第51話 その後:春の食卓と母の教え(1)
(※SSと言いつつ、2話構成になりました)
「まぁ、王都はずいぶん暖かいのね」
アリスリンデはガンターの手を借りて馬車から降りると、感嘆の声を上げた。
柔らかく結い上げた黒髪が、陽の光につやつやと輝いた。
厚手のコートに手まわりの品を入れた巾着を抱えた侍女のノアもうなづく。
「本当ですね、奥様。コートはお召しになりますか?」
「ううん、大丈夫そうよ。この上着で十分。王宮の玄関まですぐですもの」
大きな体に辺境の黒の騎士服を着込み、軽くマントを羽織ったガンターがアリスリンデにそっと腕を差し出す。
「では行こうか、アリスリンデ」
手袋をはめた細い指先がしっかりとガンターの腕をとらえると、ガンターは満足そうに目を細めた。
***
『雪が溶けて、王都への街道が通れるようになったら、すぐに』
それが、ホルツフェラー王国国王カール・バーデンの要望だった。
去年の秋のこと。
ガンターとアリスリンデは、辺境伯領の屋敷にある礼拝堂で、誰も招かず、屋敷の人々だけに囲まれた小さな結婚式を挙げた。
それは二人の間でひそかに結ばれた、契約結婚だったのだ。
しかし、物事は思いがけない方向へ。
ガンターとアリスリンデは、契約結婚という大義名分を超え、愛と尊敬の固い絆で結ばれた。
『改めて辺境伯夫妻に結婚の祝いを述べたい』
そう言うカール自身も、実は王女だったキャメロン王太子のこと、大騒ぎになったキャメロンの成人を祝う夜会、すべてを謀っていたイングリッド王妃の処遇など頭の痛い問題を抱えており、この冬は忙しく過ごしていただろう。
ようやく気持ちも落ち着いて、ガンターのもとに手紙を寄越したのだと思われた。
「何も心配することはない」
ガンターは名実ともに自分の妻となったアリスリンデを優しく見つめた。
アリスリンデの金色の瞳がまたたいて、夫を見上げた。
「きみはどこに出ても完璧だ。それに国王陛下は一緒に春の食卓をともにしたいとおっしゃっているのだから、ただ楽しめばよい」
アリスリンデも微笑む。
「ええ。旦那様がいてくだされば、わたくし、何の心配もいたしませんわ」
そんな経緯を思い起こしながら、アリスリンデはガンターとともに王宮に入る。
ノアが手早くアリスリンデが着ていた上着を脱がせ、ドレスの着付けを確認した。
今日のアリスリンデは、暖かなジャガード生地のドレス姿だった。
えりの開きも控えめで、そでもひじまでの長さがある。
しかし、クリーム色の地に赤と青い花が描かれ、金色の葉があしらわれているドレスは、高いウエストとしっかりと張りのあるスカート部分が華やかで、春らしい雰囲気に満ちている。
「もう少し、軽い素材で、えりがもっと開いているデザインでもいいかと思うのですけれど」
ノアが小声でそっとため息をつくと、ガンターに付き添っている侍従のノックスが苦笑した。
「ノアさん、それは無理でしょうね。ガンター様にとって、奥様は大事な宝物ですから。むやみに人に見せびらかすことはなさらないでしょう」
そうして一行が控え室で身なりを整え、会食の場であるダイニングルームに入ると———。
「ガンターお兄様! アリスリンデお姉様!!」
聞き覚えのある声が響き、ストロベリーブロンドのふわふわとした髪を真珠のカチューシャでまとめ、つややかなシルクタフタで仕立てた淡いミントグリーンのドレスを着たコリンヌが駆け寄ってきた。
「コリンヌ殿下」
ガンターが臣下の礼を取り、アリスリンデがカーテシーをする。
コリンヌは顔を少し赤くすると、微笑んで会釈を返した。
「コリンヌ。貴婦人が走ってはいけない。いつも落ち着いていなければ」
そう言って穏やかにたしなめたのは、あざやかなセルリアンブルーのドレスを着たキャメロンだった。
「ごめんなさい、キャメロンお姉様」
コリンヌが素直にあやまると、相変わらずきゃしゃな腰が一瞬くねっ! としかけたが、王女らしく姿勢を正し、きちんと立った。
キャメロンは微笑みながらうなづき、ガンターとアリスリンデに声をかけた。
「妹はまだまだおてんばなのですよ。……ガンター殿、アリスリンデさん、本日はようこそおいでくださいました」
「お久しぶりでございます、キャメロン殿下」
再び、ガンターは臣下の礼を取り、アリスリンデもカーテシーをして、キャメロンに挨拶をする。
すると、すでに着席していたカールから声がかかった。
「さあ、そんなところで話していないで、席につきなさい。ガンター、アリスリンデ、あなた方はこちらの席へ」
「カール陛下」
「お久しぶりでございます。ご機嫌うるわしく、お慶び申し上げます」
ガンターとアリスリンデがテーブルの上座に座るカールに挨拶をする。
そこで飾りつけられたダイニングテーブルが目に入ったアリスリンデは、「まあ!」と声を上げた。
まっ白なテーブルクロスには、あざやかな黄色いリボンの縁取り。
桜にも似た、淡いピンクの花をつけたアーモンドの枝と、小さな白い花が愛らしいエルダーフラワーの枝がテーブルに飾られている。
テーブルの上には、春ならではの味覚が並ぶ——心のこもった春の食卓がそこにあった。
オレンジ色のソースを添えた旬の白アスパラガスが、大きなお皿の上に山盛りになっている。
新鮮なハーブを使った、緑色のソースを添えた新じゃがとゆで卵。
大きな蓋つきのボウルに入っているのは、春キャベツのスープ。
それぞれの席には、ワインとともに、金色のエルダーフラワーのコーディアルを使った発泡水が用意されている。
デザートは二種類。
甘い香りの真っ赤な苺のタルトと、甘酸っぱいルバーブを焼き込んだケーキである。
苺も、ルバーブも、春の味覚だ。
そして、メインを飾るのは、こんがりと焼けた、隣国オルリオン風の子羊のローストだった。
「……オルリオン風の子羊……?」
不思議そうにガンターがつぶやいたが、カールはまるで何も聞こえなかったかのように、穏やかな表情をしている。
テーブルについているのは、カール国王、キャメロン王太子、コリンヌ王女。
さらにガンターとアリスリンデが座って、空席はあと四つ。
ガンターとアリスリンデが顔を合わせると、カールが言った。
「アリスリンデ、今日はあなたに改めて結婚のお祝いを述べたいと思ってな。それに———すまなかった」
カールは静かに頭を下げた。
「!? 陛下、いけません、どうぞお顔を上げてくださいませ———」
あわてるアリスリンデに、カールはそっと「一度きちんと謝らせておくれ」と言った。
「あなたには、長い間、辛い想いをさせてしまった。セオドアとの婚約破棄の件も、イングリッドのネックレスの件も、将来蒸し返されることはないと、私が約束しよう」
「陛下……」
将来蒸し返されることはない。
つまり、国王の名の下に、しっかりと調べがついている、アリスリンデに非はないとはっきりしたのだろう。
アリスリンデもまた、感謝を込めて静かに頭を下げた。
すると、キャメロンが穏やかに続ける。
「お母様は体調が悪く、療養することになりました。すでに王都を離れられております。セオドアは、マグリット宰相閣下の領地で、領地経営について学んでいますわ。自身の将来のためにも、しっかり学ぶようにと、お父様がお話しになったのです」
ということは、セオドアはいずれ、どこかに領地を賜り、王族の籍を離れる。
「さようでございましたか」
アリスリンデは短く返すにとどめた。
第二王子が臣籍に下ることは、不思議なことではない。
実際、ガンターの実の父もカール国王の弟である。
とはいえ、どんな領地を与えられるか、そして実際の領地経営に成功できるかはセオドア本人次第だ。
それは決して楽な道ではないように、アリスリンデには思われた。
「ガンター、アリスリンデ」
カールは微笑んで、空気を変えるように言った。
「実は、あなた方にぜひ会いたいと言っている人物がおってな。それもあって、無理を言って王都に呼んだのだ」
カールがそう言うと、ダイニングルームのドアが開かれ、アリスリンデにとってなつかしい人物が入ってきた。




