第41話 王女、再訪
「コリンヌ王女殿下」
アリスリンデが一階のサロンに入ると、窓辺に立っていたコリンヌが、ぎこちなく振り返った。
「アリスリンデさん」
アリスリンデは目を瞬いた。
コリンヌはいつも、アリスリンデを呼び捨てだったからだ。
それに、一人で立っているコリンヌの様子がどこかおかしい。
「……王女殿下、どうぞお座りください」
アリスリンデは目線で家令のアランに下がるように指示した。
一緒に来ている侍女のノアにはお茶を用意するように言いつける。
ノアは意図を察して、サロンに待機していた侍女を全員連れて、退出した。
アリスリンデはコリンヌと向き合って座ると、口を開いた。
「王女殿下、どうなさったのですか?」
アリスリンデの言葉に、コリンヌの肩が揺れた。
今日のコリンヌは、ふわりとしたストロベリーブロンドをリボンの付いたカチューシャでまとめ、落ち着いたダマスク織のドレスを身に付けていた。
花の刺繍はされているが、ドレス地と同じ濃紺一色で、しっかりとした布地は暖かく、動きやすそうに見えた。
いつものふわふわヒラヒラしたドレス姿とは打って変わった装いである。
「アリスリンデさん、わたくしが来るのは迷惑だって、わかっています……! でも、来ないわけには行かなかったの」
そう言うコリンヌは彼女らしくなく、妙に歯切れが悪い。
アリスリンデがじっと見つめると、コリンヌは観念して小さな声で言った。
「……王妃殿下の命令なの。侍女と護衛も付いてきているわ。でも、彼らは———」
コリンヌは落ち着かなげに、隣室を見る。
彼らは王妃の監視なのだ、アリスリンデは察した。
「王妃殿下がご親切におっしゃるのです」
一転して明るい声で、コリンヌが言った。
「あなたも最近、良い子になったわ。ご褒美に、大好きな辺境伯領へ遊びに行ってきたらどう? この時期の湖は美しいわ。辺境伯夫人と仲良く、ボート遊びでもしたらいいんじゃないかしら、って」
「!!」
アリスリンデは驚いて、思わずコリンヌと目を合わせた。
たしかに、紅葉の湖は、美しい。
しかし、冬の寒さが近づいて来ている今、湖でボート遊びをする者はいない。
『気は進まないかもしれないが、水泳は覚えた方がいいかもしれない。その方がボート遊びの時も安心だからな』
二人で湖に立ち寄った時に、ガンターがそう言っていたのを、アリスリンデは思い出した。
そうだ、今年はもう水遊びは終わりだ、とも言っていたのだ。
湖の水はもう、冷たいだろう。
王妃殿下は、いったい、どんな意味でボート遊びなど———。
アリスリンデは思わずゾッとして、コリンヌを見る。
コリンヌは顔色も悪い。
透明な宝石にも似た、大きな緑色の目が、すがるようにアリスリンデを見つめている。
十六歳の彼女は今、年よりも幼く見えた。
その時だった。
「もちろん、私どももお供いたします」
隣室のドアが開き、コリンヌに付き添ってきた侍女と護衛が姿を現した。
「王女殿下のたってのお願いでございます。辺境伯夫人、どうぞご心配のないように」
アリスリンデは、この時、断れないことを悟った。
***
「「「「「反対です!!!」」」」」
全員の声が揃ってしまった。
アリスリンデを取り巻くようにしているのは、アリスリンデの専属侍女であるノア。
家令のアランと侍女長のグレース夫婦。
ガンターの義母であるアマリアとその子どもであるフィン。
ちなみにテーブルの下にはフィンの飼いウサギである、巨大なジャックラビットもいて、耳をぶんぶん振り回していた。
「奥様、なぜこの時期に湖にボート遊びに行かなければいけないのですか。しかも、王妃殿下の監視付きの王女殿下と一緒に」
「危険です! 何かあったらどうするのですか」
「奥様は泳げないのですよ? しかも、氷こそ張ってはいないものの、ほぼ冬の湖です」
アリスリンデは一同をぐるりと見回した。
「わたくしも……そう思うわ……」
ノアの顔がぱっと明るくなる。
「奥様! それなら———」
「それでも、断れないのよ。断ったら、今度は何が起こるか」
そう言われて、再びノアの顔も青ざめてしまう。
「旦那様は、出立されたばかりよ。まだ遠くへはいらしていないはず」
アリスリンデは考え考え言った。
「わたくしが湖で時間を稼いでいる間に、もし旦那様が戻ってくださったら」
「!!」
その言葉に、フィンがぱっと立ち上がった。
「任せてください!!! 私が、義兄上を連れてきます! 遠征の道のりは毎年変わらないはず。きっと———」
「フィン様。あなたが外に出ては、監視にばれてしまうわ。あの侍女と護衛はわたくし達に同行するでしょうけど、他にも王都から来ている者がいるでしょう?」
アリスリンデの顔色もよくなかった。
しかし。
「わかりました。それなら、ジャックラビットに任せましょう」
フィンはうなづくと、テーブルの下に潜り込んだ。
「ジャックラビット。話は聞いていたね? 急いで義兄上を屋敷に連れ戻すんだ。緊急事態だから」
ジャックラビットがパッと姿勢を正した。
勢いよくテーブルの下から飛び出すと、両手を握りしめ、力こぶを作る。
それからぶんぶんと長い耳を振り回し始めた。
「そうだ。ドンデを探せばいい。兄上はかならずドンデと一緒にいるはずだから」
ジャックラビットはうなづき、大きな黒い瞳をキラキラとさせた。
「お、奥様……だ、大丈夫でしょうか……?」
ノアが小声でアリスリンデにささやいた。
その瞬間、ジャックラビットの耳がしゅん、として垂れ下がってしまう。
「あ、あら」
それを見たアリスリンデは心を決めた。
「う。大丈夫よ! ジャックラビット、信じているわ! わたくしの助けになってちょうだい。ドンデを探して、旦那様に屋敷に戻っていただくのよ!!」
アリスリンデは金色の瞳をキラキラさせて、巨大ウサギのジャックラビットを見つめた。
一同もかたずを飲んで、なりゆきを見守る。
そして、次の瞬間———。
ジャックラビットは勢いよく部屋から窓の外へと飛び出した。
一瞬、まぶしい光に包まれたかと思うと、巨大ウサギの姿はかき消すようにしてなくなってしまっていた。
(……ジャックラビットって、本当にウサギなの……?)
アリスリンデも、ノアも心に浮かんだ疑問だったが、口に出すのははばかられた。
辺境伯家の人々には動揺した様子もなかったからである。
それから一時間後。
アリスリンデはコリンヌとともに、湖のボート遊びに出かけた。




