第33話 紳士は大切な妻に贈り物をするもの
「大丈夫ですか……?」
「ぐすっ……ぐすっ……」
「ココアをここに置きますね……? 少し気分がよくなったら、飲んでください。お菓子もクッキーとマカロンをここに」
「———わたくし、失恋したばかりなのよ!? 気分がよくなるわけ、ないじゃない!」
フィンのマグカップを持った手が、止まった。
目の前でぐすんぐすんと泣いているコリンヌ王女を見つめる。
「はい。そうですよね。気が利かなくて申し訳ありません」
「!!」
しゅん、として素直に謝るフィンに、コリンヌは真っ赤になった目を見開いた。
「な、何よ?」
コリンヌは改めてフィンを見つめる。
同じくらいの年頃の青年。
優しい顔だち。
茶色い髪に茶色い瞳のフィンは、まるで森の小動物のように見えた。
人柄も良さそうで、きっと皆に愛されているだろう———そう思うと、コリンヌはきゅっとくちびるを噛み締めた。
「あ、あなた、ガンターお兄様の義弟でしょう? さすがに、全然似ていないのね」
そう残酷に指摘すると、しかしフィンは困ったように微笑んで、うなづいた。
「そうなんです。自分でも悔しいなあって。義兄上のようにたくましく、男らしくなりたいなあって思っているんですけど……見てのとおりの体格で」
「あ」
コリンヌは顔を赤くした。
「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃ」
フィンはコリンヌにマグカップを差し出した。
「王女殿下、ココアをどうぞ」
「……ありがとう」
フィンとコリンヌは一階のサロンに座っていた。
もう夕食が済んだ時間ということもあり、屋敷内は召使いの姿もまばらで、しん、としていた。
ガンターとアリスリンデ、それにアマリアはまだダイニングルームにいるのだろうか。
コリンヌはそんなことを考えながら、ココアを受け取って、そっと口をつけた。
「……おいしい」
ぽつりとコリンヌが言った一言に、フィンは嬉しそうに微笑んだ。
「よかった。おかわりもできますからね、遠慮なく。もしお茶がよければ、お茶をいれますよ」
しかしコリンヌはぷい、と横を向いてしまった。
サロンの中で、静かに時が経つ。
「わたくし、皆に迷惑をかけているのは、わかっているの」
突然、コリンヌが言った。
「わたくしとセオドアお兄様は、側妃の子どもでしょう? お母様は肩身が狭いの。だから、絶対、お母様に迷惑をかけちゃいけないのに。王妃殿下は……厳しい方よ。セオドアお兄様とわたくしのことも、王妃殿下がすべてお決めになるとおっしゃったわ。お母様はいいいなりになるしかないのよ」
コリンヌの話に、フィンは黙って耳を傾けていた。
「王妃殿下にはキャメロンお兄様がいるでしょう? とても大事にしているわ。もちろんそうよね、だって王太子なんですもの。キャメロンお兄様は、美しくて、とても優秀で、それに、お優しいのよ。めったにお話はできないけれど———」
コリンヌはぐすっと鼻をすすった。
「わたくし、王都に帰ったら、王妃殿下に叱られるわ。王妃殿下は、わたくしのことも、セオドアお兄様のことも、き、きっと厄介者だと思っているに違いないわ。わたくし、わかっているの———」
「王女殿下」
「セオドアお兄様はアリスリンデとの婚約を破棄してしまうし、今はあのおかしな令嬢に夢中よ。わたくしはガンターお兄様のところに、迷惑を顧みず押しかけてしまうような娘よ。やはり、側妃の子ども達だ。厄介者だ、そう思っているに違いないわ———わたくし———わたくし———」
「王女殿下、大丈夫ですか……?」
「わたくし、恥ずかしい……!」
コリンヌの緑色の目に透明な涙がぶわっと盛り上がり、まるで宝石のように、ぽろぽろと転がり落ちる。
せきを切ったように流れる涙は、もう止まることはなかった。
「王妃殿下は、アリスリンデが気に入らないの! それはね、アリスリンデが優秀だからなのよ。王妃殿下にはキャメロン王太子がすべてなの。だから———優秀な婚約者を持ったセオドアお兄様が脚光を浴びるような事態は、避けたいと思っていらしたのよ。アリスリンデのせいじゃないのに! 王妃殿下も、セオドアお兄様も、わたくしも、アリスリンデにひどいことばかりしているわ。わたくし、恥ずかしいのよ……! わたくし、よくわかったの。ガンターお兄様は、アリスリンデが本当に好きなんだって」
「王女殿下」
フィンは困惑して、ただコリンヌの話を聞いていた。
コリンヌの話は、よく聞いてみれば、コリンヌが王宮での人間関係を思いのほか理解していることがわかる。
子どものように奔放に見えて、実際はあれこれ遠慮して、思うに任せられないことも多いに違いない。
わがままな王女、というレッテルを貼られて、コリンヌ自身も苦労しているのだろうな……とフィンは思った
コリンヌは王女らしく振る舞うことも、きちんとしたドレスを着て、身なりを整えることもできていない。
(誰も、コリンヌ殿下に進言する者がいないのか)
控えめなフィンは、泣く王女の手を握ることもせず、礼儀正しい間隔を開けたまま、静かに見守った。
やがて泣きつかれたコリンヌがクッションにもたれたまま眠ってしまったのを見て、フィンはガンターを探しに行った。
ガンターは何も言わずにコリンヌを抱き上げて、客用寝室へと運ぶ。
「フィン、大丈夫だ。明日には多少元気になるだろう」
ガンターがそう言うと、フィンはふと思いついて、尋ねた。
「義兄上、コリンヌ王女殿下は、おいくつなのですか?」
その質問に、ガンターはしばし記憶を探る。
「たしか、十六歳じゃないか。おまえと同い年だと思う」
フィンは目を見開いた。
「……そうでしたか」
ガンターはぽんぽん、とフィンの頭を撫でた。
「今日は疲れただろう。おまえも早く休め。義母上も心配している」
「はい」
一礼して、母のもとに向かおうとしたフィンだったが、ふと足を止めた。
「義兄上」
「なんだ?」
フィンはふわっと微笑んだ。
「義兄上は、素敵な奥方を得ましたね。本で読んだのですが、紳士は大切な妻に贈り物をするものだそうです」
「!!」
「おやすみなさい」
ガンターはフィンの言葉にびっくりして、しばらくそこを動くことができなかった。
やがてガンターはつぶやいた。
「そうか。贈り物。そうだな……」
そう独り言を言ったガンターの表情は、とても明るかった。




