第38話 この芝居を、いつまでも続けることはできない(※キャメロンの心の声)
『キャメロン様、中へお入りください』
『キャメロン様、疲れてはいけませんわ』
『キャメロン様にはまだ早すぎますわ』
子どもの頃から、それが当たり前だった。
それが過保護だとか、心配しすぎだとか、思うことなく。
不自由が、当たり前だった。
それはある意味当然。
そうも思った。
なぜなら、自分はホルツフェラー王国の<第一王子>だったから。
自分には、母親の違う弟王子も、妹王女もいた。
しかし、誰もが言うのだ。
『キャメロン様、でも、王妃殿下のお子は、あなた様ただお一人です』
「……王妃殿下のお子、か」
キャメロンはつぶやいた。
キャメロンは、自室のドレッサーの前に立っていた。
部屋の中には、侍女も含め、誰もいない。
キャメロンの部屋は王妃の部屋の奥にあり、自然、出入りできるものは限られた。
キャメロンの世話をする侍女も、イングリッドが厳重に選び抜いた侍女達だけだった。
入浴の世話までする侍女は、もともとキャメロンの乳母だったアルマただ一人。
それはもちろん、キャメロンが女子であるからだ。
鏡に映る、金髪に青い瞳の青年。
その色合いだけ見れば、イングリッドと同じ色。
しかし、イングリッドと同じ青い瞳でも、イングリッドの瞳がまるで氷のような冷たい青であるのに対し、キャメロンの瞳は、温かみのある青色。
尖ったところのない、穏やかで優しい顔だちは、カール国王によく似ていた。
女性としては高い身長も、男性として見れば、小柄になってしまう。
それでも、金の刺繍やふわりとした繊細なレースで飾られた宮廷服を着れば、貴族男子として遜色はない。
少しだけ長めの金髪を、首の後ろでリボンでまとめた髪型も、流行のスタイルだ。
(それでも)
キャメロンはどうしても思ってしまう。
(この芝居を、いつまでも続けることはできない)
キャメロンは、母のサロンでピアノを弾いていた時の出来事を思い出していた。
突然入ってきたのは、国王である父。
穏やかに微笑む父に挨拶をすると———父は言ったのだ。
『キャメロン、まだそんな気にはなれないかもしれないが、そろそろおまえの婚約者探しを本格化させるよ。わかるね? 王太子として、将来の妃選びは重要だ』
キャメロンは、言葉を返すこともできなかった。
(婚約者……!!)
王子、さらには王太子の地位まで授かってしまった。
今さら本当のことを言えないことは、よくわかっている。
(しかし、母上と私は、国王陛下を、そして国民を騙している。私は十八歳になり、成人を迎えたのだ。婚約者を選ぼうとする動きは、当然のこと。女の私が、何も知らない令嬢を妻に迎えるふりをするのか———?)
婚約者選びの次は、結婚。
結婚の次は、当然———将来の世継ぎの誕生が望まれるのだ。
キャメロンは、きゅっと胸がつかまれるような痛みを感じた。
(……不可能だ。どうしたらいいのかわからないのに、誰かに聞くこともできない。もし友達でもいたら———本当の友達がいたら、何か相談することもできるのか?)
キャメロンには、友達と呼べる人はいない。
選び抜かれた学友は、いる。
しかし、個人的なことを話せる人はいない。
(そうだ。母違いの弟や妹にだって……私は自分のことは話せない)
孤独だ。
そう思った時、キャメロンの心に、ふと浮かぶ人がいた。
それは。
(アリスリンデ)
セオドアの王子妃教育で王宮に通う彼女の姿を長年見てきた。
彼女も同じだ。
個人的なことを話せる友達もおらず、セオドアに悩みを話すこともなかったのは、見ていてわかった。
言葉少なく、いつもあの不思議な金色の瞳を見開いて、周囲を静かに見極めようとしていたアリスリンデ。
(私とアリスリンデは、似て、いたんだな)
キャメロンはそう思い至った。
「もし———彼女と話すことができたら」
キャメロンは思い出した。
なぜか、どうしても彼女の朗読が聞きたくて、ドレス姿の令嬢に変装して、こっそりマグリット宰相夫人のお茶会に紛れ込んだ。
そこでまったく見ず知らずの自分に、アリスリンデは、なんと親切だったことだろう。
キラキラ輝きながら、朗読をしていたアリスリンデ。
それは物語の主役、悪役令嬢と呼ばれたクリスタルローズを演じて、その楽しさに心を奪われていたようにも見えた。
朗読を楽しんだ一方で、それまではそっけなく扱われていたアリスリンデが、朗読の後は一転して令嬢達に囲まれていたのには、何とも言えない居心地の悪さを感じた。
しかし、アリスリンデ当人は、周囲の変化にも淡々としていたように思える。
『よろしければ、ご一緒に座りませんこと?』
それは簡単な、そして心のこもった言葉だった。
そして、あれだけ人がいた会場で、キャメロンにそんな言葉をかけてくれたのは、アリスリンデただ一人だった。
キャメロンは、きれいに整えられた書き物机の上に、真新しいレターセットを見つけた。
それは、唯一の侍女アルマが用意してくれたもの。
「……手紙」
キャメロンは思いついた。
「アリスリンデに、手紙を出してみようか? あのお茶会で少しだけ言葉を交わした令嬢として。身分は明かさずに」
そうだ。誠実に思いを綴っていよう。
アリスリンデなら、誠実に書かれたものに、誠実に返してくれる。
そんな気がした。
キャメロンは微笑んだ。
『シュタイン辺境伯夫人アリスリンデ様』
キャメロンは少し考えると、流麗な筆致で、手紙を書き始めた。
『突然のお手紙で失礼いたします。実は、わたくしは先日マグリット夫人のお茶会でアリスリンデ様の朗読を聞き、その後、少しだけお話した者です———』
そこでキャメロンはペンを止めた。
「正直に……誠実に。きっと、気持ちは伝わるはずだから」
『もし可能であれば、ときどきお手紙を通してやり取りができたらと思い、ペンを取りました。理由あって、わたくしの身分は明かすことができません』
キャメロンはふう、と息を吐いた。
『しかし、あなたとお近づきになりたいという気持ちは、本当です。もし、ご了承いただけましたら、お返事をください。もし、難しいようでしたら、それは構いません。どうぞこの手紙はお捨ておきくださいませ』
キャメロンはしばらく黙っていた。
「……署名をどうしよう」
本名は言えない。
偽名を使おうか。それとも———。
ややあって、キャメロンは一文字だけ、書いた。
『C』
キャメロンの頭文字をそっと書いた。
キャメロンはインクが乾いたのを確認すると、手早く折って封筒に入れ、封蝋を施す。
宛名も、差出人も書いていない。
キャメロンは侍女のアルマを呼んだ。
「はい、キャメロン様。お呼びでございますか?」
「ええ。アルマ、内密にお願いしたいの」
キャメロンは、普段の男言葉ではなく、素の、女言葉でそっと言った。
「お母様に気づかれずに、手紙を出したいのよ。できる?」
アルマは目を見開いた。
反射的に背後をそっと振り返る。
アルマは静かにうなづいた。
「どちらに?」
「辺境伯夫人に届けてほしいの」
キャメロンは、アリスリンデの名前を出すことなく宛先を告げた。
「かしこまりました」
アルマは渡された封筒を、ドレスの下にさっと隠し入れる。
そのまま一礼すると、キャメロンの部屋を出て行った。
「…………!」
キャメロンはふう、と息を吐いた。
「やってしまった。さあ、あとはどうなるかしら———」
キャメロンは閉ざされたドアの向こうを見つめた。
おそらく、アルマは何らかの方法で、手紙を送ってくれるはずだ。
これから先、何が起こるか、キャメロン自身にもわからなかった。
今までやったことがないことを、今、こうしてあっさりとやってしまったのだ。
いとも軽々と。
こんなに、簡単なことだったのか?
キャメロンは何かが変わる予感を、感じていた。




