第12話 結婚の申し込み
「あ、あ、あ、アリスリンデお嬢様! しゅっ、シュタイン辺境伯閣下がお見えになりました!!!」
緊張をはらんだ家令の声に、アリスリンデは来客の準備を整えた王都タウンハウスのサロンで、ため息をついた。
「ねえ、大丈夫よ? そんなに怖いお方ではなかったから。すぐお通ししてちょうだい。それからお父様とお母様にもお知らせして」
「かっ、かしこまりました」
セオドア王子がアリスリンデに婚約破棄を言い渡した夜会から数日後、ハノーバー伯爵家のタウンハウスに珍しい客人が訪れた。
シュタイン辺境伯である。
ガンター・バーデン・シュタインは、このホルツフェラー王国では、異色の存在だった。
武勲は数えきれない辺境伯。しかし年齢は若く、おそらく三十歳くらいで独身だ。
国境防衛の要である辺境伯ゆえに、滅多に領地を離れることはなく、ましてや王都での社交行事などにはほぼ来ることはない。
それでも悪評とは無縁の尊敬される人物であるのは、その出自も大きい。
アリスリンデは軽く目を閉じて、頭の中の貴族年鑑をパラパラとめくる。
将来の王子妃として、国内の貴族家の基本的な知識を得るために、アリスリンデはこの貴族家必須の年鑑を何度も何度も読み返した。
新しい情報を得れば、その都度、年鑑にメモ書きを加える。
そうしているうちに、アリスリンデは自然と年鑑の内容を記憶してしまったのだった。
(そうだわ。シュタイン辺境伯には特記事項があったのよ)
アリスリンデは記憶をたどる。
実物の貴族年鑑は書斎にあるが、アリスリンデには無問題である。
名前に「バーデン」を持つガンターは、現国王カール・バーデンの弟の子どもだったが、子どものいなかった前辺境伯夫妻の養子となったのだ。
王子にはもったいないくらいの恵まれた体格をしていたガンターは、辺境でさらに身体能力を鍛え上げ、猛者揃いの辺境伯領の騎士達の中でも頭角を現したという。
(そうして何の問題もなく辺境伯位を受け継ぐとともに、国王の甥という身分からも貴族社会の中で抜群の尊敬を集めているんだわ……滅多に王都には現れないというのに)
おまけに、従兄弟であるキャメロン王太子、セオドア王子よりも年齢が上なので、彼らに対しても遠慮がない。
まあ、ガンターの年齢が上なのは、カール国王の正妃選びが難航した上に、ようやく正妃が決まってもなかなか世継ぎが生まれなかった、という事情もあるわけなのだが。
ともあれ、ガンターが独特の存在感を持った人物であるのはたしかだ。
(そんな方が、なんでまたわたくしに結婚を申し込むなんて。やはりあの場を救おうとしてくださっただけよね?)
あまりにも訳のわからない出来事が続き、本来なら泣き崩れてもいいところを、辺境伯からの求婚という事件が起こって、アリスリンデはまるで他人事のように、妙に落ち着いてしまっていた。
「「アリスリンデ!!」」
ドアがばたん! と開き、焦り顔の父と、顔だけは落ち着いているが、ドレスの裾をつまみ、なんと廊下を早足で駆けてきたらしい母がサロンに飛び込んできた。
「い、いらっしゃったぞ!」
父、ハノーバー伯爵がそうささやいた時だった。
閉める隙のなかった、開いたドアの向こうから、大きな体をすっと伸ばした男性がこちらをのぞいていた。
「しゅ、シュタイン辺境伯閣下でございます」
ちょっと噛んでいる上に、いささか震え声の家令が声をかけた。
「失礼する。ハノーバー伯爵ご夫妻、アリスリンデ嬢」
まるでのっしのっし、と音がしそうな様子で、ガンターがサロンに足を踏み入れる。
ガンターの背後には、王宮でも見かけた侍従の青年が付き添っている。
「シュタイン辺境伯閣下」
ハノーバー伯爵夫妻、それにアリスリンデがていねいに礼を取った。
「閣下、どうぞこちらに」
「まずご令嬢と先に話をしたいのだが、構わないだろうか?」
「はいぃ!?」
父がおかしな声を上げたところで、アリスリンデは苦笑しながらソファを勧めた。
「閣下、どうぞこちらへ。……さっそくのところ、恐れ入ります」
ガンターがうなづき、アリスリンデに指定されたソファに腰を下ろす。
「お父様、お母様、わたくしは大丈夫です。閣下のお話が終わりましたら、お知らせしますわ。ノア、あなたもドアの外で待機してちょうだい」
「しかし、アリスリンデ」
「大丈夫ですわ」
わけのわからない、イングリッド王妃のダイヤモンドのネックレスの一件。
謎のパネラ・ベルトラン男爵令嬢。
国王主催の夜会で、突然婚約破棄を宣言したセオドア王子。
そこで即座に結婚を申し込んだ、ガンター・シュタイン辺境伯。
立て続けの出来事に、心配する両親の気持ちもわかるが、もうこれ以上驚くことなどない。
アリスリンデの正直な気持ちだった。
そうしてハノーバー伯爵夫妻を始め、家令も侍女も退出すると、アリスリンデはガンターの向かいの席に腰を下ろした。
ガンターを見つめて、にっこりと微笑む。
「お茶は両親が戻ってからご用意しますね。まず、閣下のお話を伺いましょう」
その言葉を聞くと、ガンターはなぜか嬉しそうに、細い目をさらに細めた。
「———きみは、私が探していたとおりの人物だ。ぜひ、俺と結婚してほしい」
ガンターの率直な言葉に、アリスリンデは目を見開いた。
しかし、アリスリンデは静かな表情で質問した。
「なぜ、わたくしと結婚を?」
アリスリンデがじっとガンターを見つめると、ガンターはやがて困ったように頬をかいた。
「一年限りの、契約結婚をしてくれる女性を探していた」
その言葉に、アリスリンデは初めて、持っていた扇で口もとを隠した。
「……まあそれは。また率直なお申し出で。たしかに貴族の政略結婚なんて、契約結婚とそう変わりませんが……それにしても、驚きましたわ」
「きみの朗読を聞いた」
ガンターはアリスリンデと初めてじっと視線を合わせた。
深呼吸をすると、熱っぽく訴える。
「……きみは天性の女優だ! 天才だ! この調子で俺の理想とする強気な妻を演じてほしい!」
「はい!?」
ガンターはその勢いのままに、がばと頭を下げる。
「頼む。この通りだ。俺の最愛の妻を演じてくれ!!」
「………………」
(この人も相当変わっているわ)
若き辺境伯の、突然の情熱(?)。
さすがのアリスリンデもどう答えたものかと困惑しているところ。
その時、控えめなノックの音がして、遠慮がちに家令が入ってきた。
「アリスリンデお嬢様、先ほど、国王陛下のお名前で、正式な婚約解消の申し出が届きました」
「婚約解消」
アリスリンデはオウム返しでつぶやいた。
婚約破棄ではなく、あくまで双方同意の上の、婚約解消。
おかしなネックレス事件の真相究明もなく、長年の婚約に対する違約金や慰謝料もないのだろう。
「つまり、身を引けと」
家令は一礼して、ドアを閉める。
「アリスリンデ嬢」
ガンターは顔を上げた。
「きみはうら若い未婚の令嬢で、身分も教養も人柄も申し分ない、王子妃教育まで受けた立派な女性だ。そんなあなたに、こんな申し出は失礼極まりないことはさすがの俺も承知している」
ガンターは言った。
「その代わりというか、たとえ契約結婚だろうと、結婚は結婚だ。俺はきみのことを対外的にも、内的にも、正式に妻として、辺境伯夫人として扱う。婚姻関係にある間はもちろんその生活は保証するし、結婚をしている間のあれこれはすべて、そして離婚後の補償も契約書に残そう」
アリスリンデを見て言う。
「きみは家族の一員だ」
アリスリンデは目を見開く。
「たとえ契約結婚だろうと、きみは家族の一員となる。何があっても、俺は、きみを守る」
「は、はあ。でも、その」
小さなコーヒーテーブルをはさんで、ガンターとアリスリンデはじっと見つめあった。
鍛え上げた大きな体をぴしりと伸ばし、視線を外さないガンターと。
若い令嬢でありながら、ガンターを前にしても落ち着いているアリスリンデ。
「……とはいえ。契約とはいえ、結婚は、結婚だ。たとえ閨を共にしない白い結婚の契約とはいえ、自分の身近に女性がいつもいるわけだ。誰でもいいというわけにはいかない。あれこれ考え、ようやく、あなたなら、そう思って勇気を持って声をかけてみることにした」
「閨」
思わずアリスリンデはそうつぶやいてしまい、慌てて「失礼いたしましたわ」と扇で口もとを隠す。
同時にガンターも顔を赤くして、動揺した。
「い、いや。未婚のご令嬢に、あけすけなことを言ってしまい申し訳ない。しかしアリスリンデ嬢。きみはセオドアと婚約破棄をして、今は自由の身だ。まずは一年。俺と契約結婚をしてくれる気持ちには、なってくれないだろうか———?」
ガンターは本気だ。
それを悟って、アリスリンデは、ゆっくりと、口を開いた———。




