第9話 悪役令嬢と王妃のネックレス(1)
「アリスリンデお嬢様、奥様、失礼いたします。ベルトラン男爵がお嬢様にお目にかかりたいとのことで、いらしていますが、いかがいたしましょう?」
長年に渡るアリスリンデの王子妃教育もひと段落したその日、王宮に上がる予定のなかったアリスリンデは、久しぶりに王都にあるハノーバー伯爵家のタウンハウスで、母である伯爵夫人と静かに午後のお茶を楽しんでいた。
南向きのサンルームに、暖かな日差しが注ぎ、伯爵夫人が刺繍をする手もとを明るく照らしている。
「ベルトラン男爵?」
アリスリンデが頭をかしげる。
「今日は、どなたかお越しになる予定になっていたかしら?」
アリスリンデの言葉に、来客を告げに来た家令が眉を下げる。
「いいえ。本日はご来客の予定はありませんでしたが」
「お約束や先触れなしにいらした、ということかしら?」
アリスリンデの指摘に、家令は控えめにうなづいた。
「はい。それが、イングリッド妃殿下のお使いだとおっしゃいまして。殿下のご実家、アジャートン公爵家の執事だとおっしゃっています」
明るい色合いのジニアのお花と、可愛い小鳥が刺されている刺繍から目を上げ、アリスリンデの母が心配げに娘を見つめる。
「まあ。王妃殿下の? ……何でしょうね? お母様も同席した方がよければ———」
しかし、アリスリンデはそれを制した。
「いいえ。大丈夫ですわ、お母様。わたくしがお会いします。お母様はまだお疲れでしょう、どうぞ心配なさらないで。必要でしたら、今日は屋敷にお父様もいらっしゃいますし、声をかけさせていただきますわ」
アリスリンデは立ち上がった。
たしかに、どこか気になるところはある。
しかし、母の同席をアリスリンデは断った。
母はもともと体が弱く、最近ずっと体調がすぐれなかったのが、今週になってようやく部屋から出られるようになったばかりだ。
余計な心配をかけたくなかった。
「ノア」
アリスリンデは自分の専属侍女に声をかけた。
部屋に待機していたノアがそっと進み出る。
「あなたも一緒に来てちょうだい。お客様は、サロンにお通しして」
「かしこまりました」
家令が部屋を出て、アリスリンデもノアを従えてその後に続く。
そしてサロンで対面したベルトラン男爵は、やせて、小柄だった。薄くなった金髪を撫でつけ、どこかで見たような、薄いグレーの瞳をした男だった。
その色合いのせいか、なんだか、感情の薄い……どこか、何を考えているのかわからないような、きまりの悪さをアリスリンデは感じた。
「突然お伺いいたしまして、大変申し訳ございません。しかし、事情がございまして……妃殿下のご希望で、あくまで私的に、ということでして……こちらでございます」
ベルトラン男爵はよくわからない言い訳をしながら、持参したベルベットの平たい箱をテーブルの上に置き、静かにフタを開けた。
そこに現れたものに、アリスリンデは目を見開いた。
「こちらは、妃殿下のお気持ちでございます。あなた様の朗読に大変感心され、ぜひ褒美を、とおっしゃいまして」
アリスリンデは顔が青ざめるのを感じた。
(ありえない。いくら何でも、これは)
アリスリンデは応接間の入り口に控えていたノアに視線を送る。
ノアはうなづくと、素早く部屋を出て行った。
「……いかがでしょうか? お気に召しませんか? どうぞ、遠慮なくお納めください」
しかし、アリスリンデは一言も口を開かなかった。
そのまま父であるハノーバー伯爵が来るのを待つ。
幸いなことに、父はすぐに来てくれた。
「失礼する。……これは、どういうことでしょうかな?」
ハノーバー伯爵は静かに口を切った。
テーブルの上で輝いているのは、親指の爪ほどの大きさがある、涙型のダイヤモンドを中央に、無数の小さなダイヤモンドが散りばめられた豪華なネックレスだった。
「はい、お嬢様に申し上げたとおりでございまして。これは王妃殿下からお嬢様に贈られたご褒美でございます。個人的に、ということでしたので、私がこのようにお持ちいたしました次第で」
アリスリンデとハノーバー伯爵は目を合わせた。
アリスリンデがうなづく。
「こちらは、受け取れませんわ。どうぞこのお品を持って、お引き取りくださいませ。後日改めて、妃殿下にはわたくしからお話いたします」
「娘の言うとおりです。お引き取りください」
アリスリンデとハノーバー伯爵にそう言われて、ベルトラン男爵は残念そうにうなづいた。
「わかりました。そこまでおっしゃるのなら、私はこれで」
ベルトラン男爵がダイヤモンドのネックレスを収めたベルベットの箱を手に屋敷を出ると、アリスリンデはほうっとため息をついた。
「お父様、どういうことでしょうか? あれは———あれは、ご褒美などありえません。あのネックレスは、覚えております。王家に代々伝わるダイヤモンドでは」
ハノーバー伯爵もうなづく。
「おそらくそうだろう。私にもさっぱりわからない。……アリスリンデ、しばらく身辺に気をつけなさい。どうも嫌な感じがする」
しかし、不思議なことにその日以来、アリスリンデが王宮に呼ばれることはなくなった。
あれほど忙しかった王子妃教育も、「もう十分行われた」という理由で、休止となる。
アリスリンデの婚約者であるセオドア王子からの連絡も途絶えた。
(どうしたのかしら。何か、あったのかしら)
アリスリンデはそう思い、セオドアとイングリッド王妃のそれぞれに手紙を出したが、返事が来ることはなかった。
困惑しているうちに、以前から予定されていた国王主催の夜会の開催日が迫ってきた。
「ねえ、アリスリンデ。当日のドレスは、これでいいの? 何か……セオドア殿下からは……」
侍女達を指揮して、ハノーバー伯爵夫人はアリスリンデのために夜会の支度を整えてくれていた。
遠慮がちに言葉をにごす母に、アリスリンデはうなづいた。
「ええ、今回は、何もお話がないの。でも大丈夫よ。以前いただいたドレスを着ようと思っておりますわ。アクセサリーも去年のお誕生日に贈っていただいたものがあるからそれを」
「そうね、きちんと手入れはしているから、それは大丈夫だと思うわ」
ハノーバー伯爵夫人はふう、と息を吐いた。
「王子妃教育も正式に終了したわね。そろそろ結婚式の日取り、打診がくる頃かと思うわ。あなたのお父様も気にしてくれていると思うけれど、こちらもできることは、今から支度をしておかないとね」
ハノーバー伯爵夫人は、そう言うと、アリスリンデを元気づけるように、優しく微笑んだ。
「お母様、ありがとうございます」
そんなやりとりを母娘で交わし。
そうして、夜会当日を迎えた。




