第29話 優しい義母と可愛い義弟(※アリスリンデの心の声)
「おはようございます! アマリア様、フィン様!」
「おはようございます、アリスリンデさん」
「おはようございます、アリスリンデ様」
離れの朝食室に、明るい声が響く。
アリスリンデはノアをお供に、前辺境伯夫人であるアマリアと彼女の息子、フィンに会いにやってきた。
知り合ってしばらくになるのに、万事控えめなこの母子は、ずっとアリスリンデに「様」付けで話していた。
最近ようやく、アマリアが「さん」付けにしてくれるようになったのだ。
(義理の娘ですから、ご遠慮なく、と申し出ているのだけれど)
アマリアは義理の息子であるガンターに対しても「様」付けである。
おそらくアマリアを「お義母様」と呼ぶことにも遠慮するだろうから、アリスリンデもいまだに「様」付けで接している。
この辺りは微妙な家族の距離感。ということなのだろうか。
「朝食はもう召し上がりました?」
「ええ。先ほど、旦那様とご一緒させていただきました」
「まあそれはよかったわ。ガンター様はお元気?」
「はい。相変わらずお仕事でお忙しくしていらっしゃいます」
アマリアがテーブルに置かれたポットから、アリスリンデのために紅茶を注いでくれる。
「お茶をどうぞ、アリスリンデさん」
「いただきます」
アマリアとフィンが暮らすこの離れは、もちろん建物の規模は小さいし、使用人の数も少ないのだが、ていねいに住んでいるのだろう、いつも居心地よく整えられていた。
「アマリア様、今日は、夕食をご一緒にとお誘いにまいりましたの。ガンター様も了承くださいましたわ。どうぞフィン様とお越しください」
「まあ」
「わぁ! 嬉しいです、アリスリンデ様」
すると、テーブルの下から、茶色いかたまりがぴょこんと飛び出てきた。
「ひゃっ! ジャックラビット!?」
筋肉質な大ウサギは、アリスリンデのひざに両手を置き、物言いたげにゆっさゆっさと大きな耳を左右に揺らしている。
「ジャックラビット!」
フィンがあわてて駆け寄って、アリスリンデのひざから大ウサギの前足を下ろす。
「すみません、アリスリンデ様。ジャックラビット、おまえは今回招待されていないのだから、留守番だよ」
しゅん、と耳が垂れると、それでもジャックラビットは上目遣いに何かをフィンに訴えている。
「……う。そうだね、もし義兄上がいいと言ったら———おまえもついてきていい。次回だぞ。ああわかった。義兄上には、今夜聞いてあげるから」
ようやく納得したのか、ジャックラビットはまたテーブルの下に戻った。
「ジャックラビットはすごく人懐こい子なんですのね?」
アリスリンデが言うと、フィンは大真面目にうなづいた。
「そうなのです! それに賢くて、とても強いんですよ」
その言葉が耳に入ってきたのか、ふたたびジャックラビットはテーブルの下からもそもそと出てくると、ボクサーのように両手の拳を前後にシュッシュッと揺らしながら、得意げにポーズを決めたのだった———。
フィンはそんな巨大ウサギを、うっとりとして見つめている。
そんな様子に、思わずアリスリンデの頬も緩んでしまう。
(か、か、か、可愛い〜!! フィン様、男の子なのに、なんて可愛いのでしょう……!)
(それに、アマリア様。なんて控えめで、いつもお優しくて———)
(このお二人が、一緒に主屋で暮らしてくださったら、どんなにいいかしら)
アマリアは前辺境伯の遺志を汲み、自分の子であるフィンが爵位を継ぐことがないのを、よくよくわかっている。
ガンターに代替わりした後、離れに移ったアマリアはフィンも伴ったが、母子二人で静かに暮らす様子は、アリスリンデにとっては少し羨ましくもあった。
(わたくしが一人っ子で、兄弟に憧れているのもあるけれど)
アリスリンデは思う。
(第二王子の婚約者に決まった後、両親の態度は、たしかに変わってしまった)
(お二人とも、変わらず優しいのだけれど———どこかよそよそしいというか。そうだわ。まるで『預かり物』とでもいうように、ていねいに、でもどこか距離を置いて接するようになった。そう感じられたのよ)
たしかに、王子妃教育が始まって、王宮通いが本格化すれば、屋敷にいる時間は短くなる。
しかも、いつかは伯爵家を出て、王家に嫁ぐことが決まっている娘。
今までどおりに扱えなくなった、というのも理解はできるのだ。
(それでも)
アリスリンデは、アマリアがフィンがガンターに会った時に報告すべきことをていねいに教えている様子を見守った。
「いいですね、フィン。まずはきちんとご挨拶を。あなたの義兄とはいえ、ガンター様は当家の当主なのですからね。いつも敬意を持って接さなければなりません」
「はい、母上」
「感謝の気持ちも忘れないように。あなたが受けている教育、生活のすべては、ガンター様のおかげなのです」
「はい、母上」
「もちろん、ガンター様にご相談ごとがあるなら、申し上げてもいいのですよ。それに、勉強の進捗などもご報告なさい」
「はい、そうします、母上」
フィンの表情は真剣だ。
ガンターのことを大切に思っているのが、伝わってくるようだった。
ガンターは一見怖いし、不器用な性格なのは間違いなかったが、彼の心は優しい。
アリスリンデはそう思う。
ガンターなら、アマリアとも、フィンとも今以上によい関係を築けるだろう。
(わたくしは……その時には、辺境伯家にもういないかもしれないけれど)
最初からわかっている、期限のある結婚生活。
それでも、アリスリンデの心は苦しくなるし、彼らとずっと一緒にいられたら、どんなにいいだろう———そんな思いが生まれるのを止めることはできないのだった。




