第22話 王女は突然に(1)
結婚式から明けて、翌朝。
アリスリンデは主寝室の広々としたベッドの上で目覚めた。
昨夜はあまり気にしなかったが、朝日の中で見てみれば、主寝室はアリスリンデの部屋と同じ淡いベージュに、深い緑色で統一されていた。
アクセントカラーとして使われているエンジ色が森の木の実のようで、寝室全体が森のイメージで整えられているように感じられた。
静かで、落ち着いた空間である。
「ノア」
アリスリンデが声をかけると、隣室からそっと侍女のノアが顔をのぞかした。
「アリスリンデ様、おはようございます」
「おはよう、ノア」
ノアの視線がアリスリンデのいるベッドに注がれる。
「旦那様は———?」
アリスリンデは困ったように眉を寄せて言った。
「逃亡しちゃったの」
「!!」
ノアが両手で口を押さえる。
「どうしちゃったのかしらねえ。そんなわけで、旦那様はここにいないのよ」
アリスリンデがベッドから出ると、ノアが薄いナイトドレス姿のアリスリンデの肩に、暖かなガウンを着せかける。
「まずはお茶をどうぞ。すでにご用意しております」
「ありがとう、そうね、わたくしの部屋に戻るわ。まずはお茶を飲んで考えましょう」
そう言いながら夫婦の寝室から自分の部屋に戻ると、待ち構えていた侍女達が、期待に満ちた表情でアリスリンデを見上げた。
「奥様、おはようございます」
「奥様、お体は大丈夫ですか?」
アリスリンデはにっこりと侍女達に微笑みかける。
「旦那様は朝早くから鍛錬に行かれましたわ。本当、素敵ですわ。さすが辺境伯閣下、ご自身にも厳しく律しておられるのね」
その言葉を聞いて、侍女達はうんうん、とうなづく。
「さようでございましたか!」
「はい、旦那様は今でも厳しく体を鍛えていらっしゃるのです! さすが奥様。このご理解の速さはさすがでございますっ!」
なんとかごまかせた? そんな視線でアリスリンデがノアを見ると、ノアは苦笑しつつうなづいた
「さ、奥様。まずはお茶を———朝食はどういたしましょうか……?」
ノアがそう言った時だった。
突然、階下からバタバタという音が響いてくる。
部屋に飛び込んできたのは、侍女長のグレースだった。
「奥様、こんな早くから申し訳ございません。実は。実はっ……」
「グレース、落ち着いて。どうしたの?」
いつも落ち着いているグレースが動揺している。
不思議に思っているアリスリンデの前で、部屋のドアがばん! と開いた。
そして現れたその人物に、アリスリンデの目が大きく見開かれた。
「……コリンヌ王女殿下……?」
アリスリンデが思わず不思議そうな声を出してしまうと、コリンヌは顔を赤くした。
「そうよ、コリンヌよ。久しぶりね、アリスリンデ」
ふわふわしたストロベリーブロンドの髪に、緑色の瞳。
母であるフランシーン側妃と同じ色を持って生まれてきた愛らしい王女は、アリスリンデに婚約破棄を突きつけたセオドアの妹だった。
年は十六歳。
なんとも可愛い盛りである。
「お久しぶりです、王女殿下」
アリスリンデは起き抜けのナイトドレス姿だったが、落ち着いて立ち上がると、ガウンをきちんと重ね、王女の前でカーテシーを取った。
「ふん。今起きたばかりなの? だらしないことね」
「昨日が結婚式でしたので、特別遅い時間ではないと思います」
「はあ。それで、ガンターお兄様はどこにいらっしゃるのよ?」
コリンヌは細い両手を腰に置くと、ぐいと薄い胸を張った。
若い王女は、まるで妖精のドレスのような、繊細なジョーゼット生地を重ねたアプリコット色のドレスを身につけている。
いらだたしげにストロベリーブロンドの髪を振ると、ドレスにたくさん付いているリボンがヒラヒラと揺れた。
アリスリンデは首を傾げた。
(……ガンターお兄様……??)
「旦那様のことでございますか?」
「そうよ。当たり前じゃない。まさか王都からはるばるあなたに会いに来たと思ったの? セオドアお兄様が婚約破棄したあなたに? 笑わせないでちょうだい。わたくしは、ガンターお兄様に会いに来たのよ!」
アリスリンデは反対側に首を傾げる。
「さようでございますか」
アリスリンデはナイトドレス姿にも関わらず、まるでデイドレスを着ているかのように堂々としていた。
「旦那様は外出されています」
「はあ? 昨日が結婚式だったんでしょう? ということは、昨夜は初夜だったんじゃない。それでもう外出されたですって? ふふふふ! なんて気の毒なアリスリンデ! あなた、ガンターお兄様に気に入られていないんじゃないの!? そうだわ。お兄様はあなたに満足しなかったのね、あたりまえだけど!!」
「そのようなことはありません」
アリスリンデはあっさりと否定した。
「旦那様は鍛錬に向かわれました。辺境騎士団を率いる辺境伯として、自らを鍛えるのは当然のことでございます」
「………ふん」
「それに昨夜が夫婦の初夜とわかっていて早朝にいらっしゃるのも、淑女としてどうかと」
「…………」
「王女殿下?」
コリンヌはちらちらとアリスリンデが身につけている白のナイトドレスに視線を投げている。
案外豊かな胸もとでひらひらしているリボンにコリンヌは顔を赤くすると、ぷんぷんとしてそっぽを向いた。
そっぽを向いた瞬間、細い腰がくねっと揺れる。
コリンヌは不機嫌を隠そうともせず、右手の親指の爪を噛んだ。
「何よ。わざわざ王都から来たというのに、お茶の一杯も出さないわけ?」
アリスリンデはグレースを呼んだ。
「グレース、コリンヌ王女殿下を朝食室にご案内して。お茶と、何かご希望のものを用意して差し上げてちょうだい」
「かしこまりました、奥様」
アリスリンデはコリンヌににっこりと微笑んだ。
「失礼して、着替えてまいりますわ。では後ほど」
コリンヌがアプリコットのドレスをヒラヒラさせながらグレースに連れられて階下に行くと、アリスリンデはほっと息を吐き出した。
「さすがに驚いたわ。コリンヌ様とはあまりお話しする機会はなかったけれど……。いやいや、王族の皆様とはほとんど接点がなかったのだったわ。とはいえ、王都からわざわざ来られるなんて。旦那様をそれほど気に入っていらしたのかしら?」
ノアも困惑を隠せなかった。
「あれはもう立派な押しかけですわ。初夜を過ごしたばかりの新婚のご夫婦の寝室に、翌朝に何の知らせもなくお越しになるなんて。とても王女殿下のお振る舞いとは———」
「ノア」
「申し訳ございません」
「旦那様が妻が欲しい理由、結局まだはっきりとは話していただいていないけれど———もしかしたら」
アリスリンデとノアは視線を合わせて、ため息をついた。
「……コリンヌ殿下が原因かしらね」
アリスリンデはノアに指示をして、ひとまず着替えを済ますことにした。




