第8話 キャメロン王太子
「キャメロン、いったい、どういうことなの!?」
キャメロンは周囲を気にしながら、王宮の中を、とりわけ人通りの少ない回廊を選んで歩き、ようやく王族の居住棟にたどり着いた。
信頼している侍女に話し、この時間は人払いをしている。
こっそりと自分の部屋に戻ったつもりだったのだが———。
自室のドアに手をかけた瞬間に、背後から冷ややかな声を浴びせられたキャメロンはびくり、と体を震わせた。
ゆっくりと、そのほっそりとした体を反転させ、目の前に立ち塞がる人物に向き合う。
そこには、表情のない、冷たい顔でキャメロンを見つめる、イングリッド王妃の姿があった。
「そのドレス姿は?」
「お、お母様」
淡いブルーのドレスを着たキャメロンが、ぎこちなく視線をさまよわせる。
声を聞きつけて、慌てて部屋のドアを開けた侍女は思わぬ光景に、顔を青ざめさせた。
「アルマ、あなたは下がりなさい」
イングリッドの容赦のない一声に、侍女は頭を下げて部屋の奥へと姿を消す。
その姿を見送って、イングリッドは改めてキャメロンに視線を向けた。
「キャメロン、部屋に入りなさい」
イングリッドはキャメロンを部屋に入れ、後ろ手にドアを閉めた。
「どこに行っていたの、そんな格好をして?」
イングリッドの声には、抑えきれない苛立ちがにじみ出ている。
キャメロンは覚悟を決めて言った。
「……マグリット夫人のお茶会に行っていました。朗読が聞きたくて」
「朗読? まさか、アリスリンデの?」
「……はい」
キャメロンは小さな声で言った。
イングリッドは「はぁっ」とため息をつく。
「まさかあなたがその辺の年頃の娘のように、宮廷恋愛小説が好きだとは知らなかったわ」
「…………」
「まあ。わかっているでしょうね? あなたが女の子なのは、誰にも知られてはいけないのよ? なんでまた、わざわざドレス姿などをして……! どういうつもりなのよ。誰ともしゃべらなかったでしょうね?」
「………」
キャメロンの沈黙に、イングリッドの目が厳しくなった。
「誰と話したの?」
「………」
「キャメロン?」
「ア……アリスリンデ嬢と、少し話しました。でも、私だと気づかなかったと……思います」
次の瞬間、ぱしん! と乾いた音がした。
イングリッド王妃の扇が、キャメロンの頬を打ったのだ。
「手加減はしているわ。跡は残らないから安心なさい。あなたは王太子なのですからね」
そう言うと、イングリッド王妃は暗い目でキャメロンを見つめる。
「よりによって、アリスリンデとはね。着替えてきなさい。今すぐ。こんなことは、二度と許さないわ」
イングリッドはそう言い捨てると、キャメロンの部屋を出た。
バタン、と大きな音を立てて、ドアが閉まる。
キャメロンはうつむいて、そっと奥の寝室へ向かった。
(アリスリンデ嬢。今まで聞いていたお母様の話だと、なんて嫌味な女性だろうと思っていたけれど———素敵な、人だったな)
性別を偽り、男子として王太子になったキャメロン。
友人と呼べる人はいなかった。
女子であることがばれるのを恐れ、母であるイングリッド王妃はキャメロンを病弱である、内気である、などと言い訳をして、なかなか人前に出さなかったからである。
(アリスリンデ嬢はセオドアの婚約者だから、これからも会うことになる。今まではあまり接点はなかったけれど———いつか、家族として、親しく話せるようになると……いいな)
キャメロンが注意深く衣裳室に入ると、忠実な侍女のアルマが待っていてくれた。
かつてキャメロンの乳母だった彼女は、すべてのことを知っている、唯一の存在だった。
「キャメロン様、申し訳ございません……! 人払いをして、お待ちしていたのですが、王妃殿下が突然お越しになり———」
その後の展開は、簡単に予想がつく。
無念そうに涙ぐむアルマを労り、キャメロンは微笑んだ。
「気にしないで。お母様が来たら、どうしようもない」
「でも、キャメロン様、お顔が———」
「大丈夫。赤みはすぐ引くと思う。さ、着替えを手伝って。誰かが来たらいけないわ」
アルマは手早くドレスを脱がせ、王太子らしい宮廷服に着替えさせてくれた。
それから二人は寝室に戻り、アルマはていねいに結い上げたキャメロンの髪をほどき、背中で軽くひとつに結ぶ。
ドレッサーの前に座ったキャメロンの化粧を落とすと、おしろいの色を変え、アルマは眉を濃く整えた。
見慣れた『キャメロン王太子』の姿が現れると、キャメロンはそっとため息をつく。
驚くほどいきいきと、自由に小説のヒロインを演じていたアリスリンデ。
大人びて、いつも落ち着いているアリスリンデの姿からは意外なくらいだった。
しかし———。
キャメロンには、アリスリンデの気持ちが、わかるような気がした。
アリスリンデもまた、息苦しい宮廷生活の中で、つかの間、小説のヒロインのセリフを借りて、自由な感情というものを味わったのだろう、と。
(『キャメロン王太子』とは、偽りの自分そのもの。いつまで、これを続けるのか———)
キャメロンは今は、ただ、ため息をつくことしかできなかった。




