から間違えておりませんわ」
あなたが間違えただけ。
その言葉。
それは声に出さなくても十分に伝わった。
「あなたが“真実の愛”を選んだあの日、私の人生はあなたの手を離れましたの」
私は微笑む。
「ですから、今日のこの光景。あなたとは無関係な当然の結果ですわ」
それが、彼に与えた最後の裁定だった。
アレクシスが、私の手を取る。
「帰ろう」
「ええ」
振り返らない。
もう、見る必要がない。
背後で元王太子は膝をついたという。
誰も助けない。
誰も気づかない。
それが完全敗北。
〜〜〜
その後、元王太子の名が歴史書に載ることはなかった。
「真実の愛を理由にすべてを失った男」
その一文すら残らない。
私は今日も、愛する人の隣で穏やかに笑っている。
婚約破棄?
復縁?
ええ、今更遅いですわ。
すべて終わりましたもの。
〜〜〜
朝の光が白いカーテン越しに差し込んでくる。
「もう朝ですわね」
私が身じろぎすると、すぐ隣から低い声が返ってきた。
「まだ早いですよ」
そう言って、腰に回される腕。
逃げ道はない。
「少しだけこうしていましょう」
ええ、知っていますとも。
“少しだけ”が、全然少しでは終わらないことを。
私は小さく笑って、彼の胸元に額を預けた。
結婚してからというもの、世界は驚くほど穏やかだった。
誰かに疑われることもなく、誰かの顔色をうかがうこともない。
「今日は領地の視察でしたわね」
「ええ。ですが」
彼は、私の手を取って言った。
「あなたが一緒でないなら早めに戻ります」
相変わらずです。
「公務より、私のほうが大事なのですか?」
冗談めかして聞けば、即答だった。
「当然でしょう」
迷いがない。
一ミリもない。
ああ、本当に。
私は“選ばれた”のではない。
選び合ったのだ。
〜〜〜
王都では、今も噂が流れているらしい。
「元冷酷令嬢、辺境伯に溺愛されすぎ問題」
「夫人、視察先でも常に隣にいるとか」
「むしろ伯爵のほうが嬉しそう」
失礼ですわね。
でも、否定はしません。
「気にされますか?」
彼がふと聞いてくる。
「いいえ。幸せだという事実まで隠す必要はありませんもの」
そう言うと彼は少し照れたように微笑った。
「ではもっと堂々と溺愛します」
加減を覚えてくださいませ。
〜〜〜
夜。
一日の終わりに私はふと思い出す。
かつて「冷酷令嬢」と呼ばれていた頃のことを。
婚約破棄。
真実の愛。
復縁要請。
今となっては遠い昔の出来事だ。
「後悔は?」
彼が静かに尋ねる。
私はきっぱりと首を振った。
「一度も」
そして続ける。
「婚約破棄。それは、私の人生で一番。正しい別れでしたわ」
彼は少しだけ驚いたあと心から嬉しそうに笑った。
「では」
彼は私の手の甲にそっと口づける。
「その先の人生を、私と一緒に更新していきましょう」
窓の外では星が瞬いている。
私は思う。
冷酷令嬢?
婚約破棄?
真実の愛?
ええ、もう十分ですわ。
今の私は誰よりも愛され、そして誰よりも幸せなのですから。




