第13話 旅立ち
「寒いわね」
馬車から降りたアリスリンデは、ぶるっと震えると、両手で自分の体を抱え込んだ。
枯れたような色の草原が延々と続く中、北からの風が容赦なく吹き付け、アリスリンデのドレスの裾がはためく。
「アリスリンデお嬢様、こちらを」
アリスリンデの侍女ノアが、厚手のストールを肩にかけてくれる。
「ありがとう、ノア」
アリスリンデは、しっかりとストールを体に巻きつけて微笑む。
「冬用のドレスを着ても、まだ寒いわね。話には聞いていたけれど」
「さようでございますね、お嬢様。これでもまだ秋だそうですから」
アリスリンデとノアは寄り添うようにして立ち、広大な平野を眺める。
ところどころ大きな葉っぱが動くたびにキラキラする、木肌の白い木が立っているが、一面の草原が続いている。
その真ん中を、馬車の轍が残る土埃の道が伸びていた。
「アリスリンデ嬢」
頭の上から低い声が降ってきた。
アリスリンデが顔を上げると、ガンターが大きなコートをアリスリンデの背中からかけた。
「これからもっと寒くなる。シュタイン辺境伯領は北の国境に位置する。大きい湖があり、その向こうは北の大国ノルウェグだ。ここまで来れば、あと数日で領地に入れる。体が冷えてしまうから、もう馬車に入れ」
「はい」
ガンター自身も、騎士服の上に、厚手のしっかりとしたマントを羽織っている。
アリスリンデは素直にうなづいて、ガンターに連れられて馬車に戻ると、ガンターにコートを返そうとした。
「そのまま馬車に入れておくといい。寒かったら毛布代わりになるだろう。屋敷に着いたらすぐ、あなた方の衣類を整えなければな」
そう言うと、ガンターは大きなブーツを履いた足で、ガツガツと草原を歩いて行く。
「…………あなた方」
ノアのことも、一緒に考えてくれているのね。
アリスリンデがぼんやりとそんなことを考えていると、ガンターは突然、くるりと振り返って、アリスリンデの元に戻ってきた。
「!?」
思わず侍女のノアもびくっとしてアリスリンデにすり寄る。
二人がドキドキしていると、ガンターは言った。
「地図は読めるか?」
「は、はい?」
「そうか。ならノックスに地図を一枚持って来させる。それを見れば、今どこにいるかわかるから、不安も少しは薄れるだろう」
そう言うと、アリスリンデの返事も待たずに、まだガツガツと草原を歩いて行ってしまった。
「あ、アリスリンデお嬢様、馬車の中に入りましょうか? もうすぐ出発かもしれませんし」
「ええ、ノア。あ、待って、あれは———」
ガンターと入れ違いのようにして、一人の男性がやってくる。
茶色の髪に、茶色の騎士服を着ているせいか、その穏やかそうな顔つきと相まって、大型犬のような印象を受ける。
「アリスリンデ様、閣下の従者をしているノックスです。えと、何度か同席しておりますが、覚えていらっしゃいますか?」
「はい」
アリスリンデはノアと顔を合わせて、にっこりと笑った。
「よかった。はい、これをどうぞ。閣下に言われて、地図を持ってきました。簡単にご説明しますと、この線が辺境伯領の領地の境界線です。現在地はそうですね、この辺り。これから明日には領内に入って、明日は町の宿屋に泊まれそうですよ。領地の屋敷に戻るのは、それからあと二日ほどかかりますが」
「まあ。本当にあと少しで着きますね。安心しましたわ」
「そうですそうです。ご安心ください。旅はここまで順調ですし、ご覧ください、辺境伯領は湖沼地帯を抱えていまして、大きな湖が三つもあるんですよ! すごく大きくて、まるで海のようなのです。明日には湖も見えてきますから、楽しみにしていてください」
ノックスはアリスリンデとノアに手を貸して馬車に載せると、きっちりとドアを閉めた。
馬に乗ったガンターを先頭に、隊列が動き出す。
ホルツフェラー王国第二王子、セオドアの婚約者だったアリスリンデ・ハノーバー伯爵令嬢は、こうして、若き辺境伯ガンターの婚約者として、シュタイン辺境伯領に向かっていた。
(不安がないといえば嘘になるけれど、これは自分で決断したこと。あのまま王都にいるよりはきっといい、そう思ったから———)
うやむやになってしまったかもしれないが、自分はイングリッド王妃のダイヤモンドのネックレスを盗んで、セオドア王子の新しい恋人を陥れようとしたとされた令嬢だ。
(誰も味方がいない中で、どうやって汚名をそそげばいいというの)
アリスリンデは馬車の窓から、大きな黒馬に乗った、一際大きな後ろ姿を探した。
ガンター・シュタイン。
これから少なくとも一年間は、アリスリンデの夫となる人物。
もしかしたら、唯一、アリスリンデの味方になってくれるかもしれない人物なのだ。
(それに、なぜかあの方の助けにもなるのなら、そう思えた)
アリスリンデに見つめられているとは知らないガンターが、いつもの大声で何か指令を出した。
ガンターが右手を上げ、前方に振ると、騎乗の騎士達も、馬車も一斉に動き出した。
「辺境伯閣下」
アリスリンデは、つぶやいた。
「あなたにわたくしの運命を委ねることは、いたしません」
アリスリンデは、ぎゅっと両手の拳を握った。
「わたくしも、自分の運命に挑戦するのです……!」
「アリスリンデお嬢様……?」
アリスリンデがはっと気がつくと、ガタガタと揺れる馬車の中で、侍女のノアが不思議そうな表情で、アリスリンデを見つめていた。
「あら。心の中でつぶやいたつもりだったのだけれど。もしかして、わたくし、声に出していたかしら……?」
ノアは思わずくすっと笑うと、アリスリンデの膝から落ちたブランケットをそっと掛けてやった。
「お嬢様……お心がけはご立派ですけれど。閣下にも、チャンスを与えて差し上げてくださいね?」
そう言うノアを、アリスリンデもまた不思議そうな表情で見つめていたが———。
王都はすでに遠く、アリスリンデの前には、まだ見ぬ辺境伯領がまもなく姿を現すことになる。




