第1話 政略結婚なんて、こんなもの?
「セオドア殿下、本日はご機嫌いかがでございますか?」
中庭にしつられられたお茶のテーブルについて、ゆったりとお茶を楽しんでいる青年に向かって、一人の令嬢が美しいカーテシーを披露した。
体が動くと、さらり、と長い黒髪が揺れた。
見る者が思わず、目を奪われてしまうような髪だ。
つややかで、長さがあり、毛先だけゆるく巻いた髪が、豊かに流れる。
金髪が多い貴族令嬢の中で、彼女の見事な黒髪は神秘的で、良くも悪くも注目を集めるに違いない。
着ているのは、落ち着いた、ミッドナイトブルーのドレス。
その異国的な黒髪も印象的だったが、驚くことに、令嬢はこれもまた珍しい金色の瞳をしていた。
貴族令嬢の中にあって、珍しい色合いの髪と瞳。
しかしそれ以上に印象に残るのは、二十歳、という年齢以上に落ち着いた表情とたたずまいだった。
彼女の名前は、アリスリンデ・ハノーバー伯爵令嬢。
ホルツフェラー王国第二王子セオドアの婚約者だった。
ごく淡い、若草色の上着に揃いのベストを優雅に合わせたセオドアは、言葉少なく向かいの椅子を指した。
「そちらへ」
控えていた侍従が椅子を引き、アリスリンデが座るとすぐにセオドアは話し始めた。
「今日は義母上のお茶会に呼ばれているんだって?」
「はい、殿下。王都でベストセラーの宮廷恋愛小説をご紹介くださるそうです」
「そう? まあ、退屈だろうけどお役目だと思ってよろしくね」
「そのようなことは。妃殿下とお話しできる貴重な機会だと思っております。……殿下は、今日のご予定は?」
「ふ。何も特別なことはないよ?」
王妃のお茶会に呼ばれているため、王宮にやってきたアリスリンデ。
セオドア王子に挨拶に来たのだが、いつものように淡々とした対応をされてしまった。
当たりは柔らかいのだ。
しかし———表向きだけを取り繕ったような、そんな空気を感じてしまう。
二人とも貴族の子弟が通う王立学園はもう卒業している。
婚約してからも長く、もう、いつ結婚の日取りが決まってもおかしくない。
アリスリンデの二十歳という年齢も、令嬢としては微妙な印象だ。
そんな関係だからこそ、相手によく思われたいとか、もっと認められたい、そんな欲がなくなってしまったのかもしれない。
(もっとも、それはわたくしも同じだけれど)
アリスリンデは礼儀正しく令嬢らしい微笑を浮かべながら、セオドアを見つめる。
***
アリスリンデの婚約者であるセオドアは、今をときめくホルツフェラー王家の第二王子。
王家の三人の子ども達はいずれも美形揃いと評判である。
長男のキャメロン王太子は金髪に温かみのある青い瞳の持ち主。
線が細い印象があるが、優しげな面だちをした、学業優秀な青年で———。
イングリッド王妃の唯一の子どもだ。
しかし、王妃にがっちり守られた王太子は、令嬢達が攻略するには、さすがにハードルが高い。
令嬢達の関心が向かったのは、セオドア王子である。
セオドア王子は、第二王子であるが、側妃フランシーンの子どもで、濃い茶色の髪に、青い瞳の持ち主である。
洗練された王子と評判で、婚約者がいるにも関わらず、今でも令嬢達に取り巻かれている人気者だ。
そして王家唯一の王女は、ストロベリーブロンドに緑の瞳。
印象的な美貌に恵まれた側妃の色を受け継いだのは、自由奔放で愛らしい、コリンヌ王女だった。
セオドアの妹である。
セオドアの婚約者として、そつなく王家の面々と付き合ってきたアリスリンデではあるが、長年の婚約関係にも関わらず、アリスリンデは自分が王家の一員だと感じることはなかった。
いつもどこか、自分だけは別。
表立って嫌がらせをされるわけではないけれど、いつも距離がある。
王家の人々に、個人的に話しかけられたりすることはまずない。
(もしかしたら、結婚したら違うのかもしれないけれど。でも、そもそも政略結婚よ。貴族同士の結婚だって、皆きっとこんなものなのだわ)
アリスリンデはそう思った。
アリスリンデには結婚に対する、夢や憧れのようなものはいっさいなかった。
婚約は子どもの頃に結ばれた。
初恋もまだで、恋愛や結婚に対する夢や希望が育つ前に、彼女の運命は決まってしまったからだ。
いつも淡々として物憂げな話し方をするセオドアもまた、同じなのだろう。
その意味では、王子と伯爵令嬢、その身分は違うものの、二人はたしかに似た者同士ではあるのかもしれなかった。
「それでは……セオドア殿下。そろそろ時間ですので、これで失礼いたします」
「うん」
セオドアは立ち上がることもしなかったが、一応顔は上げて、アリスリンデにうなづいてくれた。
アリスリンデはカーテシーをして、王子の部屋を出る。
続く控えの間に入ると、勢いよく立ち上がり、王子の部屋のドアに駆け寄った令嬢に気がついた。
いかにも貴族令嬢らしい、見事な金髪巻き毛を揺らした、表情のないグレーの瞳をした令嬢だった。
とても小柄で、細い首から肩、腕のラインがまるで少女のようだ。
「セオドア様ぁ……!」
一見、冷たい印象とは正反対の、妙に甲高い声で王子を名前で呼ぶと、アリスリンデを見ることもなく、さっさと部屋に入っていったのだった。
アリスリンデの金色の瞳が揺れる。
セオドア殿下は、あの令嬢をお茶に招いたのだろうか?
アリスリンデという婚約者がいても、優雅なセオドアの令嬢人気は高い。
一方、その人気に反比例して、アリスリンデは何をしても、令嬢達からの好感度は下落の一途をたどる。
(セオドア殿下、あなたは他の令嬢達には、とてもお優しい)
アリスリンデはそっと目を閉じた。
(でも、どんな時でも、わたくしをかばったり、愛情を示してくださることはない)
人の目は、そういうことには鋭いのだ。
王子からの尊敬を払われない令嬢は、他の貴族達からの尊敬を勝ち得ることもできない。
アリスリンデは、人々が噂するように、たしかに名ばかりの婚約者に、なりつつあった。




