第45話 セオドア王子よ、今、おまえは『*****』とか申したか?
「なんだアリスリンデは。相変わらず自分は賢いと思って、小賢しいことばかり言っているのだな!」
その言葉に、まるで波が割れるかのように、貴族達は左右へと即座に動いた。
アリスリンデは、セオドアを見つめた。
濃い茶色の髪に、青い瞳。
整った顔だちに細身の体。
若草色の宮廷服を着こなしたセオドアは優美で、華やかな夜会会場を彩る貴婦人達の姿にも負けていない。
しかし、眉を寄せ、口もとを歪めたその表情はアリスリンデへの嫌悪を隠しきれておらず、優美な印象は、一気に浅はかな印象へ。
王子の態度に、会場には戸惑いの空気が漂った。
セオドアはかつて、婚約者だったアリスリンデが王妃のネックレスを盗んだと糾弾されても彼女をかばわなかったばかりか、真相の究明も求めず、同伴したパネラ・ベルトラン男爵令嬢を陥れる悪役令嬢だと断じて、婚約破棄を言い渡した。
しかし、その後アリスリンデはシュタイン辺境伯と結婚し、こうして国王主催の夜会にも堂々と出席している。
ということは、アリスリンデは冤罪だったのではないか———?
辺境伯夫人となったアリスリンデに、あからさまに失礼な態度を取る。
そんなセオドアの王子としての品位はどうなのか———。
会場は静まり返り、まるで真相を見極めようとしているかのように、人々は沈黙の中、セオドアとアリスリンデを見つめていた。
一方、アリスリンデの表情は落ち着いていて、動揺している様子はいっさい見えなかった。
しかし。一人、平静でない男がここにいた。
「アリスリンデ。ここで待て」
ガンターはそう言うと、地獄から聞こえてくるかのような低音で、「フィン」と呼んだ。
フィンはまるでウサギのように跳ねると、義兄の前に立つ。
「大事なアリスリンデを任せるぞ? 死ぬ気で守れ」
「はいっ!!」
フィンは真っ赤になって、アリスリンデの隣に走ると、「義姉上、失礼いたします」と断って、その手を取った。
その様子を見届けると、ガンターは無言で、ずん、ずん……とセオドアの前に進んだ。
「セオドア………………」
「!!」
大きな体からの威圧感を隠そうともせずに、ガンターは明らかに自分より背の低いセオドアの上にのしかかるように見下ろした。
セオドアの腕にからみついていた金髪巻き毛のパネラ嬢は「ひいっ!!」と悲鳴を上げて、一気に後ずさる。
「セオドア王子よ、気のせいかもしれんが、今、おまえは『この悪役令嬢、ツラの皮の厚いクソビッチが』とか申したか? まさか、美しく賢い、愛するわが妻のことではあるまいな……?」
ガンターは、いくら王子とはいえ、年下の従兄弟に対して、いっさい容赦がなかった。
「待ってくれ! そこまでのことは言ってないぞ!?」
セオドアは赤くなったり、青くなったりしながら、必死で抗弁する。
ついでに周囲を忙しなく見回すが、誰もセオドアを助けようと出てくる者はいなかった。
「ふん、言っていない? 心の中で一瞬でも考えたことがない、とそう断言できるのか、ああ?」
「し、しかし……それではあまりに理不尽」
「ということは、頭の中で、一瞬でも考えたと認めるのだな!? なんという奴だ、セオドア!! 仮にも第二王子という身分で、おまえには、貴婦人に対する敬意というものはないのか———っ!!!」
ガンターが吠え、セオドアは思わず生存本能から耳を手でふさぎ、目を閉じた。
ガンターは剣先でセオドアを指すのは控えたものの、その太い指先で、ビシリ!! と正面からセオドアの顔を指した。
「美しく優しく聡明で優秀なわが妻をあっさり婚約破棄したのはおまえだろう!! 何の尊敬も労りも、もちろん愛情などかけらもなく、かけがえのない愛らしい令嬢時代をおまえのために棒に振ったわが妻の前で、間違っても、『理不尽』などという言葉を使うな! どの口が言うんだ? あぁ? 同情されたいとでも言うのか、このアホがぁっ!! 覚えておけ、おまえに……
そ ん な 資 格 は な い!!!」
「ひぃ———っ!!」
ガンターが再噴火し、セオドアが悲鳴を上げた時だった。
ガンターの丸太のような腕が、ほっそりとしてしなやかで、いい匂いのする手で、そっと押さえられた。
ガンターはいつの間にか、無意識に持っている剣へと手が伸びていたらしい。
「旦那様! 剣はいけませんわ! 陛下に取り上げられてしまいますよ?」
金色の瞳をキラキラさせて、アリスリンデがガンターを見上げていた。
こんな時ではあるが、アリスリンデの真上から見下ろすと、いつもよりも開いている首すじから胸もとの柔らかな曲線が見えて、ガンターはついドキドキしてしまう。
「はっ、そうだった。つい我を忘れてしまった。さすがわが妻。いつも完璧な夫への心配りだ」
ガンターは機嫌を直すと、そっとアリスリンデの腰に手を回し、自分に引き寄せた。
「旦那様……」
アリスリンデが照れている隙に、セオドアはそろそろと逃げようとしていた。
(まあ、セオドア殿下ったら、情けないこと)
ガンターに一言も言い返せないセオドアの姿に、アリスリンデも妙にスッキリとする。
その時だった。
「な、何よっ! あんたを妻にするなんて、絶対に偽装結婚よ。自惚れてるんじゃないわよ。辺境伯閣下はねえ、女嫌いなの。わたしが声をかけたって、なびかなかったんだから!! あんたみたいな、胸のある女、大っ嫌いに決まっているでしょう?」
「えぇえ??」
アリスリンデは目を丸くした。
金髪巻き毛をくるくると揺すって、グレーの瞳をした、ほっそりときゃしゃな令嬢が必死で叫んでいる。
「パネラ嬢……?」
ガンターに声をかけた?
それに、どうして、急に胸の話になるのか。
アリスリンデには、さっぱりわからない。
困惑して、そのまま受け流そうとした時だった。
「おい、そこの女。俺の妻に何をしている。彼女に害をなす者は容赦しない」
ガンターの冷え冷えとした声が、周囲に響き渡った。
思わずパネラの肩が跳ねる。
「ヒッ……! わ、わたくしは、セオドア様の婚約者ですわよ!?」
「はぁ? おまえはどこの誰だ。国王陛下から正式に紹介されたことはないな。おまえは正式な婚約者として認められていないのだろう」
「なっ……!! セオドア様っ! 何かおっしゃってください!!」
しかし、セオドアはその瞬間、だっと駆け出し、パネラを置き去りにしたのだった。
「セオドア様———!!」
涙目のパネラがその後を追いかける。
(まあ……)
アリスリンデが困惑して眉を下げた時だった。
ガンターの周囲の気温が、再び急降下した。
「旦那様……?」
ガンターは、なぜか夜会会場の若い貴族令息達をにらみつけている。
「これを心配していたんだ……!」
ガンターはうなった。
「わが妻は、美しすぎる……っ!!」
ガンターはくるりと振り返って叫んだ。
「ノア!!」
「はいっ!!」
どこに控えていたのか、アリスリンデの侍女であるノアが駆け寄ってきた。
ノアが、さっとガンターの手に、ショールを渡す。
ふわり、と薄くキラキラした夜会用のショールが、宙に広がった。
それは、ドレスと一緒に納品された、金色の繊細なショールだ。
「まあ!」と女性達の感嘆の声が響く。
ガンターはアリスリンデの背後からバックハグをしながら、愛しい妻の肩から胸を金色のショールでふわりと覆った。
「ハニー。この姿を、俺以外の男に見せるのは、許せないな———」
会場の女性達がいっせいに「きゃ———っ!!」と歓声を上げた。
「いいか、軟弱な貴族男子ども。俺と戦う勇気がなければ、俺の大切な妻に一瞬でも見惚れるなよ!?」
続いて、紳士達の「ひぃ———っ!!」「閣下、なんと理不尽な!!」という悲鳴が重なる。
(ハニー……??? ……って、わたくしのこと……?)
一方、『ハニー』が自分のことだと、アリスリンデがようやく悟った時、遅ればせながら、彼女の顔は真っ赤に染まったのだった。




