第4話 辺境伯は令嬢を見つける
その時、サロンの閉じられたドアの向こうでは、退室したはずのキャメロン王太子が目を閉じて、かすかに聞こえる朗読に耳を傾けていた。
その様子を目に止めて、一人の大男が近づいてきた。
「王太子殿下、ご気分でも? お部屋にお送りいたしましょう」
「ガンター殿」
線の細い、優しげな面だちをした青年が顔を上げる。
そしてその珍しい来訪者に目もとを細めた。
「いや、失礼。シュタイン辺境伯閣下。大丈夫です。自分で戻れます……母上に届け物を持ってきたところなのですよ。ちょうどお茶会の最中で」
「……お茶会? 令嬢だらけの、アレですかな」
いかにも嫌そうな声の調子。そんなガンターの言葉を聞いて、キャメロンは苦笑した。
「閣下も相変わらずですね。ふふ、一人のご令嬢が朗読をされていましてね。第二王子の……セオドアの婚約者であるハノーバー伯爵令嬢です。いや、お見事な朗読でした。とても、気持ちのこもった……」
「……」
キャメロン王太子は会釈をすると、なぜかサロンのドアをそっと押し開いてから、ゆっくりと王宮の廊下を戻って行く。
(朗読だと……? 化粧の濃い女優がすまし顔で物語を読み上げる、アレか?)
後に残されたガンター・シュタイン辺境伯は、半分開いたドアに近寄ると、恐る恐る、王妃のサロンをちらりと覗きこんだ。
まるで魔物が棲まう洞窟を覗き込むかのような様子である。
いや、ガンターにとっては、令嬢達も魔物も、同じようなものだったかもしれない。
色とりどりのヒラヒラしたドレスを着込み、同じくヒラヒラとした扇で口もとを隠し、「うふふ」だの、「ほほほ」だのと意味不明な音を発し、くねくねと体を動かす。
それがガンターの知る令嬢達である。
(おお、いるぞいるぞ。令嬢だらけだ。やはりヒラヒラくねくねしているぞ? これは恐ろしいではないか)
予想と同じ光景に納得し、その場を離れようとしたその時だった。
ガンターの視線が一人の令嬢に留まった。
ハンカチを握りしめて、ヒラヒラくねくねしながら拍手をしている令嬢達の向こうに、ただ一人、黒髪の令嬢が立っていた。
左手に閉じた本を持ち、右手でまるで痛みがあるかのように、左胸を押さえている。
「アリスリンデ嬢、素晴らしかったですわ!!」
「本当……お堅くて真面目一方な方とばかり思っていたら、意外な才能をお持ちですのね」
アリスリンデが美しいカーテシーを披露すると、つややかな黒髪がさらり、と肩に流れた。
整った、色白の顔。
驚くほど明るい瞳の色は、珍しい金色だった。
口角を上げ、礼儀正しく微笑みつつも、王妃に本を差し出しながら見つめる金色の瞳には、悲しみと戸惑いがあったように、見えた。
(珍しい瞳の色だな。それに地味なドレスだな。令嬢といえば、色とりどりのアレ、と決まったものだが)
ガンターはアリスリンデの姿を見て、首をひねった。
(ドアの外に聞こえてきた感じだと、何やら黒髪の令嬢が聖女に殺される場面のようだったが)
趣味が悪い。朗読とはいえ、そんな場面を同じ黒髪の令嬢に演じさせるのはどうなんだ、とガンターは思った。
やはり女性達の考えることはよくわからん、とガンターは首を振る。
その時、突然、ドアが大きく開かれた。
ガンターは慌てて、ドアの脇に避ける。
続いて、朗読を終えた黒髪の令嬢が、まっすぐに背筋を伸ばし、頭を高く掲げて、廊下に出て来た。
「アリスリンデお嬢様!」
その後を、彼女の侍女なのだろう、シンプルな焦茶色のドレス姿の女性が、小走りについてくる。
落ち着いているように見えたが、黒髪の令嬢は動転していたのだろう、ドアの脇にいたガンターに気がつかず、そのまま足早に歩いて行ってしまった。
ガンターの大きな体は、気がつかないのが難しいくらいなのだが。
(内心ではよほど動転していたのか。若いご令嬢だ。無理もないが。あれが、第二王子セオドアの婚約者、ハノーバー伯爵令嬢なのだな)
毛先をゆるく巻いた、長い黒髪がドレスの後ろで揺れていた。
胸もとの開きも控えめで、手首まで袖がある、ミッドナイトブルーの落ち着いたドレスが翻る。
(長年、第二王子の婚約者としてやってきた令嬢だ。控えめな見た目だけではわからないが、しっかりした女性なのだろうな)
ガンターは彼女の姿が消えるまで、その後ろ姿をしばし見守った。
なぜか———何かが気になって仕方がない。
それが何か、わかりかねる、そんな表情をしながら。
すると、ガンターの大きな背中を遠慮なくつんつん、とつついて侍従が言った。
「ガンター様、どうしたんです。女性嫌いのあなたにしては珍しいですね、どこぞのご令嬢の後ろ姿をじっと見つめて。まさか、ついに嫁探しですか」
「ノックス、バカなことを言うな。あれはセオドアの婚約者だ」
背後から現れた侍従のノックスに、ガンターはため息をついた。
「おぉ、ハノーバー伯爵令嬢でしたか! 珍しい黒髪に金眼のご令嬢だそうですね?」
「…………よく知っているな」
「当たり前です。あの方が殿下の婚約者になって、十年近いのではありませんか? さすがに名前くらい覚えます。それに学者肌なハノーバー一族のご令嬢ですからね。とても聡明な方だという評判です」
聡明、という侍従の何気ない一言に、ガンターは一瞬どきりとした。
学問が苦手なガンターにとって、手に取る本は剣術書と兵法書のみである。
(む。それはわが辺境伯家とはえらい違うな。義父上は学問より体を鍛えろと言っていたし。いや、義弟のフィンは、賢いか……)
ガンターが思わず焦って自らの家風を振り返っていると、ノックスは遠慮なく言葉を重ねてくる。
「ガンター様、王宮はもう退屈なんでしょう? それともお腹がすいたんですか? そろそろ戻りますか。ご用はお済みで?」
ノックスが尋ねると、大男のガンターは、静かにうなづいた。
そこは正直である。
「そうですか、ではもう戻りましょう。王宮に長居して、あのお方に見つかったら、大変なことに……」
「!!」
あのお方、という一言に、ガンターの顔色が変わった。
あのお方こそ、ガンターの令嬢嫌いの原因を作った存在である。
「戻るぞ」
ガンターは一言言うと、あわてて歩き始めた———。




