第26話 お義母様、初めまして
「奥様、おはようございます」
「奥様、ごきげんいかがですか?」
辺境伯領に嫁いで一週間ほど経ち、アリスリンデも新しい暮らしに慣れてきた。
屋敷の中をノアと一緒に歩けば、召使い達が明るく声をかけてくれる。
家族と離れての辺境暮らしだったが、日に日にアリスリンデはのびのびと過ごせるようになってきたと感じていた。
ガンターがついに結婚したことで、誰もが喜んでくれている、そんな気配に気持ちも引き締まる。
実は契約結婚なのだということを知っているのは、ガンターの侍従のノックスと、アリスリンデの侍女であるノアの二人だけ。
なんとか周囲の期待に水を差さないために、アリスリンデはガンターの妻らしく振る舞うよう、密かに努力をしていたのだった。
辺境伯家の当主であるガンターは、辺境騎士団長でもある。
思っていた以上に、ガンターは忙しかった。
その上、個人的にも自分の体を鍛えることに余念がないガンターはほとんど屋敷にはいない。
「屋敷内のことは自由にしてよい」と言われているアリスリンデは、ノアと、時には侍女長のグレースと一緒に屋敷内を回っては、何か手をかける必要がある箇所はないか、見回っている。
「ノア、今日は天気がいいわ。お庭を散歩しましょう」
「はい、アリスリンデ様」
アリスリンデはノアと共に中庭に降り、庭に植えられている花を見ながら歩いていると、ふと、軽やかな笑い声が離れから聞こえてきた。
「———ノア?」
アリスリンデはふと足を止めた。
目に手をかざして、離れの方を見る。
「あれは———前辺境伯夫人のアマリア様じゃないかしら? ねえ、旦那様は思うようにやって構わないとおっしゃったわ。ちょっと行ってご挨拶をしてみましょう」
「え。突然伺って大丈夫でしょうか?」
アリスリンデはうなづいた。
「ご挨拶だけして、もしご迷惑そうだったらすぐお詫びして主屋に戻りましょう?」
「そこまでおっしゃるなら」
そこでアリスリンデとノアは、離れに続く回廊に上がって、歩き出したのだった。
***
「まあ……!」
アリスリンデが想像したとおり、離れの庭では、小さなお茶のテーブルを出して、アマリアと息子のフィンがお茶の時間を楽しんでいるところだった。
茶色い髪に茶色い瞳。
優しげな顔をした女性が、同じ髪色と瞳の色をした青年と二人で笑い合っていた。
青年の表情は明るく、その屈託のない仕草は、まるで森の子リスのようにのびのびとしていた。
アリスリンデはカーテシーをすると、微笑んだ。
「お初にお目にかかります、アマリア様、フィン様。わたくし、ガンター様に嫁ぎました、アリスリンデと申します」
アマリアは両手で口もとを押さえた。
「あら……!」
「楽しんでいらっしゃるところをお邪魔して申し訳ありません。まだお目にかかるチャンスがなく———せめてご挨拶だけでも、と思いましたの」
アマリアは立ち上がると、そっとアリスリンデの手を取った。
「まあ、アリスリンデ様。邪魔なことなどありませんわ。こちらこそ———すぐにご挨拶に伺わずにごめんなさいね。どうぞ座ってくださいな。よろしければ、お茶をご一緒に」
アマリアが視線を投げると、控えていた侍女がアリスリンデのためのお茶の支度にかかる。
「アリスリンデ様。改めまして、わたくしはアマリア。ガンター様の義母です。この子はフィン。わたくしの息子です。十六歳になりますの」
「フィン様、アリスリンデです。どうぞよろしくね」
アリスリンデが微笑むと、フィンもにっこりと微笑んだ。
愛らしい青年だ。しかし、思いのほかしっかりと挨拶を返してくれる。
「義兄上の奥様ですね。私もお会いしたいと思っていました。こちらこそよろしくお願いいたします」
侍女がアリスリンデの紅茶を運んできた。
アリスリンデもお茶を飲み、アマリアとフィンの会話を続けた。
時間が穏やかに過ぎていく。
アリスリンデは、この控えめなガンターの義母が好きになっていた。
「ね、アリスリンデ様。もしかして、わたくし達を心配して来てくださったのかしら……?」
アマリアのまっすぐな言葉に、アリスリンデもうなづく。
「率直に申し上げますと、はい。旦那様はあまり言葉の多い方ではありませんから」
アマリアは微笑んだ。
「まあ。それでは心配させてしまって申し訳なかったわ。アリスリンデ様、わたくし達が離れに住んでいるのは、わたくしがそう言い張ったからなんですの。けしてガンター様に命じられたからではないんですのよ」
アマリアは言った。
「わたくしの夫、前辺境伯が亡くなった時にね。夫の遺志ははっきりしていました。辺境伯の地位は、たとえ養子とはいえ、長男のガンター様にと。わたくしは万が一にもフィンがその妨げになることを避けたかったのです。辺境伯領の皆さんはいい方が多いんですの。それでも———人の思惑はさまざま。領地に悪い噂が立っては、ガンター様の足もとが揺らぎます。それは許せないことですわ」
アマリアははっきりと言い切った。
「それに、どうみても辺境伯にはガンター様がふさわしいと思いました」
フィンもうなづく。
「義兄上は、私の憧れなのです。とても強く、立派な騎士です。私は義兄上のようになるのは難しいと思うけれど、何か別なことで、義兄上の役に立ちたいと思っています」
「ご立派ですわ」
アリスリンデも微笑む。
「あの———アマリア様、わたくしも辺境に来たばかりです。屋敷のことをよくご存知のアマリア様にご助言をいただきたいことも出てくると思いますわ。また、このようにお茶を一緒にしていただいても、いいでしょうか……?」
アリスリンデの言葉に、アマリアは顔を赤くして微笑んだ。
「まあ。わたくしでよければ———いつでも」
「ありがとうございます」
アリスリンデとアマリアは見つめ合って、うなづいた。
その時。
ぴょこん! と何かがテーブルの下で跳ねた。
「!?」
ぎょっとしてアリスリンデがのけぞると、テーブルの下から何か大型の動物が飛び出してきた。
「ジャックラビット!! お行儀よくするって約束したじゃないか!?」
「!??」
フィンがあわてて、何かもこもこして、妙に筋肉質な茶色い動物の首根っこをつかんだ。
「フィン様!? その動物は……」
「ごめんなさい、アリスリンデ様。驚かせてしまって」
フィンが泣きそうな顔で謝った。
「義兄上には、この子があなたを驚かしたということは、秘密にしていただけませんか? この子を飼う時、人に絶対悪さをしないと約束したんです———」
「は、はい。それは大丈夫ですわ。ただびっくりしただけで、実害はないのですから。それより、フィン様? その動物はいったい、何なのですか?」
何なのかとアリスリンデに言われて、そのもこもことした生き物は、フィンに首根っこをつかまれながらも、ぐっと胸を張った。
「ジャックラビット。野生のウサギなんです」
「えぇ? そんなに大きくて!? 立っていると、フィン様の腰まで並ぶではないですか」
フィンは困ったような顔になった。
「ええと……その、普通のウサギとは違うようなのです。この子は———普通より大きくて———しかも、人間の言葉がわかるのです」
「!?」
「そうなの。フィンと話ができるのよ、このウサギさん。可愛いでしょう?」
ほわん、とした調子でアマリアが言った。
「はい!?」
すると、まるで人間達の会話を聞いていたかのごとく、ジャックラビットはボクサーのように両手の拳をシュッシュッと小気味よく交互に突き出し、耳をゆさゆさと振り始めた。
フィンは嬉しそうに微笑んで言う。
「ジャックラビット、アリスリンデ様に会えて喜んでいます! 護衛騎士のようにお守りしますと言ってますよ! さすがアリスリンデ様です。ジャックラビットに気に入られたんですね……!」
兄は大型犬が大好きで、その弟は巨大ウサギに夢中……。
(なるほど。血はつながっていなくても、兄弟だわ……)
アリスリンデは巨大な茶色いウサギとフィンを交互に見つめ、微笑んだ。




