第30話 俺の心臓は大丈夫だろうか?(※ガンターの心の声)
この日、シュタイン辺境伯家は大忙しだった。
アリスリンデが嫁いで来てから初めて、離れで生活している前辺境伯夫人アマリアとその息子、ガンターの義弟であるフィンが夕食を共にするためにやってくる。
召使い達はダイニングルームを磨き上げ、花で飾り、料理人達は腕によりをかけて、おいしい料理を作り上げた。
アマリアとフィンと一緒に食事をしようと言い出したのはアリスリンデだったが、それはいいアイデアだとガンターは思った。
アリスリンデも辺境での暮らしに馴染んできていたし、すでにアマリアとフィンはアリスリンデを助けて、いろいろと動いてくれていた。
アリスリンデが言い出す前に、こちらで用意しなければならない場面だったが、アリスリンデはすでにアマリアやフィンとも仲良くしている。
それがあまりにも自然で、ガンターはアリスリンデらしいな、と思った。
(どうしてアマリアとフィンが離れにいるのか、簡単な説明しかしていないから、アリスリンデなりに心配したのかもしれん)
ガンターはそんなことを思いながら自分の寝室で騎士服を脱ぎ、夕食用にとノックスが出した濃茶色の上着を身につけた。
下は揃いのパンツに、よく磨かれた革のブーツ。
ガンターなりに一応、気を使った装いである。
(アリスリンデの支度はできただろうか? そろそろ部屋に声をかけに行った方がいいのか———?)
ガンターがそんなことを考えていると、ノックスがガンターに声をかけた。
「ガンター様、奥様がお見えです」
「!??」
あわてて寝室のドアに向かったので、途中でぶつかってしまったらしい。
背後でガタ———ンっ!! と椅子が派手にひっくり返る音がした。
「ア、アリスリンデか。ど、どうした……?」
せいぜい落ち着いているように見せて、澄まして声をかけると、アリスリンデは嬉しそうにガンターを見上げた。
「まあ、旦那様、とても素敵ですわ……! 今日の夕食、楽しみにしておりましたの。お忙しいところを時間を取ってくださって、本当にありがとうございます」
アリスリンデはそう言って、頭を下げた。
「あ、いや。その、俺も二人のことをきちんと紹介しなければと思っていた。いや、もう親しくしてくれているのは知っていたのだが」
「そうでしたか。お気遣いいただき。ありがとうございます」
アリスリンデはふふ、と笑った。
その様子を見て、ガンターはふと思う。
実は王都で、アリスリンデは気がついていないが、ガンターはこっそりと彼女の朗読をのぞいて見ていたことがある。
アリスリンデはいつも落ち着いていて、そつなく、とても理知的な令嬢だとガンターは思った。
しかし、こうしてアリスリンデと暮らし始めると、年相応に愛らしい一面や、彼女の気さくな人柄というものに触れられている、そんな気がした。
「……では、ダイニングルームへ行くか……?」
「はい、旦那様」
ガンターがそっと右腕を差し出すと、アリスリンデはためらいなく左手を置いて寄り添う。
その時に、今日は自然に垂らしていたアリスリンデのつややかな黒髪がさらりとガンターの腕に触れた。
(うっ!?)
なぜか、ガンターの胸がズキっと痛んだような気がした。
(あ、アリスリンデが当たり前のように、俺の右側にいる……! しかもこんなに接近して……!! あ、いかん。緊張すると腕の筋肉が硬くなってしまう! これではアリスリンデの愛らしい指先を傷つけてしまうのでは……っ)
一緒に廊下を歩きながら、ガンターはなんとか緊張をほぐそうと、首をぐるりと回した。
すると、ガンターはアリスリンデが着ている薄紅色のドレスのすそがふわりと動くのに気がついた。
(……赤系のドレスなんて、珍しいな。それに、すそがふわっとして……なんだかいつもと違うぞ?)
するとアリスリンデはガンターの視線に気がついたのか、照れながら言った。
「このドレス、王都では着る機会がなくて。今回初めて着てみたのですわ。いかがでしょう……? 合いますか? 子どもっぽくは、ないでしょうか……?」
金色の目が困ったようにガンターを見上げている。
心配そうなアリスリンデの声に、ガンターは再び胸がズキっと痛むのを感じた。
そしてガンターの心臓はドキドキと勝手に暴れ始めた。
(ぐっ!? なんだ。今度は胸がドキドキする)
「い、いや、よく似合う。あなたはかっちりしたドレスを着ることが多いが、こんなドレスもいいのではないか?」
ガンターが胸を押さえて言うと、アリスリンデは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。そう言っていただくと、嬉しいですわ」
「!!!」
アリスリンデの金色の瞳が、キラキラと輝いている。
ガンターはまるで湖で溺れかかっているかのように、手近にあったコンソールテーブルを左手でがしっ! とつかんだ。
ガタガタっ! と大きな音を立てて、上に置かれていた花瓶が大きく揺れた。
無表情を装って、ガンターがさりげなくコンソールテーブルから離れる。
それでもドキドキが止まらない心臓を落ち着かせるべく、ガンターは左手で左胸の上をなでさすった。
そこからダイニングルームまでは、果てしないように、ガンターには感じられた。
ようやくダイニングルームに入り、アリスリンデを席にエスコートし終えた時、侍従のノックスが不思議そうに言った。
「……どうしたんですか、ガンター様? 心臓にご持病なんぞないでしょうに」
ガンターはのろのろと頭を振る。
「いやノックス。俺の心臓は大丈夫だろうか?」
「はい!?」
ガンターはあわてて首を振った。
「いや。なんでもない」
「……それがなんでもないお顔ですか。まるで命綱でも欲しそうなお顔をして」
「……だからなんでもないと言っているだろうが」
ガンターとノックスは、アリスリンデに聞かれないように、小声でささやきあった。
「ガンター様、アリスリンデさん、お招きありがとうございます」
「義兄上、アリスリンデ様、こんばんは」
その時、アマリアとフィンが到着した。
辺境伯家で、初めての家族ディナーがスタートする———。




