第3話 朗読をお楽しみくださいな
『セオドア様ぁ……!』
甲高い声でセオドア王子の名前を呼び、彼の部屋に入って行ったあの令嬢は、今、さりげなくイングリッド王妃と同じテーブルに座っていた。
厳しい王妃が意味もなくただの令嬢を同じテーブルに座らせるとは思えない。
(———やはり不思議だわ。妃殿下と同じテーブルに座っているのに、わたくしに覚えがないなんて……)
「もう始まるところよ、アリスリンデ」
イングリッド王妃の声が響く。
「申し訳ございません、王妃殿下。……セオドア殿下にご挨拶をしておりました」
そう言ってていねいなカーテシーをしたアリスリンデに、イングリッドが一冊の本を渡した時だった。
サロンに珍しい人物が姿を見せた。
「王妃殿下、失礼いたします」
金髪に青い瞳をした、ほっそりとした姿。
優しげな顔だちは、本人の性格もあるのだろうが、イングリッドではなく、父であるカール国王に似たようだ。
豪華な金刺繍を施した宮廷服を身につけたキャメロン王太子に、イングリッドは目を見開いた。
「キャメロン?」
サロンに集まった令嬢達がきゃー! と声を上げた。
「王太子殿下だわ」
「お珍しい……なんてお優しそうなお姿なのでしょう」
「本当ね、ラッキーだわ。まさか今日、殿下にお目にかかれるなんて」
あまり人前に出ないキャメロンの姿を間近にして、令嬢達は大興奮だ。
「これを……、お急ぎとのことでしたので、直接私がお持ちしました。ちょうど時間がありましたので」
そう言うと、キャメロンは小さなカードをイングリッドに渡した。
イングリッドはちらりと大騒ぎの令嬢達に目をやった。
「ありがとう。あなたはもうお帰りなさい」
「はい」
最後にキャメロンは令嬢達に軽く会釈をして、退出した。
イングリッドは気分を変えるように扇を軽く振ると、アリスリンデを振り返った。
「さあ。今日はあなたが読んでちょうだい。印を付けたところまでね。さ、皆様、今日の朗読ではついにクリスタルローズが悪役令嬢として断罪されるシーンですわよ。アリスリンデの朗読をお楽しみくださいな」
「!?」
アリスリンデは、内心動揺して立ち尽くした。
(朗読!? そんな話、聞いていない———)
令嬢達はまぁ! とざわめく。
「アリスリンデ様が、朗読を?」
「えぇ? 前回は、女優のステファニク夫人をお招きして朗読していただいたのに」
「まあ、おやめなさいよ。さすがにステファニク夫人と比べては、お気の毒よ……」
「でも。今日の回には、聖女クラリスのモノローグと、断罪される悪役令嬢、クリスタルローズのモノローグがありますわよ?」
「エモーショナルなシーンですわね。……優等生のアリスリンデ様には、『悪役令嬢』のモノローグは、少し荷が重いかもしれませんわね?」
「『悪役令嬢』……?」
アリスリンデはその言葉に困惑して呟いた。
すると令嬢達が熱心に声を上げる。
「まあ。アリスリンデ様。ご存知ありませんの……?」
「王都で今評判の宮廷恋愛小説ですわ」
「『悪役令嬢と運命の恋〜これは、真実の愛が生んだ、信じられない愛の物語〜』、シンプソン夫人のお作ですのよ」
「もう、皆が夢中でございますわ」
王妃がバサっと扇を振り、令嬢達を黙らせた。
「さあさあ。知らなくても構わなくてよ。アリスリンデ、あなたはとても優秀な令嬢ですからね。心配しないで、読んでごらんなさい」
その王妃の言葉に、どこかちくりとした棘を感じながら、アリスリンデは本を開いた。
素早くページに目を走らせる。
読み始めたアリスリンデの声は、固かった。
「『……クリスタルローズ、おまえのすべてが嫌いだったのよ。おまえのその黒い髪も、その紫色の瞳も。おまえは王子の婚約者でありながら、アクセルロッド様をたぶらかそうとはね』。
聖女クラリスは言った。彼女はもう、その声にもその表情にも、クリスタルローズへの憎しみと嫌悪感を隠そうとはしていなかった」
アリスリンデは珍しく頬を少し赤くして、自分の髪を見つめた。
アリスリンデの髪は、この国では珍しい。まるで夜の闇のような、つややかな黒色をしているからだ。
アリスリンデの様子を、王妃は扇で口もとを隠して、注意深く見守っている。
「『美しいクリスタルローズ、おまえは義兄アクセルロッドに道ならぬ恋をして、アクセルロッドの婚約者である聖女クラリスを陥れようとした、悪役令嬢なのよ』」
アリスリンデは、まるで矢のように放たれる、聖女クラリスの憎しみにあふれたセリフを読み続けた。
「『そして、悪役令嬢はその報いを受けるの』。聖女クラリスは裁判長のように厳かに告げた」
「『死ね、クリスタルローズ』」
アリスリンデの朗読は、たどたどしかった。
自分と同じ黒髪の令嬢が、殺されるシーン。
この小説を読んだことのないアリスリンデには、なぜクリスタルローズが死に直面しているのか、その経緯はわからない。
それでも、クリスタルローズに向けられる憎しみが、同じ黒髪である自分にも向けられているかのように感じてしまう。
「『おまえが王子殿下に愛されているなんて、嘘。おまえは人形のように、いつも仮面のような微笑を顔に貼り付けて、完璧な王子の婚約者を演じているだけの、ただの木偶』」
震えるアリスリンデの声に、サロンの中はさすがにざわめいた。
「ま、まあ。……この朗読、少しアリスリンデ嬢にお気の毒では……」
数人の令嬢達が、居心地悪そうに上半身を揺らした。
一方、アリスリンデは落ち着きを取り戻したかのように、淡々と物語を読み上げ続ける。
「『クリスタルローズは静かに目を閉じた。自分がもし、今、この世界から去るのなら、最後にこの目に映した光景を、聖女クラリスにしたくなかった。
聖女は、自分が邪魔だったのだ、それはわかった。わたくしの義兄、アクセルロッドを愛しているから? それとも、王子殿下が欲しかったから? たしかに、王子殿下との関係は、政略結婚にふさわしい、格式ばった、情熱のない関係だったかもしれない。それでも、お互いに努力していた。お義兄様は、本当にクラリス様を愛していたのかしら?
わたくしが思うのは、ただ、王子殿下も、お義兄様も、幸せでいてほしい、ただそれだけ。それが叶うなら、この痛みはわたくしが引き受けたっていい———』」
アリスリンデの瞳がうるんだ。
苦しげなアリスリンデの声に、サロンのあちこちで、すすり泣きの音が聞こえる。
アリスリンデは、右手で、そっと左胸を押さえた。
「『クリスタルローズの胸に、クラリスの短剣が突き刺さった。とくり、と場違いなほどいきいきとした、まるで生命力そのもののような、赤い血が流れ出る。クリスタルローズは最後の瞬間、クラリスを彼女の目に映すのを、拒否した。クリスタルローズは、その美しい紫色の瞳を閉じた。クリスタルローズの願いはただひとつ』」
アリスリンデもまた、目を閉じて言った。
「『王子殿下、アクセルロッドお義兄様、お二人のお幸せを祈ります。さようなら———』」




